負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

静かで激しい・・・拒絶

2013-01-31 22:41:58 | 原発震災避難者


散歩



現代人の失っているもの ・・・

それは ・・・ 静かで激しい拒絶。


けっして狂信におちいらない拒絶の激しさこそ

・・・ 高い教養のしるし。







忙しいフリをする老人は滑稽 ( こっけい )

2013-01-31 14:30:03 | 原発震災避難者


近隣



「 忙 」という字は ・・・ 面白い。

「 心が亡(な)い 」のです。

心がなければ ・・・ すぐ忘れてしまうのは当然です。


心が亡くなる状態を現している字に

・・・ 「 忙 」があります。


「 ああ忙しい 困った 困った 」 と言っているようなときは

・・・ 心がどこかへ行ってしまったときです。


忙しさにとらわれて

・・・ 自分を失っているのです。


最近とくに

「 忙しい 忙しい 」 と 忙しいフリをするお年寄りが増えたのは

・・・ 滑稽でもあり

・・・ 悲しくもあります。





忙しいということは、怠けている証拠

2013-01-31 11:30:36 | 原発震災避難者


近隣



忙しい忙しいと

動きまわっているようにみえて ちっとも進んでいない

じゃあ そのうち などといっても

そのうち死んでしまうでしょう



今日 ( こんにち ) 日本中の人が言っている言葉が

「 忙しい 」 という言葉だといいます。


だれもかれもが

「 忙しい 忙しい 」 と言って とびまわっています。


・・・ だけど果たして

忙しいということは ・・・ 充実していることでしょうか。


「 忙しいということは 怠けている証拠 」 ・・・


生きることに 感動や 共感や 喜びや 手応えがなければ

一日中とびまわっていても ・・・ 怠けていることではないでしょうか。







愚か・・・「 わかっちゃいるけど やめられない 」

2013-01-31 08:30:50 | 原発震災避難者


近隣




植木等の歌に 「 スーダラ節 」 というのがあります。


この歌の最後は 「 わかっちゃいるけど やめられない 」 という言葉でおわります。


なにかちょっと聞くと いかにもふざけているようですが ・・・
そこには 人間のどうにもならない深い悲しみが歌われているのではないでしょうか。


 「 愚か 」 ということは こういういのちの内実をいっているのだ ・・・ と思います。






悪いこと とわかっています ・・・

2013-01-31 05:25:51 | 原発震災避難者


近隣



うそをいわない

人にこびない

人のかげ口を言わない

・・・ 私にできぬことばかり


ほんとうにそうですね。


うそをつくことも

人にこびることも

人のかげ口を言うことも

・・・ みんな悪いこととわかっています。

わかっているから 否定するのです。


しかし どれだけ否定しても

はたして そのことひとつやめられる ・・・ 私どもでしょうか。







可能性いっぱい

2013-01-30 20:30:56 | 原発震災避難者


近隣



「 ああすればよかった こうすればよかった 」 と

過ぎ去った方向ばかり見てきた後ろ向きの自分から

「 ああもできる こうもできる 」 と

今 目の前の成そうとすることだけに目を向ける

・・・ 可能性いっぱいの自分。







孤児・・・共稼ぎの子ども

2013-01-30 16:21:40 | 原発震災避難者


近隣 ・・・ 元集団避難所の庭




ある共稼ぎの夫婦のところのはなしです。

 奥さんはマイカーでご出勤。出がけに一児を保育園にあずけ 帰宅の途中 彼を「拾って」帰る。今の世には 珍しくもない例でしょう。


 ある日のこと 家の近くにきたとき 子どもが母親にいったそうです。
「 ぼくをここで降ろして。おかあさん 先に帰って 」
「 どうしてそんなことするの ? 」
「 ぼくがお玄関をあけて ” ただいま ” っていうからね。そしたら ” おかえり ” って いってほしいの 」


 この子も ・・・ ” 孤児 ” なのです。






むかし こどもに ・・・

2013-01-30 12:01:46 | 原発震災避難者


近隣 ・・・ 元集団避難所の前



むかし こどもに 「 あそび 」 がありました。

むかし こどもに 「 かせぎ 」 がありました。

むかし こどもに 「 用 」 がありました。


そして

むかし こどもに 「かざり 」 がありました。

・・・ 自分で作った自然の花かざりなど ・・・


むかし むかし ・・・ とくりかえすのは

いまに ・・・ 不満と 不安を感ずるからです。







カッとなってもいいんです ・・・

2013-01-30 08:10:40 | 原発震災避難者


近隣 ・・・ 元集団避難所前




 いまの若い親が子育てに自信がもてないという不安を抱えているのは ある程度理解できるところがあります。
しかし ・・・ みんな少し神経質になりすぎていないでしょうか。

 たとえば叱るときでも 子どもの態度や行動が生活していく上で常識(感覚)をあまりにはずれていると思ったら 感情的にカッとなってもかまわない ・・・ と思います。

 問題は 常識(感覚)の幅がどれくらいかということですが ・・・ 

 まあ ふつうに生きていて 「 こんなことは許せない 」 とか 親自身の人生にとっても 「 こういうことはどうしても不愉快だ 」 と感じたら カッとなるのは当たり前ですし そういう対応でいいんじゃないでしょうか。
 叱ると子どもの自主性の芽を摘んでしまうのではないか といった考えに極端に支配される必要はないと思います。

 良心的な親ほど 自分のやっていることに自信を失い 不安に駆られ ・・・ 叱ることを躊躇( ちゅうちょ )しているのではないでしょうか。


 親としてどんなかかわり方をするかは 子どもの年齢によるところが大きいと思います。
思春期以降になってもべたべたしているのは問題ですが ・・・
 ごく小さいときには 親密にかかわることがとても大切だ ・・・ と思います。
ある年齢に達するまでは子どもとよくつきあって よく遊ぶ。
 そうした時間の共有を通して 人間の世界はこんなに奥深いんだということを実感させたり ルールというものがこの世界にはあるんだということを体でわからせたりすることが大事だ ・・・ と思います。


 また子どもの小さい間は 一方では思う存分自由にのびのびさせる時間があってもいいと思うんですが ・・・
もちろん この「自由にのびのび」の理念が 無原則になっていて だらだら ぐだぐだになってはいけない ・・・ と思います。

 深夜 10時過ぎたファミレスやコンビニに 二歳児ぐらいの子どもを平気で連れてきている若い親をよく見かけますが ・・・ 嘆かわしい限り ふつうではなく 「 オロカ 」というしかありません ・・・ 。






いったい何が幸福 ?

2013-01-29 19:46:06 | 原発震災避難者


近隣



馬と猫と

「 いったい何が幸福であろうか 」 と相談し合いましたが

話がまとまらなかったといいます。


八卦見の言うように

人生どうあったらいい

どうあったら悪いと

・・・ キマッテいるものではありません。