シャドー
2015年01月06日 | 詩
コーヒーにクリームと砂糖を入れるなら
まずは砂糖を入れてスプーンでかき混ぜ
クリームをカップのふちから垂らすといい
と喫茶店でアルバイトをしているとき
ママが実演しながら教えてくれた
外の眩しい陽光から
振り返って白いドアに手を掛け
店内に入ると一瞬、真っ暗な洞穴のよう
もくもくとタバコとコーヒーの匂いが立ち込め
入って三歩の右側にあるステレオから
コントラバスが低いベース音を
ボンボンボンと響かせると
それは大きな舟のようで
みんなして安心してそこに乗っかっている
入り口からまっすぐ縦にぽつぽつと
マスターと向かい合って
カウンターに座るのは大抵常連さん
遅番で行けば
ドアにつけたベルのカランという音と共に
振り向いて手を軽く上げ「やあ」
と言ってくれることもある
私の定位置は奥
カウンターの横に立って
飛び交う視線や言葉や気持ちのバウンドを
異様に大きくなったり小さくなったりしながら見つめていた
小さな空間の中では
蝶が舞うことも
火花が散ることも
あだ花が咲いていることも
一葉が大海に投げ出されていることも
泡と笑いが弾け
ヴァイオリンの弓が艶めくこともあった
一緒に夢見た
いつのまにか当たり前のようにしていたけど
そういえばママに教えてもらったんだっけ
コーヒーに砂糖を入れて
スプーンでかき混ぜたあと
たまごのような容器に入ったクリームを縁から垂らすと
白い鍾乳石が黒い洞穴の中に
ぽこりぽこりとできてくるりと一周する
くっきりとしたひとつひとつの鍾乳石の
ひょうきんならっきょう形が
くずれるにつれて黒に溶けていき
黒は小麦色に変わっていく
白はエッフェル塔を展開したような
幾何学模様をレースのように編み込む
少しずつ形を変えて幾重にも重なり
それぞれの形を保ったまま、揺れて
互いの模様の重なり具合を幾通りも試して
楽しんでいるかのよう
のぞいていると底のほうから
じんわりと浮かんでくる
私の中にいろんな人の影が映ろう
道の途中でしばしの休み
職場からも家族からも
もしかしたら恋人からも
離れて
もうひとつの心の場所
その横で水差しを持って立っている
通行人Aにすぎない
頭から不安と自意識過剰のもつれた蒸気を
タバコとコーヒーに負けぬくらい
ぽっぽと立ち昇らせている滑稽な小娘
そんな小娘にも常連さんたちは
笑顔や会話、本やアドバイス
余った音楽会のチケット
その時々で持っているものを気前良く
懐からさっと出してはわけてくれた
小娘はその二年半ほどの間
マスターとママ、常連さん達が
長い時間をかけて掘ってきた洞穴の奥に仮住まいして
半分外で半分中のようなその場所で
おっかなびっくり人生をのぞいていた
それが許されるほど守ってもらっていた
ハリネズミぐらいビビり屋の小娘にとっても
もうひとつの心の場所だった
カウンター越しに
洗い物をするママといつも人生の話をした
私、早くおばあちゃんになりたいんです
二十歳も過ぎていたのに
まだ人生が始まっていないと思っていた
人生という言葉に憧れながら
留保を胸に抱えたまま
ずっとプールサイドを歩いて
向こう側に行ってしまいたかった
がらんとした時間、折り畳み式のイスに座っていると
薄暗がりの中にモスクを細長く伸ばしたような宮殿が建っていた!
