MIRO ITO発メディア=アート+メッセージ "The Medium is the message"

写真・映像作家、著述家、本物の日本遺産イニシアティブ+メディアアートリーグ代表。日本の1400年の精神文化を世界発信

「みろ」になって半年___新たな挑戦への旅

2009-06-02 10:27:40 | Weblog
「みろ」になって半年___新たな挑戦の始まり

いつの間にか、6月になり、今年も早くも後半に差しかかりました。

この半年間、再びブログをアップデートできずにいましたが、これまで5年がかりで日本の精神文化の伝統を世界に発表しようと創ってきた作品をどう形にするか、国際的な将来展開の鍵となるだけに、この数ヶ月間、正念場といえる大きなチャレンジが続いています。

昨秋からの世界的な不況の底が未だみえない中、本当に、さまざまなレベルでの「変革」が待ったなしで切望されています。私自身は、こんな時代だからこそ、改めて世界の平和への願いをこめて、もてる能力を捧げ、最大限の努力をしたいと誓っています。

その一つの方向性として、すべてのいのちが自然の一部であるという包括的な生命観に、いま一度立ち戻らざるを得ないのではないでしょうか。そうした「いのちの願い」を写真や映像を使って見えるかたちにするのが、私の「9.11」以来のアーティストとしてのライフワークになります。

そうした気持ちを抱きながら、私自身、旧来型の価値観という殻を脱ぎ捨て、「みろ」になって半年が過ぎ、改めて世界のために、平和のために何ができるか、さらなるチャレンジを開始しました。

具体的には、今回の資本万能主義の崩壊に伴う反省から、今後必ず来るべきと信じられる「心の世界」への回帰に向けまして、じっくり将来展開を見据えながら、これまで「メディアアートリーグ」として活動してきた文化活動を、より公的なレベルに引き上げることを目指しながら、10年計画にて、NYに「アートによる平和活動」を促すNPO~NGOを立ち上げようと考え始めました。

もちろんそのための準備は、私自身の限界を何度も越えなければならい、膨大かつ遠大な作業になりますが、ひとつひとつハードルを乗り越えていきたい気概です。

ドイツ~アメリカ~日本を経てこれまで活動してきた私にとって、また新たな挑戦の旅が始まりました。

              *    *    *    *    *

さてその後、空の写真も、ずっと継続して撮り続けています。これからは再び頻繁にアップデートできるように、心の余裕を持ちたいと思っています。

今日お見せする空は、東京・上馬の空を覆った「天使の翼」です。
曇りがちだった5月の連休の晴れ間の一瞬に、空がその美しさを見事に垣間見せてくれました。

こうした空と向き合うひと時は、私にとっては「永遠の今」を体験するときで、大きな宇宙のこころに抱かれる瞬間です。
写真の楽しみも、自然の輝きが放つ大いなる愛の「まなざし」に見つめられ、その懐に抱かれる感動に尽きるのではないでしょうか。

半年ぶりのご挨拶になりましたが、これからもどうぞ宜しくお願いいたします。

そしていつもご支援くださっている方々に、今一度心からの感謝をこめて.....

2006年6月吉日
伊藤みろ
text and photo by miro ito, all rights reserved. skiy over kamiuma, 2009.5.4
 

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤みろ  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2009年の6月号のテーマは「反射と映り込みの効果」p.156~159

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  by 伊藤みろ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
  著:伊藤美露(著者名は旧名「美露」のままです) 
  定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
  ISBN 978-4-8443-5921-0


写真の未来を思う:「表現するこころの時代」の到来を願って

2008-12-23 14:03:34 | Weblog

 写真の未来を思う
「表現するこころの時代」の到来を願って
 
 世界ががまさに激動するなか、まさに「こころの時代」「いのちの時代」の到来です。 危機といえるこんな時だからこそ、いまこそ私たちそれぞれの文化の中にある伝統に新しい光をあて、心の領域において、よりクリエイティブな時代になってほしい、と作品に来るべき次の時代への願いを託す気持です。

 アメリカ大統領選のオバマ氏の劇的勝利の時には、私は19年前にベルリンで体験した東西の壁崩壊を思い出していました。このたびの大統領選が人種の壁の崩壊への新たな一歩になり、これまでの人種・文化・宗教・信条などの分離の時代から「統合」の時代へと進むことを願う次第です。

 さて、12月20日発売の「アサヒカメラ」誌(2009年1月号)での連載「極意で学ぶ写真ごころ」より、これまでの作家名「美露」が「みろ」に変わりました。『魅せる写真術』などの著者名はまだ「美露」のままですが、私自身は、新たな統合の気運に乗って、風のようにしなやかな広がりをもつ存在を目指していきたいと願っています。

 なお最新号の新年号では、この連載の特別編として4頁に亘り、NYから写真の過去、現在、未来を考えてみました。いまやデジタル一眼レフにハイビジョン動画が集成される時代となり、動画と静止画の境がどんどんなくなり、まさに写真においても「統合」の時代に差しかかっています。

 メディア間の自在な「構築」と「実験」が可能なデジタル時代にあって、写真表現はどこにいくのか、私自身、NYの写真事情とドイツ現代写真を眺めながら,これまで考えて来たことを「批評」として、書き上げました。

 とくに私が訴えたかったことは、「表現するこころの時代」の到来を願い、前世紀の初頭に旧来型のアートの概念を打ち破ったモダンアート運動に範をもとめた「個の復権」です。

 表現するこころは、世界に「いのち」を見出すこころであり、対象の「こころ」と響き合い、さらに自分のいのちの深淵に横たわる「無意識」のなかへと解き放たれていきます。

 無意識こそ、シュールレアリストたちが夢見た人類の記憶への旅立ちであり、未来の写真を考えるヒントがあるのかもしれません。

 よろしければ、ご高覧ください。


伊藤みろ
2008.12.23

 追伸 今日は12月21日の冬至の空をお見せします。 
 text and photo by miro ito, all rights reserved. skiy over kamiuma, 2008.12.21
 
 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤みろ  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2009年の1月号のテーマは「構図を発見する」p.198~201
  特別編「ニューヨークで写真の現在・過去・未来を考える」p.202~205

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  by 伊藤みろ ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
  著:伊藤美露(著者名は「美露」のままです) 
  定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
  ISBN 978-4-8443-5921-0

脱皮 「美露」 から 「みろ」 へ、蜻蛉のように軽く透明な存在へ

2008-10-22 10:33:11 | Weblog
脱皮 「美露」 から 「みろ」 へ、蜻蛉のように軽く透明な存在へ

 この半年間、ブログをずっと更新できないでいました。日本に戻って5年が経過し、私なりにこの5年の成果をかたちにする時機になり、人生で一番忙しい半年間でしたが、忙しさの質が変わってきたというか、根を着々と生やした大地から芽が葺き出し、葉が広がり、幹が育ち始めている感触です。これから様々な新しい花を咲かせてくれることでしょうか。

