


上野11時発で水戸へ 上野駅に菊の花が・・曇り,雨模様でした・・
バッハ・・落着いて、生聴くのは初めてですね・・フルートの響きが福与かで,柔らかな響き、と、ヴァイオリンと、チェンバロの対話が、染み込みます・・バッハて何も抵抗無く,心に染み込みますね・・・今日の日向ぼっこの様にポッカポッカと心温まる音楽ですね・・氣持ち良い・・
ブランデンブルク協奏曲 第5番
フルート・フェリックス・レングリ、 ヴァイオリン・潮田、
チェンバロ・クリスティーネ・ショルンスハイム
ゴルトベルク変奏曲 BWV988(抜粋)
チェンバロで始まりチェンバロで終わる、30変奏で初聴きです、原曲を聴いていないので、何処が・・編曲 と・・
自然な音楽の流れと感じます、第2変奏、オーボエ、オーボエ・ダモーレ、ファゴットの旋律も何処かで聴いた様な音楽に、自然と入り込めます・・快活,明快な旋律が美しい・・・第30変奏で合唱が、何処までも美しい響きが
バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
全ての音楽に・・
ヴィンシャーマンのモットーである
「明晰に、生き生きと、喜ばしく」という自身のモットー・・其れに応えた,奏者の技量の高さが。
ヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮)87歳にして,椅子に座らず・・お元気ですね
立ち姿から,音楽愛,人間愛、共演者を湛える姿は,父親であり,わが子供,わが孫に接する様で微笑ましい・・年を重ねる事はこう有りたいと思いますね。
11月11日水戸芸術館コンサートホールATM : 6,500円G-22・安い
J.S.バッハ:ブランデンブルク協奏曲 第5番 ニ長調 BWV1050
J.S.バッハ(ヴィンシャーマン編曲):
ゴルトベルク変奏曲 BWV988(抜粋)
J.S.バッハ:管弦楽組曲 第3番 ニ長調 BWV1068
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ヘルムート・ヴィンシャーマン(指揮)
Helmut Winschermann, Conductor
1920年ドイツのルール地方ミュールハイムに生まれる。
エッセンとパリで学び、ヘッセン放送交響楽団、コンセルトヘボウ
管弦楽団などのソロ・オーボエ奏者を務めた後、1960年ドイツ・
バッハ・ゾリスデンを創立。以来、芸術監督として40余年、
この室内オーケストラを特にバッハ演奏において世界的に権威ある
演奏団体に育てあげた。ヴィンシャーマンは、オーボエを手にして
も、指揮棒を握っても、ステージに立つときは常に、
「明晰に、生き生きと、喜ばしく」という自身のモットーを貫いてきた。
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ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685年3月21日(ユリウス暦) - 1750年7月28日)は、18世紀に活動したドイツの作曲家。「近代音楽の父」と称される巨匠である。その他のバッハ一族の者と区別するために大バッハと呼ばれることもある
1 生涯
3.2 オルガン曲
3.3 クラヴィーア曲
3.4 器楽曲、室内楽曲
生涯
バッハ一族は、ドイツ中部テューリンゲン地方で代々音楽を生業とした大一族であった。2世紀半の間に約60人の音楽家を輩出し、遺伝学の研究対象とされたこともある。ただし、当時はまだ貴族の子は貴族、農民の子は農民、というように身分が固定されており、職業音楽家の家系は職業音楽家以外の選択肢があまりなかった、という事情も考慮しなければならない。付記するならば、彼の時代の音楽家とは現在のクラシック音楽の一流演奏家のような名声とそれに見合うような収入を得るいわゆる名士ではなく、むしろ十把ひとからげで扱われる楽器担当の召使いのような存在であった。もちろんこれは彼の時代の音楽家の最も一般的なありようであった。
ヨハン・ゼバスティアン(以下バッハとする)はアイゼナハの町楽師ヨハン・アンブロジウスの末子として生まれた。バッハが10歳の時に父が死去し、オールドルフの兄ヨハン・クリストフの家に引き取られて勉学に励んだ。1700年にリューネブルクに移り、修道院付属学校の給費生として生活した。
1703年にヴァイマルの宮廷楽団に就職、その後まもなくアルンシュタットの新教会のオルガニストになった。すでにバッハの能力は高く評価されており、1707年、ミュールハウゼンの聖ブラジウス教会オルガニストに(教会付きオルガニストとしては)異例の好条件で招かれた。同じ年、遠戚にあたるマリア・バルバラ・バッハと結婚した。2人の間に生まれた7人の子供のうち、フリーデマンとエマヌエルは高名な音楽家になった。
「アリアと種々の変奏」と題されているが、バッハが音楽を手ほどきしたゴルトベルクが不眠症に悩むカイザーリンク伯爵のためにこの曲を演奏したという逸話から「ゴルトベルク変奏曲」の俗称で知られている。しかし演奏には高度な技術が必要で、当時ゴルトベルクは14歳の少年であったことなどから逸話については懐疑的な見方が多い。
もともとチェンバロの曲であったためピアノが主流となった時代から20世紀初頭まで演奏されることは少なかったが、チェンバロの演奏を20世紀の音楽として復活させたモダンチェンバロによるワンダ・ランドフスカの録音の評価が高く、長らく定番となっていた。20世紀後半になって若手の気鋭ピアニストであったグレン・グールドがデビューアルバムにこの曲を選択、レコード会社の反対を振り切ってピアノ演奏の録音盤を1955年に発売し、世界的なセンセーションとともに一躍著名な曲となった。
バッハ
小澤征爾氏が名誉会員に=ウィーン歌劇場11月13日8時2分配信 時事通信
【ベルリン12日時事】ウィーン国立歌劇場は12日、音楽監督を務める指揮者の小澤征爾氏(72)に名誉会員の称号を贈ると発表した。17日にオペラ「スペードの女王」の公演後、ホレンダー総監督から授与される。
小澤氏は1988年に同歌劇場デビューを果たし、2002年に音楽監督に就任した。これまで指揮したオペラやコンサートは163公演に上る。06年1月に体調を崩し、公演を一時キャンセルしていたが、今年4月に復帰。10年に任期切れとなり、フランツ・ウェルザーメスト氏(47)が後任の音楽監督に就任する。
08.5.28-30日 指揮・小澤征爾、第72回定期演奏会・水戸室内管弦楽団
08.7.5.6日 指揮・準・メルクル 第73回定期演奏会
08.11.8.9日 ナタリー・シュトゥッツマン 第74回定期演奏会