携帯電話のことを書いている人がいました。
私は携帯電話を持っていません。家に居る事が殆どですから必要ないのです。
それと、10年少し前に携帯電話で不快な思いをしたことがあるのも原因かも
知れません。祭典の打ち合わせで寄付を集める相談をしていました。
会合の参加者の携帯電話が鳴りました。話は一時中断しました。
さして重要な電話ではなかったようです。会合の話、振り出しに戻りました。
当時は今ほど携帯電話は普及していませんでした。携帯電話を持つことが
格好が良いと言う雰囲気もあったのです。道路で話し声がします。
大きい声です。話の雰囲気は側に人がいるようには聞こえません。
外へ出て見ました。得意げに携帯電話で話す人が通りました。
小さな機械にそろっているボタン、当然書いてある字は小さいのです。
老眼鏡が無ければ見えません。車を運転します。加齢で鈍った操作では怖くて
携帯電話に手を出す気もしません。
カメラが好きで、この頃すでにデジカメを持っていました。
パソコンはネットを始めて10年は過ぎていました。
機能の進んだ携帯電話でも持つ必要は無いのです。
娘がお婆さんに通話だけの携帯を買いました。
そのお婆さんは携帯電話を持って出ることはありません。娘が持っていってと
言いますが、お婆さん忘れて持って行きません。
何時も充電器の上に鎮座しています。