『五木寛之の百寺巡礼』を往く

五木寛之著「百寺巡礼」に載っている寺100山と、全国に知られた古寺を訪ね写真に纏めたブログ。

31 秋篠寺

2023-09-09 | 奈良県

第5番 秋篠寺

市井にひっそりとある宝石のような寺

 

 

奈良の古都巡りは平成16年に次いで二度目。今回は3泊4日の独り旅でフルに古寺を楽しみたい。秋篠寺は前回に奈良巡りをした際に参拝の予定だったが、途中道に迷い引き返す羽目になり、今回再チャレンジの寺である。

寺は奈良市街地の北西、西大寺の北方に位置する。奈良時代の法相宗の僧・善珠の創建とされ、地元の豪族秋篠氏の氏寺ともいわれているが、創建の正確な時期や事情はわかっていない。宝亀7年(776)、皇后の井上内親王と、その子で皇太子の他戸親王を廃して死に至らしめた光仁天皇の勅願により善珠が創建したともいうが、これは鎌倉時代の文書に見えるものである。文献上の初見は「続日本書記」に宝亀11年(780)、光仁天皇が秋篠寺に食封一百戸を施入したとあるもので、この年以前の創建であることがわかる。創建時は法相宗の寺院であった。「日本後紀」よれば、延暦25年(806)に崩御した桓武天皇の五七忌が秋篠寺で行われたことが見え、皇室とも関連の深い寺院であったことがわかる。

保延元年(1135)には火災により講堂以外の主要伽藍を焼失した。現存する本堂(国宝)は、旧講堂の位置に建つが創建当時のものではなく、鎌倉時代の再建による。

 

参拝日    平成30年(2018)10月1日(水) 天候晴れ

 

所在地    奈良県奈良市秋篠町575                           山 号    なし                                     宗 派    単立                                     本 尊    薬師如来                                   創建年    亀喜7年(776)(伝)                             開 山    善珠(伝)                                  開 基    光仁天皇(勅願)                               文化財    本堂(国宝)                                 文化財    薬師如来 伎芸天立像、地蔵菩薩立像、大元帥明王立像(国重要文化財)

 

秋篠寺は住宅街の一角にひっそりと建っている。おそらく団体の参拝などはないのだろう。

 

 

塀で囲まれた大きな林の中が境内である。

 

 

境内図

 

 

 

東門 もう一つ南門があり、そちらが正門になるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

東門を境内の中から。

 

 

東門を入り左に折れて境内をすすむ。

 

 

香水閣  東門を入り直ぐ左手にある井戸「香水井」である。平安時代の初め、僧常暁が当時の閼伽井の水面に映る大元帥明王像を感得したという故地である。

 

 

境内は木々が生い茂り静かな寺という感じがする。

 

 

地表面には、緑深い苔に覆われさらに静寂さが感じられる。

 

 

 

 

 

間もなく受付所があり、ここで拝観の手続きをする。

 

 

 

 

本堂【国宝】  鎌倉時代の建立で、講堂の跡地に建てられた。当時の和様仏堂の代表作の1つである。全体に保守的で簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式を示す建物である。

 

 

正面の桁行5間、側面の梁間4間(「間」は長さの単位ではなく、柱間の数を意味する用語)。屋根は寄棟造、本瓦葺き。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間とする。正面の柱間5間は中央3間を格子戸、左右両端の間を連子窓。

 

 

 

 

 

 

 

和様建築では柱上部の頭貫以外には貫を用いず長押を使用するのが原則だが、この建物では内法長押の下に内法貫を使用し、内部の繋虹梁も身舎(もや)側では柱に差し込むなどの新技法が使われた。

 

堂内には本尊薬師三尊像を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像、帝釈天立像、伎芸天立像などを安置する。写真は伎芸天立像【国重要文化財】  見方によっては少々首を傾げ妖艶さのある仏像に見える。  

 

 

本尊の薬師如来坐像【国重要文化財】 左手に薬壺、右手に施無畏印(せむいいん)。

 

 

本堂を横から見る。

 

 

本堂の前庭。

 

 

受付け所方向を見る。

 

 

鐘楼および梵鐘。

 

大元堂   本堂の西側にある堂宇。秘仏の大元師明王像を安置する。わが国最古の大元帥明王像で年一回6月6日に開帳。 大元帥明王は、激しい怒りの形相をしている「勝負の神」で、「元帥」という肩書きの由来になっている。

 

常暁律師があまりうるさい雷をとらえて、この石の下に埋めたという。また、寺には雷様のヘソまで保存されているという。

 

 

本坊・庫裡の入り口門。

 

 

 

 

 

 

 

 

役行者石 本堂に向かって左手奥の小さい覆屋に安置されている。上部を丸め、周囲の輪郭を粗造りした中に役行者像と前鬼・後鬼を半肉彫りする。

 

 

南門  こちらが正門となる。

 

 

 

 

案内図

 

 

五木寛之著「百寺巡礼」からーーー秋篠寺の苔も何十年、いや何百年という時をへて、いまの美しい状態になったに違いない。ビロードのようななめらかな手触り。まさに苔の絨毯である。その緑の濃淡がm、立って見る位置によって微妙に違う。一歩下がってみたり、ずっと近づいて見たり、いつまで眺めていても飽きない。一瞬一瞬の天候の変化に応じて、雨に濡れているときは、苔がしっとりとしてうつむいている。日の光が当たっているときは、苔が輝いて喜んでいるように見える。まるで繊細な音楽を奏でているようだ。耳を澄ませると苔のシンフォニーが聴こえてくる。いままでにも、あちこちで美しい苔の庭は見てきたつもりだった。しかし、この”苔の海”は空前絶後の美しさだ。不謹慎ながら、この上に寝ころんだらどんなに気持ちがいいだろう、とさえ想像してしまう。ため息が出そうなほど素晴らしい。

 

御朱印 なし  代わりに案内パンフ。

 

 

秋篠寺 終了