 この間、ヨーロッパやアメリカにも足を運び、日本での5年間の成果を展覧会や写真集にするプロジェクトも動き始めています。 折から今年に入って世界があらゆるレベルで激震し始め、良くも悪くも新しい時代の始まりを予感させてくれる中、私自身、ひとつの時代の区切り(~「魚座」の時代から「水瓶座」の時代へ~)として、魂の輝きが本当に求められる時代の到来を願って、古い殻を脱ぎ捨てようと誓い新たにしました。

 こうした時代の変わり目に際し、日本で20年あまり使ってきたアーティスト名(漢字の「美露」)を、脱ぎ捨てることにしました。もともとドイツで写真家としてデビューした私は、「MIRO ITO 」の名を使っていましたが、88年のツァイトフォト(東京)での個展以来、日本名ではずっと「美露」を使ってきました。「美」を「露(あらわ)」にする生き方を選んだ覚悟を込めて_。

 当時はまだドイツで活動をしていましたので、ひらがなよりも漢字に惹かれていましたが、この5年間、日本文化の伝統の重みと、精神の深淵に魅せられた作品をつくっている関係で、ひらがなを初めて美しいと感じるようになりました。そして、新しい時代に向かって、日本発の「精神」の花を作品として大きく開かせる気持を込めながら、私自身はますますこころを蜻蛉のように軽くして、作品のこころに浸透していけるよう、ひらがなの「みろ」にすることにしました。

 この際、20年来の私自身のさまざまな「垢」を脱ぎ捨てることで、さらに溌剌と魂そのものとして輝き出したい、と誓っています。

 本当はずっとローマ字の「MIRO ITO」のままで十分だったのですが、20年も使い続けて来た漢字の「美露」にはいまでもとても愛着があります。古い名前との別れは、自分の分身との別れのようなものです。でもその分身といま敢えて別れることで、これまで知らなかった「半身」が新しい分身になってくれるかもしれません。失うことでしたか、得る事の出来ないものがあるのです。

 しばらくは『アサヒカメラ』での連載や著書などの名前として、「美露」の名も併用しますが、「みろ」と、これからひらがなに変えることで、さらにピュアに作品とともに輝きたいと願っています。

 これからは新しく生まれ変わった気持で、光を背にした蜻蛉のように透明な、未来へとふんわりと舞う羽のよう羽搏いていていきたいと願っています。

 これから 「伊藤みろ」をどうぞよろしくお願いいたします。

 2008年10月吉日
 伊藤みろ

 追伸 久しぶりに「天使のような雲」の空を撮りました。10月16日の空です。
  text and photo by miro ito, all rights reserved. skiy over kamiuma, 2008.10.16

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2008年の11月号のテーマは「写真の『構図』とは?」p.184~187

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0

奈良、歴史という「生」の積み重ねへの感謝

2008-04-27 12:18:13 | Weblog
奈良、
歴史という「生」の積み重ねへの感謝

 奈良に足を運ぶ度に心が洗われるのは、自然や人間を超えた宇宙の意思に生かされている、という気持にさせてくれるものとの出会いがあるからです。

 伝統の重みといえば月並みですが、身体行や芸を通して切磋琢磨をされてきた、僧侶や演者の方々の無数のかけがえのない「生」の蓄積と接することで、まさに日本の精神の核心に触れる思いがします。

 私が奈良を取材している中で、常に魂を揺さぶられるのは、こう古代からの人々からの「思いの丈」に触れる瞬間です。過去との出会いでありながら、変わらない何か、未来にも続いてほしい何か_
 それは私がテーマにしている「聖なるもの」たちへの敬虔な気持ちにほかなりません。
 「見えないもの」でありながら、形に託された尊きものへの祈りであり、そして奉納の気持です。

 こうした尊い気持ちを教えてくれるのが、私にとっては仏像であり、奈良の宗教行事であり、そして御能などの伝統芸能なのです。
 
 これまで奈良というテーマを、NY在住時より足かけ5年がかりで、取材を進めてまいりましたが、これからは展覧会や書籍ほか、さまざまなかたちで発表していきたいと思いますので、世界の多くの方々に見ていただきたいと願っています。

 さて、今月初めに、先月に続いて奈良の桜井の夕陽を撮りに行きました。
 かの聖徳太子が見たであろう夕陽は、先月は日本最古の国立劇場跡の「土舞台」から撮りましたが、今月は土舞台を右手に眺める小高い丘から撮りました。

 太陽が二上山の袂に半分に割れて沈むさまが、感動的でした。
 山が「神格化」されたのは、太陽である「カミ」をお隠しになるからかもしれない、とそんなことを思ったほどです。

 太陽をまたたく間に懐深くに抱きかかえ、世界が明日また眠りから醒めるまで太陽を休ませる、そんな太陽の休息の場所が山なのでしょうか....


 この太陽とともに営み、沈んでいった無数の「生」への感謝をこめて

 伊藤美露
 text and photo by miro ito, all rights reserved.
 sunset over sakurai, 02.04.2008

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞出版社)
 2008年の5月号のテーマは「『分かち合う』写真表現へ」p.196~199

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション


奈良の季節:金春穂高氏の弁慶(安宅)と聖徳太子の見た夕陽

2008-03-28 00:31:49 | Weblog
奈良の季節
金春穂高氏の弁慶(安宅)と 聖徳太子の見た夕陽


12月、1月、2月、3月…と、奈良では太古の時代から続く宗教行事が目白押しであったため、この3~4ヶ月の間、足繁く奈良に通っていました。

12月の春日大社若宮おん祭り、1月の法隆寺の金堂修正会、2月の法隆寺西円堂修二会、3月の東大寺修二会(お水取り)、そしてこの日曜日からは薬師寺の修二会(花会式)が始まります。

先週23日には、私がコラボレーションをしている能楽師の金春穂高氏のお父様、故・金春晃實(てるちか)氏ならびにお祖父の金春流77世宗家=故・金春栄治郎の追善能(西御門金春会主催)がありました。

これまで伝統芸能と関わってきた5年あまりの歳月の中で、最高の御能の一つを観させていただきました。すばらしい名演技をされた金春穂高氏の「安宅」での、勧進聖としての弁慶役は、鬼気迫る、すばらしい迫真の演技でした。お面をつけない、ひた面でありながら「ヒト」であることを越えられた、大きな存在感とエネルギーの充実がそこに「在った」のです。

