詩と写真 *ミオ*

歩きながらちょっとした考えごとをするのが好きです。
日々に空いたポケットのような。そんな記録。

あなた わたし

2015年06月22日 | 

あなた

わたし

あなた

わたし

あなた
と言って
わたし
と言うとき

あなたとわたしのひろがりに
図書館があって
思い思いの窓辺に座って
互いの本を読んでいる
伏線を探し
引用したい箇所は山ほど
行間に息を吹き込み
どこかにそっと爪痕を残すことを忘れない


あなた

と言って

わたし

と言うとき

あなたはビー玉の夜をドライブしている
オーロラの襞の間から見える横顔では
怒っているのか運転に集中しているのかわからない
わたしは夢の登場人物の一人で
指先がかすれている


あなた       わたし

あなた
と言って
わたし
と言うとき

あなたとわたしの間には
長い廊下があって
柱と交互に並ぶ細長い窓が
壁と絨毯に白い筋をいくつも投げかけてほの明るい
静けさに心の足音が聞こえる


あなた
と言って

わたし
と言うとき

どれほど多くを交わしあっても
決して混ざらない
水のようにひんやりと
ひとりとひとりであることを感じて
よろこびにふるえる
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

みんなが次の言葉を

2015年06月18日 | 雑記
みんなが次の言葉を待っていた。
いつのまにかノートを広げたまま眠っていた。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誰かの祈りを想ってみる

2015年06月16日 | 
濁音の始まりを探すと
美しい教会の雨樋を流れる雨
開いた傘を揺すりながら
ステンドグラスの下の
長方形の煉瓦の壁を辿り
正面に立つと
開け放った扉から
祈りの歌が聞こえる

まっすぐに伸びていく気持ちが
堂内に反響しているのだろう
すぐ隣に立つ人の今朝の光景さえ
知ることはできないけれど
ただこのときは光合成をするように
ただひとつの方向を見あげて声を合わせる
一歩退いて
自分を外側にして
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大げさな話

2015年06月14日 | 雑記
高松にいるときに勤めていた会社の同僚が研修のため東京へ来たので、同じく高松で一緒に働き、いまは異動になって東京で働いている課長と三人で東京散策。歩くのが好きな三人なので四谷から始まり、飯田橋やお茶の水などをぶらぶらと、たまにビールも飲みつつ、あの建物は何?とか、このお花がきれい、などと言いながら、クタクタになるほど歩きました。途中で美しい教会を見て素晴らしいなぁと思いながら不思議な気持ちでいっぱいになりました。

外ももちろん立派な建物ですが、中に入るとまたまったく違う。別世界が広がっています。美しさに負けてお祈りしてしまいそう。
でも、もう、それとも、まだ?
私にはいまのところひとつの宗教を信仰するということは難しいです(誰にもそれを求められてはいませんが)。
人がお祈りする姿はとても美しいと思うし、お祈りするということ自体が救いだと思うし、正直なところ、私もしょっちゅうお祈りしています。でもひとつの形を信じる、ということはできない気がする。信者さんたちはどういう気持ちで信仰をしているのかなぁと、礼拝の説明をしてくださる方の横顔を見ながら思っていました。
それなのに、美しい教会はあって欲しい!そこでお祈りする人達がいて欲しい!いろんな(平和な!!)宗教があって欲しい!と自分勝手に思うのでありました。
教会の美しさがどういう意味を持っていたか、知らなくはない気がするので、純粋な気持ちで見ることはできないけれど、美しさには圧倒されます。そしてそこに流れている純粋な信仰心には心が洗われる気がします。
祈る気持ちや美しさには私は信仰を持てるかもしれません。
自分でもそれがどういうことかよくわからないのに、いつからか「美しさを信じたい」という気持ちがあって、その気持ちをいかに忘れないでいるか、が大げさですけど、私にとって人生のひとつのテーマのような気がします。ロマンチックで生きてきて、ろくに鍛えられてもいない自分のそんな気持ちに正しさなんてあるのだろうかと思いますが、自分は自分でしか在り得ないのだから、間違っていても仕方ない、と開き直ってみたり。

最近、詩について考えます。詩ってなんだろう、と思います。たまに現代詩手帖という詩誌を買って読んでみますが、多くの詩が謎、というかその独特な言葉遣いが苦手です。素晴らしく才能があるのだろう、すごいなぁとは思うのですが。そして自分が詩と称して書いているものは一体なんだろうと思います。これは詩なのかな?そもそも、私がしたいことって、詩を書くことなのかな?考えはいつまでもはっきりとした道筋をつけられず、味のはっきりしないスープをどろどろとかき混ぜ続けているような感じ。でも焦って答えを出さずに考え続けている(自分の人生で大切にすべきことは何なのか、どうしたらそれを大切にすることができるのかを考え続ける)そのずっと先のほうに、「神さま」と呼ばれる何かがあるような気がしたり……。しなかったり。だから拙い詩を書くなんて、本当に、時々無性に、恥しくなるのですが、やっぱり少しずつでも続けていこうかなぁと思うわけなのです。

道筋……なんて


紫陽花のきれいな季節になりました




仲良しの鴨さん


文化学院 いいなぁこの雰囲気!!


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇宙人

2015年06月08日 | 
ふと、つま先を見た
変だなと思った
変な形
頭がおっきくて
おやゆびはともかく
ひとさしゆび……
これでひとを指差すのは至難のわざだ
第二趾
以下
それとも以上?
は、できそこないの
しめじみたい

もし、わたしが
地球外生命体ならば
人類を見て
なんて奇妙な生き物だ
と思うのだろう
五つのうち
四つの先端は細かく分かれ
ばらばらしている
きもちわるい

もし、わたしが
地球外生命体ならば
しめじみたいだ、とは
思わないだろうけど
もしかして
オレに似てる
と思うのかもしれないけど
ときどき
少し宇宙人になるとき
わたしは思いきり
瞬間を生きている
ような気がする
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする