気心は未だ若い「老生」の「余話」

このブログは、閑居の間に
「言・観・考・読・聴」した事柄に関する
 雑感を主に綴った呆け防止のための雑記帳です。

反日の行く末と歴史認識問題

2014-07-05 08:38:25 | 時評

7月3・4日の両日、注目の中韓会談が行われた。中朝関係が冷え込んでいることもあり、中国の主席が北朝鮮より先に、韓国を訪問したのは、歴代主席の中では習主席が始めてであった。これも歴史の必然であろう。注目の共同声明には、「日本の歴史認識問題に関する言及」はなかったこともあり、韓国マスコミの反応は総じて「失望感」を表明していると報道されている。

確かに日米に対する両国双方の配慮もあって、共同声明の文言には盛られていないけれども、朴大統領の反日姿勢特に慰安婦・歴史認識問題に関する拘りは、何等変わってはいない。中国側もこの会談に合わせたかのように、日本軍の戦争犯罪を内容とする「戦争犯罪書面白書」なるものを出版したし、講演会等では習主席が、秀吉の朝鮮遠征時にも中韓が共に戦ったことを言及する一幕もあつた。習主席が、中韓の歴史認識に関する連帯感を強調し、韓国に対する寄り添いの姿勢を示したのも対韓外交上の配慮からであるようだ。一方、米中2足の草鞋を履かざるを得ない朴大統領の立場はより複雑なのだろう。中韓接近に関し、当方が知りたいことは、朴大統領が昨今問題視されて来ているもう一つの歴史認識問題についてどんな認識を持っているかと云うことである。

それは、朝鮮戦争当時における●米軍・韓国軍に対する国内の慰安婦問題であり、20万人余の中共軍が参戦・侵略し同戦争で韓国人約240万人が犠牲になった歴史についての認識である。同大統領は、これ迄こうした「もう一つの歴史認識問題」について公的な認識を示してはいないし、韓国マスコミも殆ど取り上げていないのは何故か、疑問が深まるばかりだ。

現状では朴大統領は、米中両国からどちら向きの姿勢なのか「踏み絵」を踏まされているようで、唯一鮮明にしている反日の御旗を基軸とした外交路線を踏襲せざるを得ないのだろう。しかし、韓国が反日の御旗を掲げ続ける限り、日韓の政冶経済共に冷冷の影響が日本よりも韓国内で今後徐々に拡大されるのではないだろうか。近く中韓FTA協定の締結により中韓貿易拡大策が採られても、現状の深刻なウオン高がこのまま続けば、1997年以上の経済危機に陥ると韓国通経済識者の観方も出ている。

「体面」を重んじ、先進国化の道を歩む国の指導者は、このところ益々「親中・離米・反日」の方向性を強めているが、偏狭な「体面」や国論に拘らず、国内の現状と行く末を見定め、より大局的見地から近隣諸国との善隣友好の路線を模索して行くべきではなかろうか。いずれにしても今回の中韓蜜月を印象づけた会談は、双方の利害が微妙に絡んだ外交ショー的意味合いの強い会談だったと云うべきであろう。


長生きは形骸也か

2014-07-02 15:38:20 | 信仰

実家での法要(6月24日)の際、久し振りに僧侶に随誦して修証義の経文を詠んだ。出席者全員が読経するので、法要の場にいることを実感出来るとてもよい慣わしである。読経は般若心経に始まり、日々善行感謝の教えを説いている第5章行持報の章で終るがその章の中に当方が傍線を付した文言がある。この部分について当方は、以前から次のように解釈している。「いかに長生きをしていても、その間報恩の気持ちを蔑ろにし、善行がない生き方をしているようでは、人としての内面は空虚になり、徒に生きているだけで、そんな生き方ではいけないのだ。経文中の100歳云々は、年令の単なる例示で、100歳も生きすることを戒めている訳ではない」と。・・

果たしてそんな自己流の解釈でよいのか、帰京後Netで前記傍線カ所を含む経文前後の解釈を調べた。その解釈は次のようになっている。

「時が経つのは矢よりも速く、人の生命は草の葉の露よりもはかないものだ。どんな手段で、過ぎ去った一日を取り返すことができるであろうか。むなしく長生きしたところで、後悔ばかりの日々と、悲しむべき肉体が存在しているだけだ。しかしそんな煩悩に支配された百年の間に、一日でも誠実に生きれば、百年の生涯だけでなく、来世の百年も救われる。この一日の生命は、かけがえのない大切な生命である。だから誠実に、生きる生命を、自分自身でも敬うべきだ。私達の生活によって仏の生命が顕れ、仏の大いなる道が通じるのだ。」と。・・当方の解釈に、さして間違いがないことを確認出来た。また、ありがたいことに、加齢と共にこの種のお経の意味もよく解るようになって来ている。「歳を重ねると人は一般的に信仰心が篤くなる」ものだが、仏教に限らず、やはり宗教には「人を啓発する」無窮の力があるのだろう