御能は、この世とあの世の境のような、さまざまな思いの集る場です。
御能の扱う「供養」のテーマ性については、もともと勧進聖(寺院の建立や修繕などのために寄付を集める方法として興行を催す僧侶)との関係が考察されています。お祖父さまとお父さまの供養のために、穂高氏の演じる弁慶は、それが方便としての勧進聖役であったとしても、まさにその境を越えるほどのダイナミックさと、神妙な集中力でした。

最初から最後までひた面(お面をつけない)で演じられたこともあって、400mmの望遠レンズ越しに拝見していた私には、穂高氏の魂が完全に透明に澄み切って天に放たれ、どこから大きな力がふり注いでいたのでしょうか、最高の霊気(オーラ)の漲りを感じました。
御能の「幽玄」とはこの霊気の充実のことなのだと、改めて深く感じ入った次第です。

またその前日の22日には、法隆寺の小会式(聖徳太子の命日の法要)を参拝してまいりました。

1月に法隆寺を訪れて以来、このところ聖徳太子への個人的な関心が高まっています。
宗教行事の撮影のついでに、かつて聖徳太子が子供たちに大陸からの渡来芸能である伎楽(ぎがく)を教えた、とされる「土舞台」跡を斑鳩の地に探し当てました。

奈良の桜井駅から徒歩10分ほどの場所であるはずだったのですが、地元の人もほとんど知らず、1時間ほど迷ってようやく探し当てたときは、夕陽が二上山を抱く神々の山麓に沈みかけていた時刻でした。

桜井の「土舞台」は、聖徳太子が、7世紀の初めに、日本で初めて「国立の演劇研究所」と「国立の劇場」とを設けられた場所として伝えられています。現在は、小学校の脇を上った小高い丘の上の雑木林に囲まれた、小さな一角でしたが、遥か1400年前の古代には、この同じ場所から聖徳太子が同じ夕陽を望むことができたことだろうかと思うと、感激がひとしおでした。

折から今週火曜日からは、上野の東京国立博物館の平成館にて薬師寺展が始まりました。
月光・日光菩薩が二体揃って、初めてお寺から「外出」して東京に来ており、早速観に行ってまいりました。

奈良には、30日からも薬師寺の花会式の撮影のために訪れます。
次回のブログは薬師寺から戻った後、東京に「訪問中」の日光・月光菩薩像について、ちょっと書いてみたいと思っています。

早春の上馬にて

伊藤美露
2008/3/28
text and photo by miro ito
sunset over ikaruga (view from TSUCHIBUTAI), 15.03.2008


 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞社)
 2008年の4月号のテーマは「写真の『迎え』と『先々の先」」p.202~205

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

「写真ごころ」の入り口:『極意で学ぶ 写真ごころ』についての解説(『アサヒカメラ』2008年3月号)

2008-03-01 20:26:51 | Weblog
「写真ごころ」の入り口 
小連載『極意で学ぶ 写真ごころ』についての解説(『アサヒカメラ』2008年3月号)


 現在『アサヒカメラ』で連載している「極意で学ぶ写真ごころ」は、日本文化の「極意論」と絡めて、「写真ごころ」とは何かを考えるエッセイを冒頭に、「基本」でありながら、「極意」である実技を伝授する講座です。

 写真ごころとは、写真における表現をめざす態度であり、現実の先に永遠なるものを視ようとする思いのことですが、今月号(3月号)では、「不射の射」を考えてみました。

「不射の射」といえば、「射らずして射る」という、まさに神業の世界です。
大正時代の弓道の大家・阿波研造師は、線香で照らしただけの暗闇の中で二本の弓矢を放ち、一本目は的の真ん中に命中。二本目は一本目の筈に当たり、一本目を引き裂いていた、という逸話があります。師は「それ(仏)が射た」と語りました(ドイツの哲学者のオイゲン・ヘリゲルの著作『弓と禅(日本の弓術)』より)が、「仏が射る」とはすなわち、仏と呼ぼうが神と呼ぼうが、宇宙本体の大本の力による業、という意味になるでしょうか。武道では、古来より中国の神仙術のごとき、こうした離れ技を伝えています。

 もとより、達人の世界は、常人の想像を絶する世界ですが、芸術の創造行為も、どこかこうした人智を越えた力の助けを得ています。いわゆる芸術のインスピレーションの源がどこかと考えると、それは自然の生命力だったり、さらに現実の時空の先に広がる次元(無意識)からの働きかけによるものです。
  詩人が万物から「声なき声」を聴くように、画家は見える世界を通して、その先にある「見えない世界」を視ようとします。
 私にとっては、絵も写真とは、自分の意識をそうしたより大きな世界に結びつける「こころの窓」の役割を果たしています。
 
「不射の射」とは、写真においては、「撮らずして撮ること」「視ずして視ること」と『アサヒカメラ』誌に書きましたが、それを追体験することが難しいようでしたら、一心に何かに打ち込んでいる自分を想像してみてください。

「無我夢中」という喩えのとおり、音楽を演奏するとき、絵を描くとき、詩を綴るとき、踊りを舞うとき、スポーツで記録に挑んでいるとき…でも、何でもいいのです。その時に、我を忘れることで、音楽そのもの、絵そのもの、詩そのもののエネルギーに自分を投げ入れ、どこか「永遠なるもの」に繋がっていく感覚が得られれば、それが「絵こごろ」であり「写真ごころ」「詩ごころ」の入り口となるのです。

『アサヒカメラ』の小連載では、極意論を語りながら、技に託された精神性を、また写真ごころについて考えながら、こうした芸術の中に宿された永遠性を語っていきたいと思います。

 毎回、哲学的な話を短い文章の中で語らなければならず、言葉足らずになってしまいますので、今回は少々「難しい」というご感想をいただきましたので、連載の解説をこの場で試みてみました。

 どうか連載の方もご愛読ください。


伊藤美露
2008年3月1日

(ブログの図版は『アサヒカメラ』3月号のp.176-177の見本です(最終稿ではありません)。(c) text and photo by Miro Ito for Asahi Camera/Asahi Shimbun Co., Ltd.)

