漢書に曰く「足るを知れば辱められず、止むるを知れば殆(あや)うからず、功遂げ身退くは天の道なり」とあります。自国の非や他国からの苦言を認めず、覇権を求めて止まぬ国の為政者は先人の偉大な教えを何と心得ているのだろうか。体当たり戦法による越国漁船沈没事件(5月26日)、自衛隊機に対する自国機の超異常接近威嚇(5月25日)等「非は我にあらず」と強弁して憚らない傍若無人な振舞いが続く限り、漢書の大国に対する好感度は益々低減し、国際社会からの「冷たい辱め」はエンドレスに続くでしょう。
最近特に「まさか?と思う事案、事件が目立つように感ずる。例えば、1.欺瞞の全聾大作曲家が多年に亘り音楽界で振舞った数々の似非遍歴2.学校関係者が、3Dプリンターを利用して殺傷能力のある拳銃を製造・ネット上で公開3.信頼されていた小学校校長が覚醒剤所持容疑で逮捕4.パソコン通の男が、遠隔操作により善意の第三者をネット犯罪容疑者に仕立て上げ、犯行を自作自演5.同級生の女性によると見られる不可解殺人と当該被害者名義の旅券偽申請による海外逃亡事件等等だ。時代・時勢の影響も当然あるだろう。それにしても不可解な出来事が多過ぎる。こうしたケースを報道で知る度に、人は何故、時に心の相を悪魔にして「仮面の輩」に変身して悪事を犯すのか、老生は摩訶不思議に思えてならない。
愚生が若狭湾に繋がる福井・美浜町の日向湖に面した寂れた漁村で、雑貨屋を営む家の次男坊として生まれたのは1935年(昭和10年)6月だった。
父は、18歳で叔父さんを頼って米国に移民、約10年ロサンゼルスの日本人街で働き、28歳で帰国して雑貨屋を開業。29歳で旧朝鮮の京城(現在のソウル)病院で看護婦だった母と結婚。
その3年後に愚生は生まれた。故郷に住んだのは18歳迄である。

子供の頃は、湖岸でよく黒鯛や鯵釣りをした。夏場、外海(日本海側)の海岸で素潜りをしてサザエや鮑取りをしたり、春秋には里山で多くの餓鬼共と木登りや杉鉄砲で遊んだり、椎の実を摂って食べたりした記憶は今も鮮明である。
近年その湖上には、養殖筏やハマチ・アイナメ・メバル等が釣れる人気の釣堀りで風景も変わって来ている。しかし、我が心の中の故郷は昔のまま変わってはいない。中学当時の在京の同級生はもう僅か3名になってしまった。元気の証に時に会食もするが、話題は今も故郷の今昔話しが多い。遠くにあっても故郷は実に有難い。暫し偲ぶだけで心が癒される想い出の泉なのだから。
父は、18歳で叔父さんを頼って米国に移民、約10年ロサンゼルスの日本人街で働き、28歳で帰国して雑貨屋を開業。29歳で旧朝鮮の京城(現在のソウル)病院で看護婦だった母と結婚。
その3年後に愚生は生まれた。故郷に住んだのは18歳迄である。

子供の頃は、湖岸でよく黒鯛や鯵釣りをした。夏場、外海(日本海側)の海岸で素潜りをしてサザエや鮑取りをしたり、春秋には里山で多くの餓鬼共と木登りや杉鉄砲で遊んだり、椎の実を摂って食べたりした記憶は今も鮮明である。
近年その湖上には、養殖筏やハマチ・アイナメ・メバル等が釣れる人気の釣堀りで風景も変わって来ている。しかし、我が心の中の故郷は昔のまま変わってはいない。中学当時の在京の同級生はもう僅か3名になってしまった。元気の証に時に会食もするが、話題は今も故郷の今昔話しが多い。遠くにあっても故郷は実に有難い。暫し偲ぶだけで心が癒される想い出の泉なのだから。