お寺の名称は願成寺だが、ふつうは白水阿弥陀堂の名で知られている。いわき市の白水地区にある阿弥陀堂なのでそのままの呼称である。福島県内唯一藤原時代の建造物で、唯一の国宝建造物である。常磐自動車道を北上し、茨城県から福島県に入って間もなく、いわき湯本インターで降り、山間の曲がりくねった細い道を6Kmほど進むと国宝白水阿弥陀堂に到着する。ここには2日目となる、1回目は2年ほど前の夏に伺ったが定休日で参拝することはできなかった。今回あたらめて初詣も兼ねて参拝することとなった。1月の三連休の最初の土曜日、思っていたより常磐道は空いており、すいすいと到着してしまった。真冬のさなか寒いのは当然だが、より寒く感じたのは池に囲まれた山あいの盆地で冷たい空気が沈んでいるのではないかと思うくらい寒かった。正月が明けて間もない時期だが、参拝客はほんのちらほらと少ない。 春は新緑や桜、夏は池の蓮の花が開き、秋は紅葉にと四季の変化に恵まれた地であるが、冬場に参拝者が少ないのは、冬は何もないのでいたってつまらないせいかもしれない。

白水阿弥陀堂は、、平安時代末期の永暦元年(1160)に、岩城則道の妻になった藤原清衡の娘・徳姫によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立。阿弥陀堂はその後、鳥羽上皇により勅願寺とされた。江戸時代には徳川将軍家より寺領10石を与えられるなど、歴代の将軍にわたって保護され、現在に至っている。阿弥陀堂は近くに所在する願成寺の所有であるが、池を含む浄土庭園の大部分はいわき市の所有・管理になっている。「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を二つに分けたもので、岩城氏の本拠地であった「平」という地名の由来も平泉の平を取ったものだという説がある。

2011年(平成23年)の東日本大震災による損傷を受け、阿弥陀堂の拝観が中止されたが、平成24年(2012)7月に修復が終わり再開された。同時に損傷した所蔵の阿弥陀如来坐像と持国天像の修復作業が行われた。

 

参拝日       令和2年(2020) 1月11日(土) 天候曇り
 
所 在    福島県いわき市内郷白水町広畑221                     山 号    菩提山                                   寺 名    願成寺                                   宗 派    真言宗智山派                                本 尊    阿弥陀如来                                 創建年    永歴元年(1160)                             開 基    徳姫(磐城則道の妻)                            札所等    磐城三十三観音4番                             文化財    阿弥陀堂(国宝)
                     

 参道の様子  面影は片田舎のお寺。白水 3

 
 
 
 
案内図。
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堂への入口。
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参拝手続きはコチラで、受付の方は奈良や京都の寺と異なり素直な感じを受ける。御朱印はこちらで受ける。
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お堂は池の中に島があり橋を渡っていく。橋の名は判らない。
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橋を渡って入り口側を見る。
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反り橋を渡り中島を経由して平橋を渡る。
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平安時代に造営された庭園は池を取り入れ浄土式の大規模な庭園である。朱塗りの反り橋を望む。橋の手前の此岸と呼ぶ現世から反り橋を渡り中島を経由して、平橋で彼岸と呼ぶ来世へ向かう極楽浄土に辿りつくようになっている。訪れる人々は二つの橋を渡ることで、生きたまま極楽浄土を垣間見ることができるといわれている。このような参拝方式では、横浜の称名寺(当ブログ42)が有名。
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浄土式庭園。   平安時代中期の武将・岩城則道の正室となった徳姫は、夫の死後にその菩提を弔う為、白水と呼ばれるこの地に願成寺を建立した。徳姫の故郷である平泉の毛越寺などを参考にして広大な浄土庭園を造った。 毛越寺(当ブログ27)の州浜の造りに似た感じ。
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日本庭園では自然の景観を写すことが重要なテーマで、日本各地の海や海岸線を模した池泉がつくられた。その際に、砂浜を表すために用いた手法が州浜である。州浜のある出島石組の先に池中立石がが見られる。
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出島石組の先にある池中立石。  白いのはカラスの糞だ。
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小島があるが島の名は判らない。 実は池にも橋にも名がない(?)のである。
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境内は池の中島に阿弥陀堂がある。堂は東・西・南の三方を池に囲まれ、北・東・西は山で囲まれていて、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は平安時代末期に流行った浄土式庭園の様を成している。
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境内の木々の下、地表は苔で覆われている。
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阿弥陀堂【国宝】  正面・側面とも柱が4本立ち、柱間が3間となる方三間の単層宝形造。屋根はとち葺き。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることから、平泉の寺院構造に影響を受けている。白水 9