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞社)
 2008年の3月号のテーマは「写真の『不射の射』とは何か」」p.176~179

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

「運命よ、いらっしゃい」(中村天風哲学、笑顔で勝つこころ)

2008-02-25 21:15:40 | Weblog
「運命よ、いらっしゃい」(中村天風哲学、笑顔で勝つこころ)

 先のブログでは、柳生新陰流の前宗家にならった「さあ、いらっしゃい」という運命への対処法を書きましたが、それを同流では「迎え」と呼んでいます。

  すなわち、まず技の前に「無形(むぎょう)」という位があって、それはまっさらな状態とでもいいましょうか、何にも捕われず、無限な広さをたたえた心のあり方をいいます。
 
  その状態でないと「勝つべくして勝てない」(柳生延春師範)と説かれるのも、心の面では何事にも捕われない状態だからこそ、「相手が自ら働いてしまう様に仕向ける」ための「先」を観ることが可能になるからです。それを流祖である柳生石舟斎は「迎え」と呼び、「先々の先」の心持ち(位)と合わせて「勝つ」ための基本としました。

 私には、もちろんそんな剣の達人のような先を観るほどの力もなく、自分の本来の姿に出会うために、ドイツ~アメリカ~日本~と三つの国で運命の綱渡りをしてきました。「迎え」どころか、自分の目指す「本物」が一体どこにあるかもわからず、いつも先の読めない、がむしゃらな心持ちだったように思います。

 勢いだけで大海に出てしまった「舵もコンパスもない帆船」とでもいいましょうか、ただひとつ「自分探し」だけが揺るがぬ目標でした。いつか嵐のような海を切り抜け、おだやかな光の下にたどり着けることを信じながら…。

 そんな私にとって、ほぼ10年経ったいまだから種明かしができるわけですが、「プラス思考」を日本に最初に説いた鉄人であり、ヨガ行者の中村天風哲学に接したことは、ひとつの転機となりました。そこで説かれていたのは、自分の心に打ち勝つための積極的な考え方です。私自身の運命との「一騎打ち」に、新しい光を与えてくれる言葉でした。

「人間の力でどうしようもない運命はそう沢山あるものではない」「人生は心ひとつのおきどころ。思い方考え方で人生の一切をよくもし悪くもする」 「こころに犬小屋みたいな設計を描いて広壮な邸宅などできるはずがない」「宇宙の造物主は、もともと人間を強く幸福に生きるように造った」….等々。

 かの松下幸之助も師と仰いだ天風のことばは、誰でも分かるような、単純きわまりない言葉でありながら、嵐の中でも動かぬ厳かな岩のように強靭な力を孕んでいます。「幸福になるために生まれて来た」という視点から人生を改めて見つめ直す、瑞々しい勇気としなやかなこころの力を教えてくれるものです。

 その勇気を「最高の宝物」として抱きしめ、2000年を機に単身NYへと移住しました。「怖いものがない、ということほど強いことはない」ということ、何も持たなくても勇気さえあれば、何でも実践できること。ないことは、すべてあることと同じ__それらは、いまの私を支える大きな自信になりました。

 さて「昨年のわれに 今年は勝つべし」がモットーの新年は、運命のお導きを積極的に「迎え」ながら、もう一歩進んで、運命にさらに働かきかけて、次に来たるものをどんどん良いものにしていく「先々の先」の位をもつことが目標です。

 改めて「運命よ、さあいらっしゃい」と嬉々とした期待に弾け、まっさらな気持ちを保ちながら、一歩一歩努力することを、つねに笑顔で実践していきたいと思います。

「きのうのこころに きょうは笑顔でかつべし」

 伊藤 美露
 http://www.miroito.com
 text and photo by miro ito, all rights reserved.
 sky over kamiuma,2.17.2008


 ※ 柳生新陰流の剣の理については、詳しくは『柳生新陰流道眼』(柳生延春著、島津書房刊1999年刊、ISBN 978-4882180623)をご参考ください。
 
 ※ 現在私が『アサヒカメラ』で連載中の「極意で学ぶ 写真ごころ」のなかでも、柳生新陰流に限らず、日本文化の極意論を写真の実技講座の中で展開しています。ぜひお読みください。

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞社)
 2008年の3月号のテーマは「写真の『不射の射』とは何か」」p.176~179
 
 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
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 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

勝つためのこころー柳生新陰流 前宗家の教え

2008-02-09 23:26:26 | Weblog
勝つためのこころー柳生延春師範の教え

「きのうのわれに きょうはかつべし」を座右の銘にスタートさせた新年_。

 この言葉を教えてくだった柳生新陰流の前宗家・柳生延春師範には、かつて勝つための哲学の一端を教えていただきました。
 それは「勝つためのこころ」についてでした。

 勝つためには、まず自分の「勝ちたい」「打ち負かしてやろう」という気持ちから自由になること。
 そうして初めて、自分のこころという「最大の敵」から解き放たれ、相手の「活き」を「わがもの」として使う余裕が生まれるのです。

 延春師範はよく「全身の力を抜き切って、『さあ、いらっしゃい』という気持ち、『いつでも来い』という余裕綽々たる気持ちの中でこそ、敵の動きを正確に視ることができ、自らの力として使うことができる」とおっしゃっていました。それは剣が上手の相手でも、相手の力に乗じて巧く使うことで、勝つ事ができる、ということです。

 これを「運命」に置き換えてみると、人生のさまざまな局面でも、大切な秘訣であることに気がつきます。

 私はいつも「運命に負けたくない」という気持ちで、人生に降り掛かる「重荷」をバネに、人生に立ち向かってきました。
 大学卒業後、最初にドイツに移住する前_。そしてドイツから一旦、日本に戻ったとき、その後、再びアメリカに移住する際にも、すべて「運命に負けたくない」という気持ちで、自分のもてる全てを賭けてきました。
「運命との一対一の真剣勝負」といったあまりにも真面目すぎる覚悟で、振り返る余裕など一切なく、「次に来るもの」の未知の可能性に次々と挑んできました。

 しかしアメリカから4年前に帰国した時は、個人的な葛藤ではなく、より大きな目標に向かうことになりました。私自身このときになってはじめて、人生の重荷と表裏一対だった、「運命に負けたくない」という気持ちから自由になれました。

 柳生師範のことばを思い出すなら、ここではじめて運命を「わがもの」として味方につけることができるようになったのかもしれません。

 どんな逆境にあっても、「さあ、いらっしゃい」という余裕、困難さの中にも「活き」をみつけ、それに乗じて、状況そのものから知恵を絞りだす、そんなこころを持ち続けていきたいものです。


 伊藤美露
 http://www.miroito.com
 text and photo by miro ito, all rights reserved.
 sky over kamiuma, 01.22.2008


 ※現在私が『アサヒカメラ』で連載中の「極意で学ぶ 写真ごころ」のなかでも、柳生新陰流に限らず、日本文化の極意論を展開していきます。よろしければ、併せてお読みください。

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞社)
 2008年の2月号のテーマは「写真の『瞬間力』とは?」」p.170~173
 
 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

「きょうのわれに あすもかつべし」(2008年の目標)

2008-01-12 17:45:14 | Weblog
「きょうのわれに あすもかつべし」(2008年の目標)

