捨て身で生きる 2013-08-21 23:00:37 | 原発震災避難者 遠足 捨て身ほど よい生き方はありません。 すべてのよいことは その中にあります。 だが 捨て身とは 血相変えて 立ち向かうことではありません。 相手に ただ真向かいになることです。 決心も 覚悟もいりません。 親は子に 子は親に 先生は生徒に 生徒は先生に 花に 雲に 山に そして 勉強に 仕事に 遊びに ・・・ すべての出会う事物に 心を真正面に向けて 全開することです。 対象の 正邪 好悪 大小を論ぜず ・・・ それができれば もう 何もいうところはないのですが ・・・ 。
不信という不徳 2013-08-21 21:00:41 | 原発震災避難者 遠足 互いに助けあい ゆずりあって 「 ぬけがけ 」 さえしなければ ・・・ みんなが幸せになることが分からないほど、 人間は 馬鹿ではないはずです。 にもかかわらず 争いを こととして 不幸を かせいでいるのは 「 不信 」 という不徳の故ではないでしようか。
肚 ( はら ) の据えどころ 2013-08-21 19:00:52 | 原発震災避難者 遠足 ありそうなウマイに 気をひかれて ウロウロと空しく 日を過ごす人の なんと多いことでしょうか。 宝クジ や 競輪 や 運命判断に凝る人の 足取りのあぶなっかしさ。 ・・・ 肚の据えどころが ナッテナイんですね !!
虫の音 2013-08-21 17:00:09 | 原発震災避難者 遠足 賢い人も 愚かな人も 力のある人も 力のない人も 悪い人も 好い人も みんな力一杯 ・・・ 精一杯 生きています。 秋の野山の暗闇に 数かぎりなく満ちて鳴く 力一杯の虫の音を聞く思いに近いです。
童話 ・ どうわ 2013-08-21 15:02:33 | 原発震災避難者 遠足 近江の蛙が京見物に出かけて 比叡山の頂上に着きました。 「 ヤレヤレ 」 と 後脚で立ち上がって 下を眺めて つぶやきました。 「 京も近江と同じじゃないか 」 ・・・ と。 そして もと来た道を 下って行きました。 目が後ろについている者は 伸び上がって 前を見ようとすれば 過去ばかりが見えます。
見える ・ みえる 2013-08-21 12:06:33 | 原発震災避難者 遠足 なんとなく落ちつかないのは 比較の中に生きているからです。 他人と比べ、 過去と比べ 未来を推量して 現在の現実に 全身の重みをかけていないからです。 これに気がつけば 見える景色が変わってしまいます。 よく見えます。 山も 谷も 近道も 回り道も 邪魔物でも 何でも よく見えるようになります。 オタマジャクシは ・・・ オタマジャクシでいいのです。 ドジョウや ハヤを見て ・・・ 羨ましがることも ・・・ 羞ずかしがることもありません オタマジャクシは オタマジャクシを ・・・ 懸命に生きればいいのです。 そのうち 蛙になるでしょう。 そして 蛙になったら ・・・ 蛙でいいのです。 鰻や 鯉や ワニと ・・・ 比べることはないのです。 蛙が蛙を ・・・ 懸命に生きればいいのです。 ウロウロすることはないのです。
安らぎは 2013-08-21 08:48:47 | 原発震災避難者 遠足 環境を完備して その中に安らぎを求めようとすれば いつまでたっても ・・・ 安らうことはありません。 まず 自分の生活をはじめれば 環境は 自ずと整ってくるものです。 生活が先 環境は それについてきます。 この関係を逆に捉えると ・・・ いつも アクセクとして ・・・ 不満が絶えません。 安らぎは わがいのちの開放の中にあります。 いのちの自由な働きの中にあります。 その働きが ・・・ 必要な環境をととのえるのです。