上賀茂神社の東、深泥池のすぐ西に、貴舩神社がある。鞍馬の貴船神社と関係があるのか・・・と、行ってみた。
東西に山。その谷間を北へゆく、細い道。地下鉄烏丸線北山駅から1kmほど。
入り口両側にある石柱を入ると、すぐ右に大きな燈籠(写真下・左)が一つ。竿には「文政八年乙酉四月」(1825年)、「金毘羅大権現」とあり、礎石には「當村講中」。ちょうど来られた宮司さんに、この「金毘羅」は、鞍馬街道を静原にそれ、大原に至る直前の金毘羅山のことだと伺った。山そのものがご神体だったのだろうか。「當村」は、山城国愛宕郡深泥池村のこと。この燈籠は、かつて村に入る入り口(現・下鴨中通と府道103号が分かれる辺り)にあったそうだ。道路拡幅のため、ここに移されたのだとか。
一基だけの燈籠の奥には、左右に一対の燈籠(写真上・中)。これには「天正七年二月」(1579年)とある。左の燈籠の向こうに、「ちから石」と書かれた石柱と、その石(写真上・右)が。石柱には「文政八年四月」とあった。大燈籠と同じ。一緒に移動したものか?
鳥居(写真上・左)の傍には、神社の縁起を記した石碑(写真上・右)がある。鞍馬の貴船神社が洛中からは遠かったので、1660~1670年、貴船の神を勧請してここに祀り、京の人々がここでお参りできるようにしたという。貴船神社は、水の神である高龗神(タカオカミノカミ)を祀っている。よって、この貴舩神社の祭神も高龗神。この神は、『現代語訳・古事記(河出文庫)』の「闇淤加美神(クラオカミノカミ)」、『現代語訳・日本書紀(河出文庫)』の「闇龗(クラオカミ)」。イザナミの死を嘆き悲しんだイザナギは、その原因となったカグツチを剣で斬った。その柄を滴る血潮から生まれたのがクラオカミノカミである。『古事記(同)』には、この神が闇御津羽神(クラミツハノカミ)と共に、「雨をつかさどる竜神であり、清冽な谷間の水をつかさどる水神」と記載されている。
鳥居の向こうの階段上、正面に見えるのは秋葉神社と忠魂碑(写真下・左)。秋葉神社は、明治の廃仏毀釈で賀茂社家に壊され、すぐき漬の由来となった火事の後、再建されている(写真下・右)。
階段上、右手に貴舩神社の鳥居(写真下)がある。元は丹塗りの鳥居だったのを、維持管理が楽なように、石の鳥居に変えたそうだ。鳥居の向こうはすぐに拝殿と本殿(写真下)。拝殿は、中央を歩くことができる「割拝殿」である。本殿の前には立砂が見える。
拝殿には三つ巴(写真下・左)の瓦。覆い屋のついた本殿の屋根を隙間から覗いたら、双葉葵(写真下・右)の紋様が見えた。鞍馬の貴船神社は、1055年頃~1870年頃、上賀茂神社の摂社となっていたから、その関係でだろうか。
本殿の北には、弁財天(写真下・左)が祀られている。そういえば、弁財天は、水と関係が深い。このお社の傍に、杉の神木(写真下・右)があった。京都市建設局緑政課HPにある「北区・区民誇りの木」の一つだ。
この弁財天の西側山腹に、役行者を祀った石碑(写真下)があった。盛り沢山。