昨日(9/8)の夕刊に、市比売神社での「菊の被せ綿」の記事があった。「菊の被せ綿」とは、重陽の節句前日、菊に真綿を被せ、翌朝、露と香りの移ったその真綿で身体を拭って、長寿を保つという、平安時代の儀式である。
重陽の節句、言葉だけは知っているが、どういうものかは知らない。ということで、今日は車折神社の重陽祭へ。
JR嵯峨嵐山駅から、三条通りの表参道目指して30分、道に迷いながらもようやく到着。
三条通、鳥居前にバス停が。
鳥居をくぐると、雅楽の音が聞こえる。
一時開始なのに、5分ほど遅刻してしまった。
さて、社殿では、菊の花をはじめ、次々とお供え物が運ばれる。
宮司さんの祝詞の後、菊の挿頭をつけて菊の花を手にした少女二人が、舞楽を舞う。
拝殿を人垣が取り囲み、奏者は、進行具合が見えにくくて、どこで終わらせていいか困っている様子。
見物人は200人もいないようだったが、一部、立ち入り禁止の縄でも張っておくべきか。次の写真は、儀式終了後の拝殿。この後、すぐに菊花酒がふるまわれた。
菊花酒は、菊の花びらを散らした杯に、酒を注いだものである。邪気を祓い、長寿を願うという意味があるらしい。そういえば、祇園祭宵山で上った菊水鉾は、菊慈童に因んだものだった。能の『菊慈童』は、魏の皇帝の臣下が、菊の里で、700年生きている少年と出会う話である。法華経の句を菊の葉に書き付けてできた露が谷川に滴り落ち、その水(酒)を飲んで不老不死の身体を得たのだ。菊は、古来、薬草でもあった。そうして私たちも、菊花酒でアンチエイジングを。
菊花酒も頂き、辺りはすぐに人が減っていった。拝殿は、楓の緑で隠れている。秋は、きっときれいだろう。写真右は、拝殿手前側の花天井。花だけでなく、スイカやカブなど、珍しい絵があった。
表参道はバス停前から始まるが、裏参道の先には京福電鉄車折神社駅ホームがあった。
帰りには、ここから出て、京福電車北側の道からJR嵯峨嵐山駅へ戻った。
迷わなければ、たったの10分。
ところで、「重陽の節句」について、疑問に感じることがある。「陰陽思想で、陽である奇数はおめでたい数であり、その最大である9が重なるから『重陽』」という説明が散見される。節句というのは、本来、季節の変わり目の邪気を祓うものではなかったのか。その上、陰陽思想というのは、陽が良いとか、陰が悪いとか、そういうものではなかったはず。
「自然界や人間界の変化して止まない現象を、陰と陽の二気の消長(『安倍清明と陰陽道展』2003年カタログ)」に依るものだとしたのが、陰陽思想である。白と黒の勾玉が重なり合った太極図が、象徴するように、二つで一つの世界を成している。両者のバランスが大切ということだ。つまり、奇数が重なると、陽が強くなりすぎてバランスが崩れ、良くない(不吉である)から、それを祓う、という意味だったのではないか。
いつものように、締めは神紋で。一つ引き両と、桜紋。祭神は、儒学者、清原頼業。舎人親王の子孫であり、一族には歌人である清原元輔、清少納言もいる。神紋と祭神との関わりは調べ切れていない。HPには「金運/良縁/学業/厄除け・病気回復/芸能・芸術の神社」とある。普通に生きていく上で必要なものが網羅されている!「約束を違えないこと」を守ってくださるとのこと。今日、私が何を約束してきたか、それは秘密。