負けてらんにぇ ! みんなでなんとかすっぺ !!

南相馬市から新潟県三条市へ集団避難→同市内の雇用促進宅に→2015.2~同市内の戸建に転居 妻と二人暮らし。

「 初老 」 ・・・ 四十歳

2015-01-13 18:29:04 | 原発震災避難者


大遠足



「 初老 」とは

老人の域に入りかけた年のことで

通常 四十歳 ・・・ をいいます。


四十歳といえば

まだ若さの絶頂期などと

思っている人が多いようですが

老化現象が ・・・ そろそろ現れる頃ですね。


「 四十がったり 」 : 体力の衰えを感じたり

「 四十暗がり 」 : そろそろ老眼がはじまって視力が衰え

「 四十肩 ・ 四十腰」 : 原因不明の痛みが走り ・・・


四十歳になると

成熟期を終えて 血管の老化がはじまり ・・・

いわゆる 老化現象の始まりが

「 初老 」 ・・・ 四十歳というわけです。



強がりを言っても ・・・ 仕方のないはなしですね。










胴長短足 ・・・ 理想 ②

2015-01-13 15:24:15 | 原発震災避難者


大遠足



世間ではよく

時代に流されるとか

風俗流行に巻き込まれるとか

言いますが ・・・


いつの間にか アレヨアレヨという間に

足は細く 長いのがよい

・・・ ということになってしまいました。


昔は ・・・ いちおう 昔ということにしておきましょう

昔は 足が短いのが良かったのです。


胴を安定させ 重心を落として歩こうと思えば

短いほど具合がよかったのです。


短足そのものが 理想というより

からだの低い重心が ・・・ 理想であったのです。

短足は

その理想にともなって出てくる

当然の一条件にすぎません。


夏の阿波踊りでも

近頃の若い人は 足がうまく動かない ・・・ と聞きました。

足が動かないとは

膝を曲げ からだをねじる激しい運動ができない

・・・ ということでしょうね。

最近は 足の動きが少なくなってきた

・・・ という嘆きの声も聞きました。


おおざっぱにいって 大正のころまでは

膝を自由に曲げること

そのためには

胴長短足がいいというのが

人のからだの「 理想 」だったようです。


それがいつの間にか

アッという間に ・・・ ひっくりかえってしまいました。







胴長短足 ・・・ 理想 ①

2015-01-13 12:23:31 | 原発震災避難者


大遠足



足のことで悩む女性が多いようですね。


短いとか 太いとか

考えてみると ・・・ ふしぎなことです。


どうして 短いのがいけないのか

どうして 太いのがいけないのか


そもそも 短いとか 太いとか

何に対して 何を基準にして

・・・ いうことなのでしょうか。


このあたり 理想も イメージも

茫漠としており ・・・ つかみどころがありません。


まして

細いのを ・・・ 良しとし

太いのを ・・・ 悪しとする価値観の詮索など

たとえば 現実に足のことで悩む人にとっては ・・・


ひま人の ・・・ 詮なき空論でありましょうね。







筍 ・・・ タケノコ

2015-01-13 09:22:44 | 原発震災避難者


大遠足



漢字で「 筍 」とも書くように

旬のある食べ物のシンボル ・・・ タケノコ(竹の子)は

「 雨後のタケノコ 」というように 次々と地面から顔を出し ・・・

10日もたつと 硬くなって 食べられなくなってしまいます。


10日を意味する「 旬 」に 竹かんむりがついた「 筍 」は

それだけ成長の早いことをあらわし

成長が早いだけに ・・・ 老化も早い

つまり 旬のうちはおいしく食べられますが ・・・

それを過ぎたら

もう食べられない ・・・ 「 竹 」になってしまうのです。


なにか ・・・ 象徴的ですね。







足 ・・・ 闇の中

2015-01-13 06:41:33 | 原発震災避難者


大遠足



一日一度も顔を洗わない。 ・・・ そういう人は珍しい。


道元さんが 中国に修行行って以来

洗面と楊枝( ようじ )ということが

・・・ 社会習慣になってしまいました。

そして 毎日一回は 鏡でわが顔を眺めます。

・・・ そんな習慣を 文明人は身につけてしまいました。


しかし 毎日一回 三里のツボをもんでみる

という人には ・・・ めったにお目にかかりません。


「 三里って何 ? 」 ・・・ と問う人もいます。

たいていは 「 そんな非科学的な 」 ・・・ という顔で笑います。


足の裏には

湧泉( ゆうせん )という大事なところがあって

と述べても ・・・ いっときの冗談のように受け取られます。


顔を鏡に映すことはあっても

足の指を しげしげと眺めることは少ない。

水虫かウオノメでもできないかぎり ・・・



足は ・・・ 社会的意識の闇の中に沈んでいます。