奇跡の目撃者は私だけ
すぐに崩れて消えてしまった
外からの光と沸かしているお湯の蒸気とが
コーヒーを淹れる器具のシルエットを
空中に映し出していたのだった
ことことことことやかんが揺れていた
大人だって完成されていない
ずっと発展途上だと
そこで少しは学んだかもしれない
肩の力を抜きなさいと何度も言われたっけ
常連さんのうちの何人かは亡くなり
何十年も続いていた喫茶店そのものも
おととし、閉められた
行き場所を失った常連さんたちは
ときどき小さく寄り集まって
肩を温め続けているらしい
急に光が射してきた
友人達と何気なく立ち寄ったこの喫茶店は
ビルの二階にある
角を挟んで二辺に横長の大きな窓が開いていて
道を隔てたすぐ向こう側の白い建物の
明るい影のささやきが近い
店の様子も味もぜんぜん違うけど
私の鎧も変ったけれど
コーヒーとクリームの
黒と白の
繊細な遊戯はいつまでも変わることがない
とふと思った
変わらずカップをのぞきこむ私を
小さなお気に入りの場所に
そっと座らせてくれる
まずは砂糖を入れてスプーンでかき混ぜ
クリームをカップのふちから垂らすといい
と喫茶店でアルバイトをしているとき
ママが実演しながら教えてくれた
外の眩しい陽光から
振り返って白いドアに手を掛け
店内に入ると一瞬、真っ暗な洞穴のよう
もくもくとタバコとコーヒーの匂いが立ち込め
入って三歩の右側にあるステレオから
コントラバスが低いベース音を
ボンボンボンと響かせると
それは大きな舟のようで
みんなして安心してそこに乗っかっている
入り口からまっすぐ縦にぽつぽつと
マスターと向かい合って
カウンターに座るのは大抵常連さん
遅番で行けば
ドアにつけたベルのカランという音と共に
振り向いて手を軽く上げ「やあ」
と言ってくれることもある
私の定位置は奥
カウンターの横に立って
飛び交う視線や言葉や気持ちのバウンドを
異様に大きくなったり小さくなったりしながら見つめていた
小さな空間の中では
蝶が舞うことも
火花が散ることも
あだ花が咲いていることも
一葉が大海に投げ出されていることも
泡と笑いが弾け
ヴァイオリンの弓が艶めくこともあった
一緒に夢見た
いつのまにか当たり前のようにしていたけど
そういえばママに教えてもらったんだっけ
コーヒーに砂糖を入れて
スプーンでかき混ぜたあと
たまごのような容器に入ったクリームを縁から垂らすと
白い鍾乳石が黒い洞穴の中に
ぽこりぽこりとできてくるりと一周する
くっきりとしたひとつひとつの鍾乳石の
ひょうきんならっきょう形が
くずれるにつれて黒に溶けていき
黒は小麦色に変わっていく
白はエッフェル塔を展開したような
幾何学模様をレースのように編み込む
少しずつ形を変えて幾重にも重なり
それぞれの形を保ったまま、揺れて
互いの模様の重なり具合を幾通りも試して
楽しんでいるかのよう
のぞいていると底のほうから
じんわりと浮かんでくる
私の中にいろんな人の影が映ろう
道の途中でしばしの休み
職場からも家族からも
もしかしたら恋人からも
離れて
もうひとつの心の場所
その横で水差しを持って立っている
通行人Aにすぎない
頭から不安と自意識過剰のもつれた蒸気を
タバコとコーヒーに負けぬくらい
ぽっぽと立ち昇らせている滑稽な小娘
そんな小娘にも常連さんたちは
笑顔や会話、本やアドバイス
余った音楽会のチケット
その時々で持っているものを気前良く
懐からさっと出してはわけてくれた
小娘はその二年半ほどの間
マスターとママ、常連さん達が
長い時間をかけて掘ってきた洞穴の奥に仮住まいして
半分外で半分中のようなその場所で
おっかなびっくり人生をのぞいていた
それが許されるほど守ってもらっていた
ハリネズミぐらいビビり屋の小娘にとっても
もうひとつの心の場所だった
カウンター越しに
洗い物をするママといつも人生の話をした
私、早くおばあちゃんになりたいんです
二十歳も過ぎていたのに
まだ人生が始まっていないと思っていた
人生という言葉に憧れながら
留保を胸に抱えたまま
ずっとプールサイドを歩いて
向こう側に行ってしまいたかった
がらんとした時間、折り畳み式のイスに座っていると
薄暗がりの中にモスクを細長く伸ばしたような宮殿が建っていた!
奇跡の目撃者は私だけ
すぐに崩れて消えてしまった
外からの光と沸かしているお湯の蒸気とが
コーヒーを淹れる器具のシルエットを
空中に映し出していたのだった
ことことことことやかんが揺れていた
大人だって完成されていない
ずっと発展途上だと
そこで少しは学んだかもしれない
肩の力を抜きなさいと何度も言われたっけ
常連さんのうちの何人かは亡くなり
何十年も続いていた喫茶店そのものも
おととし、閉められた
行き場所を失った常連さんたちは
ときどき小さく寄り集まって
肩を温め続けているらしい
急に光が射してきた
友人達と何気なく立ち寄ったこの喫茶店は
ビルの二階にある
角を挟んで二辺に横長の大きな窓が開いていて
道を隔てたすぐ向こう側の白い建物の
明るい影のささやきが近い
店の様子も味もぜんぜん違うけど
私の鎧も変ったけれど
コーヒーとクリームの
黒と白の
繊細な遊戯はいつまでも変わることがない
とふと思った
変わらずカップをのぞきこむ私を
小さなお気に入りの場所に
そっと座らせてくれる
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