「きのうのわれに きょうはかつべし」(柳生延春師範のお言葉) の続きになりますが、
 私にとって、毎日は本当に自分の勇気との小さな戦いです。

 感謝を忘れないで、自分を信じながら、どこまでやれるか、続けられるか、実行できるのか__そんな自問で、いつも一日が始まります。
 そして一日が終わったとき、いつも何もできなかった気分にとらわれ、束の間、自己嫌悪に陥ってしまいますが、そういう時には、目標をもう一度思い出して、「きょうのわれに あすはかつべし」と思い直すのです。

 そう思えるのも、私自身が何度転んでもまた起き上がる、負けず嫌いの性分だからなのですが、何分「使命」を果たすべく、追いかけている目標が大きすぎて、いつも困難な挑戦に負けそうになる自分を、こうやって震い立たせています。

 でもずっとそんなスタイルで生きていけば__ どんなにスローでも__毎日自問と反省をしながらも「Hang on there !」で「前進」を少しずつでも続けていれば、必ず次の段階が見えてくるものです。

 そして今年はもう一歩進んで、

「きょうのわれに あすもかつべし」

 と思える日を一日でも増やしたいものです。

 伊藤美露
 http://www.miroito.com
 text and photo by miro ito, all rights reserved.
 sky over kamiuma, 03.01.2008

 ☆☆☆☆☆☆☆☆  好評連載中 by 伊藤美露  ☆☆☆☆☆☆☆☆
 「極意で学ぶ 写真ごころ」(『アサヒカメラ』朝日新聞社)
 2008年の1月号のテーマは「光の『足し算』と『引き算』」p.196~199
 
 ☆☆☆☆☆☆☆☆  日本図書館協会選定図書  ☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

新年のご挨拶「さくねんのわれに ことしはかつべし」

2008-01-06 15:36:58 | Weblog
2007年がいつの間にか終わり、2008年が始まりました。

地球温暖化をはじめ、世界がひとつの危機的な転換期にある今、私個人の昨年といえば、ドイツ~アメリカ~日本と20年がかりで旅して求めてきたものが、実は日本文化の源にあり、長年の「見えない本物」をもとめた旅がひとつ終わった年となりました。

日本文化については、主に身体芸術を中心に、前衛から古典まで、これまで米国在住時より数えて5年がかりで取材をしてまいりましたが、それをひとつの形にできました。


★個展の作品55点がNY公立図書館の永久コレクションになりました。

昨年10月15日よりNYでの個展『Men at Dance - from Noh to Butoh:Japanese Performing Arts, Past and Present(能から舞踏へ)』は、NY公立パフォーミングアーツ図書館にて開催されています(2008年1月8日まで)。

http://www.nypl.org/research/calendar/exhib/lpa/lpaexhibdesc.cfm?id=474
http://www.jfny.org/news.html


国際交流基金の助成のもと、在NY日本国総領事館の後援を得て「NY舞踏フェスティバル」とのタイアップ展として、同図書館の主催にて実現いたしましたが、出品作品55点は、NY公立図書館の永久コレクションに寄贈いたしました。

撮影にご協力下さった舞踏家室伏鴻氏の「Quick Silver」、Sal Vanillaの蹄ギガ氏・KIK_07氏他の「inter-active」 、御能の世界からは観世流シテ方の武田志房氏の「高砂」、武田友志氏の「絵馬」、武田文志氏の「敦盛」、そして金春流シテ方の金春穂高氏の「翁白式」など、スタジオでの撮りおろし
によるコラボレーションの作品が、永遠にNYの公立図書館の収蔵品となり、今後、同図書館において教育・研究・展示目的のために、活用されることになります。

ご支援いただきました皆様に改めて深く御礼申し上げます。


★新連載『極意で学ぶ 写真ごころ』開始

昨年6月に上梓しました拙著『魅せる写真術』(MdNコーポレーション刊、日本図書館協会選定図書、ISBN 978-4844359210)にて、アナログからデジタル、アートからドキュメンタリー・広告の世界まで、写真家として培ってきた経験を次世代に託そうと、写真の教本を出版しましたが、この本の発刊がきっかけとなり、昨年11月号より『アサヒカメラ』誌(朝日新聞社)において連載が始まりました。

奈良の宗教行事から能狂言、古武道まで日本文化の中から世界へのメッセージを焙り出そうと、これまでの日本での取材活動を通して、日本はすぐれた「極意」の国であることも実感できました。数多の天才たちが人生のすべてを捧げ、技に託した「かたち」、かたちを超えたこころのあり方を「極意」として探り出しながら、写真のとっておきの技を伝授する講座になります。

モットーは「極意とは基礎なり」_。
デジタル機材の急速な普及により、写真を撮ることは趣味以上に生活に密着した習慣になってきましたが、写真が日常の「記念品」を創るならば、せめて絵を描く時のような「絵ごころ」ならぬ「写真ごころ」を持ってほしい、そんな願いをこめて、写真を撮る「こころ」の大切さを説いていきます。

日本やドイツで美学を学び、絵や写真を通して、美の世界に触れてきた私の持てるすべてを捧げる連載です。
よろしければご高覧ください。


★惜しまれる "The Last SAMURAI"、柳生新陰流前宗家・柳生延春師範逝去

日本文化の取材を通して出会ってきた中で忘れられないお方といえば、柳生新陰流・柳生延春前宗家です。昨年5月4日、88歳にて永眠されました。
(http://www.yagyu-shinkage-ryu.jp/yagyu.html)

戦前から戦後にかけて大転換した日本を古武道ともに生き、500年の道統を尾張の地に護り抜いた柳生延春師範の「武士魂」と兵法は、日本文化のかけがえのない文化遺産です。
私が撮影させていただいた時間はごく短く、前宗家の最後の二年間だけでしたが、前宗家には、まさに「極意の世界」の一端を見せていただきました。

前宗家がいつもおっしゃったお言葉は、

「きのうのわれに きょうはかつべし」____

88年間、どんなときも剣の稽古を欠かさなかった柳生延春師範の日々の鍛錬を支えたお言葉です。いまその言葉の重みを改めて感じるとともに、日本の失った「最後のサムライ」の喪失の大きさに、深い悲しみを感じえません。

延春師範の後を継ぐ柳生耕一現宗家の今後のご活躍を祈念いたすとともに、延春師範のご冥福を改めてお祈り申し上げます。

************************************************************************************************************************************************************

私も今年は、延春師範のこのお言葉を座右に置き、

「さくねんのわれに ことしはかつべし」

と、これまでの活動をもう一つ先に進めていきたい気概です。

とりわけ、奈良を中心に日本の身体を通した「奉納」や祈りの文化を、古代から現代まで世界へ紹介する仕事をより包括的にすすめ、2010年を次なる目標に挑戦を続けていきます。

