新聞で、森下仁丹・琺瑯製住所表記看板復活の記事を読んだ。選ばれた他の12町内会に先駆けて、京都市役所の外壁に町名看板を取り付けた、という内容。設置町内会名は、同社HPに掲載されている。
森下仁丹HP:http://www.jintan.co.jp/pdf/kyotokanbanpj_20101127_file.pdf
2月11日は仁丹の日(2008年日本記念日協会承認)らしい。その日が森下仁丹の創業日で、仁丹発売日なのだそうだ。その日に合わせた看板の復活。たまたま傍を通りかかったので、実物を見に行った。
白い琺瑯に紺色の枠、下には髭を生やしたおじさんのマーク。懐かしい。子どものころ、大阪でも見た記憶がある。
市役所の住所表記は、「寺町通御池上る上本能寺前町488番地」。この看板も、建物西側、寺町通り沿いにあった。
しかし。普通に考えて、河原町通と御池通の交差点にある市役所は、この二つの大通りの名前を使った方が住所表記としてはわかりやすいはずなのに。たとえば、「河原町通御池北」とか、「河原町通御池上る」とか。しかも、市役所の正面玄関は南向きで御池通に面しており、建物入り口が面している通名を先に表記するという慣例に従うと、「御池通河原町上る」あるいは「御池通寺町上る」になるはず。縦の通名を先に表記するのも慣例だが、それにしてもなぜ寺町優先?かつての市役所建物が、河原町通まではなかったのか・・・・・・そんな疑問がわき、ネットで調べてみた。
「都道府県市区町村」落書き帳アーカイブズ(http://arc.uub.jp/arc/arc.cgi?N=211#48963)
このHPには、びっくりするほど詳しく載っている。なるほど。町が属する通名を先に、という仮説は面白い。それに、市役所開庁のM.31年当時、御池通は寺町以西までだったという点からも、「寺町通御池上る」の住所表記に納得させられる。
本能寺が現在の場所に移転したのは、1587年。本能寺の変から5年後だ。では「本能寺前町」という町名は、いつからできたのだろう。秀吉の寺町政策で移転した寺のあったところは、たいてい「元○○寺町」となっているが。町名の由来は奥が深すぎて、ちょっと調べてみるぐらいでは、歯が立たない。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます