詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

循環する欲望

2016年03月18日 | 
欲望はひとを
遠くに連れていくかもしれない
だけどねじくれて
たくさんのヒトとモノとカミを巻き込み
世界を複雑にする

いつか公園で見た木は川へ落ち込む斜面に
巨大なタコのような長い脚を
にょきにょきとのたうちまわらせて
頭をぐっと上にもたげ落ちるまいとして
絶妙なバランスで踏ん張っていた

ひともそのように欲望の脚を
にょきにょきとのたうちまわらせて
落ちまいとして踏ん張っている
脚はもつれ合い
もうどれが誰のだか
自分のだかひとのだかも定かでない

わたしは今日
七十歳を越える両親と実家の近所を散策した
わたしのものらしく見える二本の脚で
何十年の太った動線のあとに
新しい角を折り新しい線を引いていくと
知らない景色が広がっている
知らないことが懐かしい街
父は以前見つけたという
イーハトーブを見せたがった

雲は多かった
光も多かった
わたしたちの顔は翳ったり
明るく照らされたり
風に強く吹かれたりした
髪がそれぞれで
同じように踊った
父が天を指差す
見上げると青さの中で
雲からちぎれ
飛行機がまっすぐに伸びていった
真っ白で紙飛行機みたい
母が言った

欲望はひとを
強く太くすることも知っている
けれど空と直結している
こういう単純さもいいと思う昼下がり
わたしはただ
薄まっていくばかり
暇を持て余した小学生の夏休み
幾度も読んだ本を投げ出して
部屋に差す光が弱くなっていくのを
じっと見ていた午後のように

暮れていくのも悪くない
カーペットに丸くなりほおづえついて
そんなことを考えていると
煮ているカレーが吹きこぼれた
あわてて火を弱め蓋を開けた
わたしもときどき吹きこぼれる

遅くなるからやっぱり昼ごはんを一緒に食べずに帰ると言うと
四十近い娘なのに
父の目じりと口角が
ほんのわずかに下向きになったのを見逃さなかった
そんな表情を見てしまえば
四十近い娘もしばらく薄荷のような空気を噛む
小さな場所にいるほど
遥かなものを見ようと眼を細めるのはなぜだろう

わたしたちも遠い昔
氷河期や干ばつをくぐり
腰が折れるほど落ち穂拾いをし
戦地に赴き
自分の裏切りを
仲間の眼玉の中に見せつけられ
遠くない未来
人が作ったものに捨てられ
死んだ星の化石となるさだめ

絆と言われる撚り合せも
見えない両端から強くひっぱられて
糸がぷちぷち切れていく

だから……
(いつも弱くなった自分をくぐり抜ける
頭を低くして)
上手に忘れよう
これまでも幾度も生まれ変わってきたように
勇気を出して
まるでいまここしかないかのように
いまが永遠のように
過ぎていく時間を前に王様のように振舞おう

私はもう一度生まれよう
閉じずに開こう
想定されている返事を追いかけるのではなく
ひとつひとつみずみずしく出会いたい
そんな欲望が堅くなってきた皮膚の下で
いまも何度でも新しく育ち続ける
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