詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

美しいに至る道

2018年03月07日 | 

美しいという言葉は美しい
そう思うのは歴史だろうか

生きているわたしは
いま歴史の最先端に立っていて
そのわたしがそれを美しいと認識するまで
わたしが美しいと思うものを造ったひとが
その分野の伝統を学ぶまで
その分野の美しいがいまの姿に至るまで

わたしが何かを美しいと
思うに至るには長い歴史が必要で
わたしが美しいと言いたくなるものを
造るひとが美しいを学ぶまで
その道でいまの美しいができあがるまで

美しいという形容は薔薇のような襞で
次々に剥かれていく花びら
わたしが何かを美しいと思うようになること
それは一瞬で生まれたわけではない
とあるとき暗い廊下にうっすらと光が射すように思った

たとえば金とラピスラズリの青
ネアンデルタール人が描いた牛から
そこへ至るまでの道
そこからただ水平線をあらわす
一本の線と淡い色だけの画布に至る道

それが美しいと思われるに至るまで
それが美しいとわかるまで
わたしがそれを学ぶまで

目には見えない長い時間の
気の遠くなるような歳月の練磨と道筋

美しいが美しいに至るまで
花の形が広がり重なり開かれるまで
十字架の光が人の胸の奥に至るまで

試行と錯誤を縦の線と横の線で繰り返し
言葉のない世界から文字が生まれ

やがてペンを幾度も持ち替えて
クシャクシャに丸めた紙を幾つも咲かせる
贅沢もゆるされる世界になり

植物から油を絞るように
あらゆる野蛮を絞りに絞って
ひとの連なる鎖をのぞきこんで
わたしが美しい
という言葉を学ぶのに
どれほどの夕暮れがあったのだろう
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