今年もまた遠大な夢に向かって、さらなる研鑽を積んでいきたい所存です。

本年もどうかご支援のほど、よろしくお願いいたします。

2008年1月

伊藤美露
http://www.miroito.com
text and photo by miro ito, all rights reserved.
photo: sky over kamiuma, 1.1.2008

極意で学ぶ写真ごころ -『アサヒカメラ』で連載が始まりました ( by Miro Ito )

2007-11-25 10:45:35 | Weblog
 極意で学ぶ写真ごころ
『アサヒカメラ』誌で新連載スタート

 アサヒカメラ誌で先月より、私の連載がはじまりました。
 日本の伝統の中で「極意」がどう理解され、目指されてきたかを見つめながら、それを作品をつくる上でも役立てたい、という願いをこめて、連載のタイトルは『極意で学ぶ写真ごころ』というものです。

 初心者から上級者までを対象に、写真術の基本中の基本でありながら、極めて大切な「極意」を伝えながら、絵を描くこころを「絵ごころ」と呼ぶように、写真をつくる心である「写真ごころ」を求めていくものです。

  写真にも絵のように、写真ごごろがあります。絵ごころが想像力の表現ならば、
  写真ごころは直観の産物です。ともに「テーマをどう捉えるか」という主張であり、
  発想やものの見方のスタイルといえますが、絵とは違い、写真では、線の代わりに
  光を使います。まずは、光をどう捉まえるか、
  第一回目では「露出の極意」から学んでいきましょう。
  (『アサヒカメラ』2008年11月号「極意で学ぶ写真ごころ」より)

 第一回目となった先月20日発売の『アサヒカメラ』11月号では、5ページで「露出の極意」を伝授しました。
 11月20日発売の12月号では、露出の極意を実践しながら、写真の「花」とは何か、を考えながら、写真ごころをいかに発揮するか、作品づくりを通して学んでいただきます。

 これから連載を通して、多くの方々に、写真術のとっておきの極意と写真をつくる楽しさを伝えていきたいと思います。

 興味のある方はぜひお読みくださいませ。

 2007年11月吉日
 伊藤美露

(ブログの図版は『アサヒカメラ』11月号のp.178-179、(c) text and photo by Miro Ito for Asahi Camera/Asahi Shimbun Co., Ltd.)

 ☆☆☆☆☆ NYにて伊藤美露 個展「能から舞踏へ」開催中 ☆☆☆☆☆
 "Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro ITO:
 Japanese Performing Arts, Past and Present"
  開催場所: The NY Public Library for Performing Arts
  (Plaza Lobby-Steinberg Room), 40 Lincoln Center Plaza, NYC, NY 10023

 開催期間: 2007年10月15日から2008年1月5日まで
 開館時間: Tues, Wed & Fri: 11 to 6; Mon, Thurs: 12 to 8; Sat: 10 to 6
 http://www.nypl.org/research/lpa/

 ☆☆☆☆☆ 日本図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

「ローライのフィルム」を使う、銀塩とデジタルを「空」に喩えてみる

2007-11-18 09:18:30 | Weblog
「ローライのフィルム」を使う、
銀塩とデジタルを「空」に喩えてみる

 ー 穏やかなどこまでも澄み切った空と、気流の乱れで変化を孕む空 ー

 ドイツのローライ(Rollei)から、モノクロフィルムが発売になりました。 
ローライといえば、二眼レフカメラメーカーの元祖です。かつて超小型レンジファインダーのローライも人気機種でした。その「ローライがフィルムを発売!」というニュースは、デジタルにより一変してしまった写真界では、久しぶりの明るいニュースになりました。
 今月15日発売の『コマーシャルフォト』12月号に、ローライブランドの新フィルムの概要が報じられ、私も作品を2ページ(P.104~105)で提供しています。   

 実は『コマーシャルフォト』誌をはじめ、いまアート系や大御所写真家の間では「フィルムを残したい」という気運が高まりつつあります。結論としては、私たちのような「アナログとデジタル」の両方を知っている世代が「フィルム」を残そうと努力しなくては、本当にこのままフィルムが消えてしまうかもしれない…という危機感があるからです。
 来年の写真界はきっと「フィルムを残そう」という気持ちがさらに新しい動きとなっていくのではないでしょうか。

 さてローライの新しいフィルムは、私が長年愛用していたドイツのAgfaフィルムがブランド替えをしたものです。ラインナップは、R3(10~6400の可変感度)、INFRARED(赤外線400)、PAN 25、ORTHO 25、RETRO 100、RETRO 400の5タイプですが、PAN25はかつて世界で最も微粒子といわれたフィルムです。このPAN25とINFRAREDを使って、金春流の能楽師、金春穂高氏の翁(白式)を撮らせていただきました。

 金春穂高氏とのコラボレーション作品は、現在NYで開催中の個展『Men at Dance-from Noh to Butoh』で発表していますが、メインの機材はHasselblad H-1とPhase-ONE(中判デジタル)の組み合わせです(協力:イイノ・メディアプロ)。 このたび4年ぶりにフィルムでも撮影をしてみて、銀塩カメラを使うプロセスがいかに複雑な難行だったか、改めて気づいた次第です。

 撮影後、フィルムで撮ったものと世界最高級の中判デジタルで撮ったものを比較してみて、それらが同じ画像のようで、別物であることも改めて発見しました。
 デジタルでの作品はコンディションがよい状態で撮影すれば、色調といい、コントラスト、鮮鋭度から階調まで、すべてにおいて最高のバランスが再現され、あまりにも完璧です。一方、銀塩フィルムでの作品は「粒子」の存在が独特の効果になっています。

 この違いを「空」に喩えれば、デジタルでの完璧な作品は、雲も風もないどこまでも穏やかに澄み亘った空だとすれば、アナログは気流の動きに揺れ、変化を孕んだ空かもしれません。
 デジタルでは「静」を、アナログでは「動」を感じるのも、粒子の存在によるものなのです。
 そう思うと、粒子こそ、かつては写真のいのちだったのだと、改めて写真の過去を振り返りながら、どちらも写真の未来においては、存続してほしいと願う気持ちがますます強くなっていきます。

 私が今回、金春穂高氏の「翁」を撮った作品でも、空をバックに翁舞いを演じてもらいました。
 そこにフィルムならではの、粒子に秘められたいのちと「動」が感じていただけたらと願っています。(作品は『コマーシャルフォト』12月号にてぜひご覧ください。)

