負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

朝茶 ・・・ 幸福/健康のモト

2014-05-31 18:10:37 | 原発震災避難者


回顧



「 朝茶は福が増す 」 「 朝茶は七里帰っても飲め 」

・・・ という諺 ( ことわざ ) があります。


朝のお茶は 幸福 健康のモトであり

飲み忘れたら ・・・

たとえ 七里 ( 約27・5km ) の道のりを戻っても

飲んだほうがいいというのです。


朝の一服は カフェインで眠気を取り

口の中の食べカスを洗い流し

フッソによって歯を守り

口臭をとる効果があるのです。


「 茶腹もいっとき 」 ・・・ ともいいますが

これは お茶を飲んで空腹をまぎらわす ・・・ という意味だけでなく

緑茶は カフェインが多いので

若い修行僧の居眠り防止のために

飲ませていたことに由来する ・・・ という説もありますね。


そして 何よりの効果は

「 朝茶を飲むこころの余裕 」 です。



ぜひぜひ 朝茶を飲んで ・・・ ココロの余裕で事故のないように。














口の極楽 腹地獄

2014-05-31 15:09:46 | 原発震災避難者


回顧



肉や 砂糖や 果物は ・・・ 口にはおいしいものですが

お腹の方では あまり歓迎しないもの。


まして その摂りすぎは ・・・ 胃の腑をはじめ 内臓を苦しめます。

まさに 「 口の極楽 腹地獄 」 ・・・ というものです。


お腹をペコペコ減らすことよりほかに

食事をうまくする道はありません。


空腹地獄といえるほどの少食と

丹念な噛み方の行を通して ・・・

「 健康 」 という名の仏に会えるように思えます。














毒 ・・・ 歩度歩度がよろし

2014-05-31 12:09:08 | 原発震災避難者


回顧



メタボや糖尿病、ガンになるもならぬも

「 度 」 が大きく関係しています。


身体の温度 ・ 内臓温度 ・ 血液中の糖度 ・ 血糖値の上がる速度は

度を超した飲食 ・ 飲酒 ・ たばこ ・ 運動

そしてストレスなどなどに ・・・ 起因しています。


薬を飲むのと同様に

限度を超したスピード ( 速度 ) 調理食 ・ ファーストフードや早食い

そして過激なスポーツなども

・・・ すべて身体に毒なのです。


度・度・度・度・度・度・度・度・度 = 毒の洒落


度を忘れ 度を超して ・・・ ではなく

すべて歩度 歩度が ・・・ よろし。














立場が逆転すれば ・・・ 悲しき習性

2014-05-31 09:08:24 | 原発震災避難者


回顧




 立場が逆転すれば 見方考え方まで まるで反対になってしまうものです。

 道を行くにしても車を運転しているときの歩行者の見方と 歩いているときの車の運転者への見方は逆転します。

 車からみるとゆっくり横断歩道を歩いているのをみると 「 もっと早く渡ればいいのに 」 と思い 横断マークのない所を渡る者をみると 「 歩行者も交通教育が必要だ 」 と考えます。

 同じ車の運転手同志でも ゆっくり走っているのをみて 「 早く走れ 」 と命令したくなるし とにかく自分に都合が悪いとぶつぶつ言います。

 歩いている人の立場になると 「 道路は人の歩く所 車には遠慮して走ってもらいたい 」 「 乱暴な運転をするものは車を運転させてはいかん 」 ・・・ などなど。

 これは何も交通走行だけの問題ではなく 人間が一つのイズム 一つの信仰に執着すると 全体が見えにくくなるということです。

 そしてこの悲しい習性ゆえに 人間は多くの悲劇をくりかえしてきた ・・・ いえるのではないでしょうか。













比較するから ・・・ 悩み ・ 苦しむ

2014-05-31 06:07:48 | 原発震災避難者


回顧




 人というものは、比較するから悩み、苦しむのですから、比較しない自分の世界をつくることが大切です。

 比較しないからといって、逃げて自らに籠もることではありません。
大きな自分の世界に安住することです。
 狭い自分の世界に閉じこもるわけではありませんが、自分の世界をもつということは、心の安心を得るということです。

 他人と比較して善し悪しをつけてしまうから苦しむので、比較するという能力があっても、これに善悪という価値をつけないということを心のあり方の中心において生きる ・・・ ということです。













