走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

患者に寄り添う おまけ

2019年03月25日 | 仕事
8日も続いたシリーズだから、もう終わり!の予定でした。

しかしこのブログを読んで、もう1日足そうと思いましたので、お付き合いくださいませ。

実は下記の内容、シリーズ中に書いていたのです。でもその回が長くなったので短くするために削除した部分です。それプラス今回一つのブログとして出すために補足しています。


北米では個人が最も重要で、違いも含めお互いを尊重する事を目指しています。なのでパーソナルスペースも大事にします。パーソナルスペースとは個人に対する距離です。わかりやすい言葉で言えばお節介、他人の心に土足で踏み込むような行動は禁物という事。これは医療者だけではなく、北米では人間として軽蔑される行為です。、、、と言いながらゴシップ雑誌が売れ、自分より悲惨な境遇にある人を見て優越感に浸る人はどこにでもいるから、これは人間としてのSinなのかもしれません。逆に言えばそれを戒めてこそ人間!と言う北米の現れなのかもしれません。とにかく他人との距離は大切な事とされます。

「患者に寄り添う」と聞くと日本では、なんと献身的な医療者、医療ボランティアか?!と思われがち。美談とも取れますよね。しかし患者になった事がある方はそうは思わないかもしれません。私はナースプラクティショナー(NP)になるまではホスピス緩和ケアを専門にする看護師でした。多くの死に逝くケアに関わり、多たくさんの事を患者と家族から学びました。その一つがどんなに頑張っても誠意を尽くしても患者を真に理解することはできないという事です。これについて書いていたブログはこちらです。患者を理解しようとする姿勢は素晴らしいですが、そうすることによって「理解できる」と思い込むのはおごりです。

ホスピス緩和ケアの教育の比喩で使われていたのがこれ、
患者から一緒にダンスを踊ろうと誘われても、患者のダンスをフロアの外から見守るのが大切。
死に逝く人のケアでは、感情を入れ込みやすいのでプロとしての一線を超えてしまう、自分が燃え尽きてしまう、などが起こりやすい環境です。自分を守るためにも、そして患者家族を守るためにも、自分の立場を正しく認識することは大切です。

今回のシリーズでこのようなコメントがツイッター経由で来ました。
>とても勉強になるシリーズでした。日本では、看護師が自分の感情を使い過ぎて潰れてしまうケースがあるように感じる。、、、<

これはあってはならない事です。このツイッター以外でも看護師だから患者の愚痴を聞くのも暴力的な言動に耐えるのも仕事の一部、、、なんてツイッターを見かけたり、、、これらはあってはならない事なのです。そう言う意味でも患者との距離を保ちプロとしての境界線は常に明確にするのは大切だと思います。北米と日本の看護師を比べ、日本の看護師さんの方が献身的だと聞くことは確かに多い。でもやりすぎはいけません。同時に過信も、そんな面でも看護は技術と理論としておいた方が賢明だと思います。そして何度も書きますがプロのスタンダードの中に人格や感情論は絶対入りませんから。



朝の散歩。馬とワンちゃんと散歩していた人と遭遇(ワンちゃんは木の陰)。さすが馬保有率一位のわが街。フレンドリーでこの写真後しばらく立ち話になったほど。その間、馬もワンちゃんもスリスリと頭を寄せてきました。動物にも好かれる私。犬嫌いなんですけど〜。老犬だったから恐怖心が出なかったからか、、、、






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