走るナースプラクティショナー ~診断も治療もできる資格を持ち診療所の他に診療移動車に乗って街を走り診療しています~

カナダ、BC州でメンタルヘルス、薬物依存、ホームレス、貧困層の方々を診療しています。登場人物は全て仮名です。

患者に寄り添う 番外編

2019年03月24日 | 仕事
昨日まで続けた シリーズもの1〜7の番外編。

その3で看護師の力量に幅があると書きました。これを読んでやっぱり准看制度を撤廃しなければ、と思った方がいると思います。私はそれには反対です。これについては以前書きました。こちらから

私が住むBC州では ケアエイドと呼ばれる介護士は6ヶ月の教育。准看護師は高校卒業後1年の教育。看護師は学士課程の4年の教育と決まっています。介護士の為のプロフェッショナルの団体はありません。准看護師と看護師はプロの団体として登録制になっています。つまり准看と正看護師のスタンダードなどが明確化され、免許更新にあたり課せられている事を行わなければ免許を失効する仕組みです。これで国民が准看と看護師は違うプロだと知ることが出来、本人達もどこで、何をするのか二つの職種間で業務が混ぜこぜになる事はありません。

シリーズ その4で書いたように患者のそばにいるのは家族でも友人でも介護士でも准看でも看護師でも出来る事。家族と友人はさておいて、介護士は6ヶ月の教育で学んだものを、准看は1年間の教育で学んだものを、看護師は4年の学士課程で学んだものを「そばにいる」他に出来ると言う事ですよね。もし「手を握る」や「患者に共感する」をあたかも看護師の最も核とするものと位置付けると、それぞれの教育/知識の差は関係ない仕事になります。だから私は看護を「共感できる」とか「そばにいる」とかで表したくないのです。

そして性格的に人の手を握る事が出来ない看護師がいたとします。だからと言ってこの看護師はダメな看護師と呼ばれる所以はありません。手を握らなくても他のスキルを使って回復過程をケアしていくことができるはずです。

だからこそ、看護は看護技術と理論と言いたい。患者の「そばにいる」「手を握る」「共感できる」、、、などど一般人でも他の職種でも出来る事で表すべきでないと思うのです。

看護をする目的を明確に、抽象化と具体化された説明も端的にプロフェッショナルな言語を利用して明記するのは大変重要な事だと思います。日本のどこにも看護師としてのプロフェッショナルのスタンダードがないのは外から見て不思議に思えて仕方ありません。看護師でさえ不明確なまま、認定、専門、特定、診療と増やして行っては混乱の要因になります。いえいえ既に実際既に起こっている事ですが、、、

看護協会様、それは貴会のなすべき仕事だと思いませんか?

シリーズ終わり!



昨晩の散歩にて。春だわ〜〜



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