 

 

 

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お堂の入り口。  堂の外周には切目縁とした濡れ縁が設けられている。
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堂内は内陣の天井や長押、本尊背後の壁面に荘厳な絵画が描かれていたが、現在は一部に痕跡を残すのみである。内部は撮影禁止であるので外から
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堂内は内陣の天井や長押、来迎壁(本尊背後の壁)などが絵画で荘厳されていたが、現在は一部に痕跡を残すのみとなってしまった。 外陣の天井は折上小組格天井。
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内陣の須弥壇上には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の、観音菩薩像で子年生まれの人を守り、勢至菩薩像は、午年生まれの人を守る。ならびに東方を守る持国天と北方を守つ多聞天の計5体の仏像が安置されている。(写真は白水阿弥陀堂のHPより)
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軒下木組みの造り。
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堂の裏側。 柱間の外壁は横羽目板張り。
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冬の阿弥陀堂。(白水阿弥陀堂HPより)
 
 
 
 
 
お堂から境内入り口方面をみる
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境内の大銀杏は当時のものだろうか この太さ・・・・・。
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真冬の白水阿弥陀堂の池風景。
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境内全体の広さは約3000坪という 東側から見る
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夏の蓮の花。 (写真は白水阿弥陀堂のHP)
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5月にはあやめが見ごろに。
 
 
 
 
 
秋の紅葉。  (写真は白水阿弥陀堂のHP)
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このように美しい庭園も、約60年前に復元されたもの。

庭園は昭和36年(1961)に防災用水池を造成する際に、その存在が明らかになる。その後の調査によって、平泉文化と関連が深い浄土式庭園で、当時の仏教文化を考えるうえで大変貴重なものと判明。昭和41年(1966)に、「白水阿弥陀堂境域」として国指定史跡に指定。その境域は東西約220m、南北約330mの広さで、内院と外院に分かれていたと考えられ、現在の願成寺はかつて境域に存在していた大坊が元禄年間(1688-1704)に改称されたものと考えられる。この広大な境域の再現に、いわき市が国県の補助を得て、昭和43年(1968)から境域復元整備事業に着手し、東池、西池などを整備。次いで昭和53年(1978)には内院整備、さらに外院は昭和57年(1982)から昭和60(1985)年度まで整備が行われた。さらに周辺を市民の憩いの場とするため、園路広場、植栽、休憩所などを平成5年(1993)年まで行った。このような経過を踏まえ古の藤原時代の姿が甦ったのである。
かつてはもっと広く西側に広がっていたと考えられるが、外院の西側には明治時代以降の石炭開発などで移り住んだ家屋が建っているため、まだ完全復元には至っていない。(いわき市HPより)

復元前の阿弥陀堂航空写真。堂宇の周りは民家と田畑になって、池の存在はみあたらない。(写真はいわき市HPより)。

 

 

境内手前の駐車場 観光案内所がありコチラでパンやまんじゅうなどが売っている
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本堂を管理する願成寺本院。
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案内書

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案内図
 
 
 
 
 
 
 
五木寛之著「百寺巡礼」よりーーー最近しきりに考えるようになったのだが、この世にいない人を思うということは、非常に大事なことではないか。たとえば、こうして仏の前に座って亡き人を偲ぶ。この「偲ぶ」という字は、とても味わいのある字だという気がする。ただ感傷的に思い出にふけるだけではなく、今は亡き人たちのさまざまなことを想像する。すると、そのことで自分の乾いた気持ちに潤いを与え。こころと身体をリフレッシュにさせることが出来そうに思えるのだ。人間は、明日を夢見ることも大事だが、明日をふり返って感慨にふけることも、また、とても大事なのではなかろうか。近代化していく時代の中で、私たちはいつのまにか、さまざまな年中行事と縁遠くなってしまっている。しかし、本当は、宗教的ないろいろな行事をたくさん持てば持つほど、「いま」ということが大切に思われ、いきいきと輝いてくるのではないか。
 

 
 
 
御朱印
 
 
 
 
 
白水阿弥陀堂 終了
 
 
 
(参考文献)  
五木寛之著「百寺巡礼」第七巻 東北(講談社刊) 国宝白水阿弥陀堂HP  いわき市HP           フリー百科事典Wikipedia