6月30日、半年の厄を落とそうと出かけてみた。夏越の祓はあちこちで行われているが、今回は梛神社へ。四条通に面した鳥居である。
梛神社には同じ境内に隼神社も存在する。ここでは元祇園と言われる梛神社について記したい。
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貞観十一年(八六九)三月朔日、京都に疫病が流行し、その悪疫を薙払い疫を鎮めるために、牛頭天皇(御名 素盞嗚尊)を播磨国広峰より勧請して四条の坊城へ神輿を入れ奉られました。此の地に数万本の梛の木があり、源 某と言う者が此の地に居住し、神霊を朱雀大路に近い梛の林中に祭祀しました。
後に八坂の郷に御遷座のとき、当地の住人は花を飾った風流傘を立て、棒を振り、楽を奏して神輿をお送りしました。これが祇園会の起源ともいわれ、古来より祇園会に傘鉾の役人は壬生村より出る定めになっていると伝えられています。
梛神社HP(https://motogion-nagijinja.or.jp/about/nagi/)
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また「播磨国飾摩より牛頭天王を勧請し……(中略)……のちに今の祇園社(八坂神社)に遷座されたことから、『元祇園社』と呼ばれるようになったと言われています」ともある。梛神社は四条通と坊城通の南西角に位置し、この四条通を東に進むと、祇園社(八坂神社)に行き当たる。その距離およそ3.1㎞。神輿に神霊を遷して練り歩くのに、不都合な距離ではない。また、平安時代、四条大路と坊城小路(大極殿正門の朱雀門から始まる朱雀大路[現・千本通]の一つ東の筋)の一帯といえば、ごく近くに朱雀院もあるが、結構な街中であったのだろうか。それとも、すぐ南に壬生寺があり、周りの坊条区画は施設が確定していない(「平安京の主な施設と邸宅」京都アスニー説明文)し、梛の林が本当に存在したのだろうか。
梛の木は、実家に植えていたが、それほど一般的ではないように思う。葉脈が縦にだけ走る肉厚の艶のある葉。榊と同様、美しい常緑の葉は神社にふさわしいようだ。
ご神木の梛の木は、二つの御本殿の間に植わっている。下の写真の茅の輪の、右端の紙垂奥に見えるのがそれである。
上は、東の鳥居から見たところ。茅の輪をくぐるための行列である。境内にも人が多く、あまり撮影はできなかった。
茅保全のための協賛金として、2本100円を支払い、机に置かれた茅の山から自分で茅を選んで持ち帰ることができる。ときどき神職さんが補充しておられた。
帰宅後、水に浸して柔らかくし、小さい茅の輪を作って玄関にかけている。
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