伊藤美露
2007/11/18

 ☆☆☆☆☆ NYにて伊藤美露 個展「能から舞踏へ」開催中 ☆☆☆☆☆
 "Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro ITO:
 Japanese Performing Arts, Past and Present"
  開催場所: The NY Public Library for Performing Arts
  (Plaza Lobby-Steinberg Room), 40 Lincoln Center Plaza, NYC, NY 10023

 開催期間: 2007年10月15日から2008年1月5日まで
 開館時間: Tues, Wed & Fri: 11 to 6; Mon, Thurs: 12 to 8; Sat: 10 to 6
 http://www.nypl.org/research/lpa/

 ☆☆☆☆☆ 日本図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
 『コマーシャル・フォト』 2007年12月号
 ■2007年11月15日発売
 ■B5 版 定価 1,650 円(税込み)
 ■発行:玄光社

ウエールズの空、Anno Birkin青年のこと

2007-10-27 22:54:27 | Weblog
ウエールズの空、Anno Birkin青年のこと

 リンカーンセンターのThe NY Public Library for Performing Arts の個展「Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro Ito」の方は、在ニューヨーク日本総領事館と国際交流基金の後援を受け、15日より無事始まりました。

 リンカーンセンターはパフォーミングアーツのメッカとあって、世界中から舞台芸術に興味を抱き、また学びに来ている方々が訪れる場所ですので、このたびの展覧会開催の目的もそこにあります。ささやかですが、私の展覧会を通して、日本の伝統から前衛までの身体芸能の系譜が、少しでも多くの方々に知られるきっかけになればと願っています。

 NYではまた今週より「2007 NY Butoh Festival」が始まり、私がコラボレーションで作品を撮っている室伏鴻氏が公演とワークショップを開きます。(http://www.nybf.caveartspace.org/)
同時に今年100周年を祝うJapan Societyでも、日本から大野一雄・慶人の両氏をはじめ、麿赤児氏など舞踏の大御所が参加され、「舞踏の秋」が大体的に繰り広げられます。

 来週29日には、開始より2週間遅れて私の個展のオープニングレセプションもありますが、その合間を縫って、イギリス・ウエールズにやってきました。

 ウエールズへは3年半前に訪れて以来ですが、夭逝したイギリスの詩人でソングライターだったアンノ・バーキン(Anno Birkin)さんの故郷に再びやってきました。

 アンノ・バーキンさんのプロジェクトは、すでに私の近著『魅せる写真術』やホームページ (http://www.miroito.com/anno1.html)でも公開していますが、かの野村万之丞さんの偉業を伝えるプロジェクトが「太陽」だとすると、「月」のような位置づけです。私にとってはこちらもまた「招かれた」というか、不思議なご縁を感じています。

 長年ドイツやアメリカに住んでいたものの、イギリスとはほとんど縁がなかったのですが、いまはイギリスがどんどん好きになってきています。とりわけ、地位や教養もあるイギリス人の礼儀ただしさや分け隔てのない親切さには、一種の感動さえ覚えます。「ノブレス・オブリージュ (noblesse oblige)」とは、高貴なものの義務とでも訳される精神ですが、イギリスでは、上層階級だけでなく、チャリティーなどの慈善活動やボランティアなどの奉仕行為が、人として果たすべき大切な社会活動の一環になっています。

 かくいうアンノ・バーキン青年のプロジェクトも、ご家族の努力により、アフリカの子供たちにアートや演劇を指導するプロジェクト「Anno’s Africa」として育ちつつあります。具体的には、アンノ青年の詩集とCDの売り上げ等が献じられて、さまざまな活動に結びついています。詳しくは http://anno.co.ukをご覧ください。

 私がこれまでウエールズで撮ってきた写真や訳詩も、いずれ東京で新たに発表する際には、イギリスの「Anno’s Africa」プロジェクトと連動させた国際チャリティー事業として育てていきたいと願っています。
 そんなことを夢みながら、昨晩はウエールズの夕焼けを撮影しました。

 明日も、そしてそれに続く未来が、どうか少しでも多くの慈愛に満ちたものでありますように...

 ウエールズより 伊藤美露
 2007/10/25

 ☆☆☆☆☆ NYにて伊藤美露 個展「能から舞踏へ」開催中 ☆☆☆☆☆
 "Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro ITO:
 Japanese Performing Arts, Past and Present"
  開催場所: The NY Public Library for Performing Arts
  (Plaza Lobby-Steinberg Room), 40 Lincoln Center Plaza, NYC, NY 10023

 開催期間: 2007年10月15日から2008年1月5日まで
 開館時間: Tues, Wed & Fri: 11 to 6; Mon, Thurs: 12 to 8; Sat: 10 to 6
 http://www.nypl.org/research/lpa/

 ☆☆☆☆☆ 日本図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

NYでの個展が10月15日から始まります (NY公立パフォーミンングアーツ図書館、1月5日迄)

2007-09-30 19:24:01 | Weblog
 [ご案内] NYでの個展が10月15日から始まります
 (NY公立パフォーミンングアーツ図書館、1月5日まで)

 "Men at Dance - from Noh to Butoh by Miro ITO:
 Japanese Performing Arts, Past and Present"

 伊藤美露 写真展「能から舞踏へ:日本の身体表現、過去、そして現在へ」
 開催場所: The NY Public Library for Performing Arts (Plaza Lobby-Wall Gallery),
 40 Lincoln Center Plaza, NYC, NY 10023 /ニューヨーク公立パフォーミングアーツ図書館
(2007 NY Butoh Festivalとのタイアップ展)

 開催期間: 2007年10月15日から2008年1月5日まで
 助成:国際交流基金 (JFK Grant)
 後援:在ニューヨーク日本国総領事館
 協力:Canon USA, Inc., IINO MEDIAPRO CO., LTD., Media Art League L.L.C.