病気 ・・・ 食べ過ぎ

2014-05-30 22:56:18 | 原発震災避難者


回顧



たいていの人が

私の病気に ・・・ 何が足りなかったのかと聞きます。


今の時代 何が足りなかったなんてことがあるはずがありません。

これほど食物が氾濫している時代に

ビタミンが足らん 動物蛋白が足らん ・・・ そんなことはありえません。


だから 病気になった場合

何を食べ過ぎていたのだろうか

何をやめなければならないのだろうか

・・・ といったことの検討から始めないと

病気の治療はうまくいきません。

うまくいかないどころか

・・・ 全然効果をあげることができないのですよ。








吠えまくるスピッツ ・・・ 意味もなく

2014-05-29 23:12:18 | 原発震災避難者


回顧



「 底浅き小川は音をたてて流れ

満水の河はおのずから静かなり 」

・・・ 含蓄のある釈尊のことばです。


人間 底が浅いと ・・・ すぐ騒ぎだします。


ちょっと気に入らないと

・・・ けたたましく吠えるスピッツのように騒ぎたて ・・・ 噛みつきます。


最近 意味もなく吠えまくるスピッツが多すぎるような気がするのですが

・・・ そう思いませんか。







心 ・・・ 最高の生きがい

2014-05-29 19:05:45 | 原発震災避難者


回顧



人間は やはり心が大切で

心を使えば ・・・ 人間が向上しますが

身体だけ鍛えても ・・・ 必ずしも 人間が賢くなるとはかぎりません。


たとえ身体が病んでも ・・・ 心が病むとはかぎりません。


心がダメな人間は

身体がいくら丈夫でも ・・・ 向上することは難しいと思います。


学べば 必ず自分が変わっていくものです。

学ぶ心を養っていくこと

それが ・・・ 人間として 最高の生きがいではないでしょうか。







混乱 ・・・ 中庸 = 節度

2014-05-29 17:05:11 | 原発震災避難者


回顧



日本の社会状態からもくることですが

我々の精神状態は 甚だしくバランスを欠いています ・・・
 

どちらか一方の方向へ極端に傾いて行き

次の瞬間には また逆の方向へ極端に傾いて行きます。

しかも それが短期間で

かつ 機械的な性質を帯びていることは

この10年間の社会状態をふりかえってみただけでも ・・・ 明らかです。


日本固有の混乱の特徴でもあるでしょうが ・・・

性格的に考えても 我々の行動には 「 中庸 」 ということが

甚だしく欠けているように思えてなりません。


「 中庸 」 とは 中間のことではありません。

・・・ 「 節度 」 のことです。







表現の自由

2014-05-28 08:32:32 | 原発震災避難者


回顧



たとえば 表現の自由があると我々は思っていますが

「 私 」 は果たして ・・・ その点で自由でしょうか。


自分の心の中で思っていることを

文字通り 自由自在に表現できるか
 
といえば それは ・・・ 不可能です。


他からの圧迫が少しもない場合でも

人間は 自分の思うとおりの表現は出来ないものです。



自分を不自由にしているのは ・・・ 自分自身です。







思いやり ・・・ 好奇心の頽廃現象

2014-05-28 04:30:55 | 原発震災避難者


回顧



直接自分に関係がないかぎりは

いかなる悲惨な事件をも

これを ・・・ のぞきこみ 傍観します。


そういう意味での好奇心が

今日ほど激しくなったことはありません。


私は これを ・・・ 「 好奇心の頽廃現象 」 と呼びたい。

つまり ごく普通の意味での

思いやり ・・・ という感情が失われてきたのです。







邂逅 ( かいこう ) ・・・ 一番たしかな幸福

2014-05-26 21:00:45 | 原発震災避難者


回顧



求めるもののないところに

邂逅 ・・・ ということは起こりえません。


これは人的な関係だけでなく

書物によっても 同じことが可能です。


生涯のある時期に ある書物に触れて

目を開かせられる場合があります。



私は こうした邂逅を

・・・ 一番たしかな幸福だと思います。



* 邂逅:思いがけなく出あうこと。







乱世 ・・・ 感覚麻痺

2014-05-26 18:00:59 | 原発震災避難者


回顧



現代は ・・・ 乱世です。


至るところに 奇々怪々な言動や風俗がみられますが ・・・

それを 化物として感ずるためには

つねに 新鮮な好奇心をもっていなければなりません。


「 驚く 」 ・・・ ということが大切なのです。


驚くべきことが多いのにも拘らず ・・・ 驚かないのは

我々の感覚が麻痺している証拠ではないでしょうか。