京都逍遥

◇◆◇京都に暮らす大阪人、京都を歩く

阿弥陀寺の天井絵

2009-10-20 00:21:47 | まち歩き

土曜の朝刊・地域面(京都)に、「画家・上田さん阿弥陀寺に天井絵」というタイトルの記事を見つけた。「本堂は普段非公開だが、天井絵の奉納を受けて、今月19、20日に限定公開される」との一文。ぜひ見てみたい、と出かけてきた。

阿弥陀寺(上京区寺町通今出川上ル)は、山号を蓮薹山、院号を捴見院といい、浄土宗で、本尊は阿弥陀如来である。

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山号とは、仏教寺院につける称号のことで、もともとは中国で同名の寺院を区別するために所在地の山の名をつけたものらしい。「阿弥陀寺」を検索すると、浄土宗、浄土真宗、時宗、曹洞宗、真言宗に属する寺が、13箇所ほど見つかる。山号は所在地と無関係のものもあるというが、確かに、これは区別するのに良い方途である。このお寺の「蓮薹山」は、所在地の名前と言っていいだろう。創建は近江・坂本だが、京へ移転した先が芝薬師・蓮台野(現在の中立売大宮付近)、その後、秀吉の都市改革で、現在地に移転した。

一方、院号とは、皇族が門跡となっている寺院などに対して許される称号である。今日頂いた解説によると、「阿弥陀寺は疲弊するが、時の帝・後陽成天皇は勅願所として多くの公家を檀越とし擁護」とある。ここに皇族が門跡になったという記述はないが、帝の庇護を受け、公家の檀家が多かったことから、院号を賜ったのかもしれない。飾り瓦は殆どが左右三つ巴だったが、境内の塔頭や門に、菊紋が一部見られた。

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本堂の銅飾り金具や、提灯、飾り瓦に、織田木瓜紋。

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この記事最初の写真で、門の左手前にある石柱には「織田信長公本廟」とある。この寺では、光秀謀反の知らせを受けた開山・清玉上人が、本能寺に駆けつけ、自害した信長をそこで火葬し、遺骨を持ち帰って供養した、と 伝えられている。この寺には、信長、信忠、森蘭丸兄弟ら本能寺で戦い敗れた数名の墓がある。

秀吉は、信長の法事を清玉上人に断られたので、大徳寺に総見院を建て、香木で作った木像を遺体の代わりにして信長の葬儀を行ったという。ルイス・フロイスの『完訳フロイス日本史3(中公文庫)』には、火事で「毛髪といわず骨といわず灰燼に帰さざるものは一つもなくなり、彼のものとしては地上になんら残存しなかった」とある。信長の伝記として最も信頼度の高い資料と言われる太田牛一の『信長公記・原本現代訳(ニュートンプレス)』では、「信長公は・・・(略)・・・すでに御殿に火がかかり・・・(略)・・・戸口にカギをかけ、あわれにもご自害なさった」となっている。信長の最期は正確にはわからないのだ。

しかし、いくら混乱していたとはいえ、明智勢に囲まれていたはずの本能寺に入ることはできただろうか。また、そんな中で火葬して遺骨を拾い集める時間的な余裕があっただろうか。秀吉の法事申し入れの件を勘案するなら、このお寺と織田家の深い関係は推測されるが、そこまでである。

当時の寺域から少しく離れ、また規模も小さくなったという現在の寺は、歴史を感じさせる門に比して、本堂は新しく見える。その本堂の南側には、駐車場を隔てて金木犀の生垣が続き、ちょうど季節で、秋の香りが漂っている。

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本堂の中へ。中央に本尊の大きな阿弥陀如来。この阿弥陀如来の手前の格天井に、天井絵が描かれた。(阿弥陀如来の頭の上も格天井だが、ここには描かれていない。)向かって右手には地蔵菩薩を中央に、右に善導、左に法然。向かって左手には信長の木像を中央に、右に信広、左に信忠の木像。

さて、本題の天井絵。タイトルは「彩華来迎花浄土之図」というらしい。きらびやかな天蓋の向こうに、華やかな天井絵が見える。この天蓋の下には僧侶の座があり、右手に黒漆の磬(けい)が置かれていた。ここにも織田木瓜紋があしらわれ、ご住職に尋ねると、これはお経の節目に合図として叩く楽器のようなものということだった。

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天井絵は、新聞記事通りカラー、パンジー、ヒマワリといった洋花から、沙羅の花や桜、椿などの木の花、なでしこ、あじさい、百合、菊、などの見知った草花など多様な花が鮮やかに描かれている。四方の角には、蓮の蕾と共に「持国天」「増長天」「廣目天」「多聞天」の文字。仏法を守護する四天王である。

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経年変化も考慮に入れての、この鮮やかさ。阿弥陀寺への道を聞かれ、私も行くからとご一緒した方は、この画家の元生徒さん。彼女によれば、「先生は、いつもはもっと淡い色調で描かれるのよ。白をベースにしてね」とのこと。杉板への彩色技法、色調、構図など、画家にとっても新しい、常とは違った作品であろう。観覧客が引きも切らずに訪れ、堂内では「先生」と声がかかる。そして、その先生はというと、小柄でお洒落なかわいらしい方だった。

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