 出品作品:合計50点
 舞踏30点(室伏鴻『Quick Silver』、Sal Vanilla - 蹄ギガ、KIK_07ほか『inter-active』)
 御能 20点(観世流武田志房『高砂』、武田友志『絵馬』、武田文志『敦盛』、
 金春流 金春穂高『翁白式』)

ご挨拶

 かつてNYで体験した「911」以来、身体を通して命の大切さを伝え、祈りや鎮魂、自らを高き世界に捧げるという行為を見える形にしようと、「祈りの身体」「奉納の身体」というテーマで、日本の身体芸術を追いかけてまいりました。

 このほどNYの舞踏フェスティバル(2007 NY Butoh Festival) 開催とタイミングを合わせ、来月より始まる個展「Men at Dance-from Noh to Butoh:Japanese Performing Arts, Past and Presen (能から舞踏まで)」におきまして、日本での4年がかりの撮影の成果の一端を、50点の作品にまとめて発表いたします。

  50点の作品の中で登場する、撮影にご協力くださった方々は、日本を代表する能楽師、前衛舞踏家の皆様方です。 御能の世界からは、観世流のシテ方(主役)の重鎮であられる武田志房(Yukifusa TAKEDA)氏をはじめ、その志房氏を師にシテ方を継がれているご子息の友志 (Tomoyuki TAKEDA) 氏と文志 (Fumiyuki TAKEDA) 氏。そして金春流シテ方として奈良を拠点に活躍され、春日大社・興福寺の薪御能では欠かせない存在である金春穂高(Hodaka KOMPARU)氏。
 また舞踏界では、いまや日本のみならず世界の舞踏家となった、舞踏のベテラン、室伏鴻(Ko MUROBUSHI)氏。気鋭の若手でサイバー空間における舞踏の可能性を追究してきたSal Vanillaの蹄ギガ(Giga HIZUME)、KIK_07の両氏など、舞踏のインターナショナルシーンをリードする方々です。

  この個展では、主に祈りと鎮魂、大いなるものへ捧げる身体という視点から、作品を組み立ててみました。
 御能では「高砂」「絵馬」「敦盛」(観世流)をはじめ、奈良の春日大社の薪御能で演じられる翁白式(金春流)を、それぞれスタジオで撮りおろしています。
 また舞踏では、2006年のヴェネチア・ビエンナーレ(ダンス部門)の公式イメージとなった室伏鴻の「Quick Silver」、六本木ヒルズのオープニングイベントで演じられたSal Vainnlaの「inter-active」 (2003)を、スタジオで撮影。
 御能の特徴である「気と集中力」を、スタジオでの美しい光の中の一瞬の動きの中に見出し、また舞踏では、無意識から電脳空間までに広がる存在の深みを身体に乗せて、モノクロームに近い色彩構成の中で切り取ってみました。

  同展は、NY公立Performing Arts図書館の主催により、第三回目となった「 NY Butoh Festival 」とのタイアップ展として、実現の運びとなりました。私にとっては「ポスト911」プロジェクトとして、「世界発日本精神文化」の第一弾になりますが、コンテンポラリーダンスのメッカ、NYで日本の御能と舞踏の600年に跨がる美の対比がどのように受けとめられるか、身体、そして日本への新たな関心が芽生えてくれることを願ってやみません。

 能から舞踏へ__そこには人間と見えない世界の繋がりや、無意識の宇宙ともいえる「大いなるもの」への祈り、聖なるものへと自らを捧げるという奉納の気持ちが「共通項」として息づいています。このたびの個展「Men at Dance - from Noh to Butoh」では、日本の身体表現の伝統と現在を紹介しながら、このことをテーマにしました。

 同展を通して「奉納」や「祈り」の日本発のヴィジョンが、宗教や民族の違いを越え、人類に共通する願いとして、伝わっていってほしいと思います。

 伊藤美露
 2007年9月吉日
 ==========================================================
 Location: The NY Public Library for Performing Arts / Plaza Lobby -Wall Gallery
 40 Lincoln Center Plaza, NYC / NY 10023-7498 / Phone: (212)870-1630
 Exhibition Hours: Tues, Wed & Fri: 11 to 6; Mon, Thurs: 12 to 8; Sat: 10 to 6

 ---------------------- 日本図書館協会選定図書 -------------------------
 『魅せる写真術 発想とテーマを生かす撮影スタイル』
 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション

911から6年ー鎮魂と追悼の祈り

2007-09-11 10:33:12 | Weblog
911から6年ー鎮魂と追悼の祈り

NYで体験した「September 11」から、今日でちょうど6年が経ちました。

かつてニュースキャスターの下村健一さんの依頼で、下村さんがキャスターを務めていた「ネクストステージ」(BSジャパン)という番組での放映用に、詩を綴ったことがありました。

******************************
三つの選択

「その瞬間」に立ち遇ったことで、
NYの人々には大きな選択の時がやってきた。

人間世界の暗黒への「怒り」と「怖れ」を選択し、苦悩し続ける人。
感情で受け止められる以上の「憤り」を感じて「正義の戦い」に邁進する人、
そして「怒り」も「怖れ」も「憤り」も乗り越えて、
人類の新たな「愛」の連帯に目覚める人。

その3つの選択が、写真家である私自身にもやってきた。
写真家として「惨事」を「警告」として伝える人。
「悲劇」を「ドラマ」として切り取る人。
そして「惨事」と「悲劇」の向こう側に、
鎮魂と追悼の「祈り」を見つめる人。

私にできることは、ただひたすら平和のために、
カメラを通して「祈り」、地球を、そして人類を
愛し続けていくことだけだ。

NYではそれでも毎日くり返し、同じ選択が人々の心を駆け巡る。
「怒り」か「祈り」か?
「制裁」か「対話」か?
「戦争」か「平和的解決」か ...?

(詩:伊藤美露、BSジャパン「ネクストステージ:特集ニューヨークの『いま』/
ニュースキャスター、下村健一」 2001年10月6日放映より抜粋)

******************************

その後、私は「鎮魂と追悼の『祈り』を見つめる」選択をし、
身体を通して、見えない世界への橋渡しとなるような作品を作りたいと思い、
日本に戻ってきました。

私が伝えたいのは、身体という「衣」を脱ぎ捨てたとき、魂的にはすべての人が繋がっていること。
草木のすべてに仏性をみる仏教、万物にカミをみる神道など、表現の仕方は違っても、世界のすべてにいのちが宿り、すべては支え合っていること。
このことにもう一度立ち還ることで、誰しも世界への愛、他者への愛を取り戻せるのではないでしょうか。

空が気づきとなるのも、人が大いなる存在に抱かれていることに目覚め、
大いなる自然との繋がりを、意識できるきっかけとなるからでしょうか。

同様に、身体を通して「いのち」というレベルから、
人間の存在の重みが改めて問われるとき、
初めてなにをなすべきかが見えてくるのかもしれません。

911から6年_。
今日も世界が少しでも新たな愛に目覚め、
平和への種をひとつでも育むことを願いながら、
鎮魂と祈りのために、
永遠へと向かう時間の中で、
光を見続けていきたいと思います。


空に鎮魂と追悼の祈りを捧げながら....
合掌 伊藤美露

2007/9/11
text and photo by miro ito, all rights reserved.
sky over kamiuma, 2007.9.7


☆☆☆☆☆☆☆☆ 日本図書館協会選定図書 ☆☆☆☆☆☆☆☆
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 著:伊藤美露 定価 : 2,079円 B5判/160P/オールカラー    
 ISBN 978-4-8443-5921-0
 発行:株式会社エムディエヌコーポレーション