miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

近代史を顧みて・支那大陸とハルノ-ト

2018-04-18 | Weblog
太平洋戦争直前の日米交渉の時、アメリカ側の代表がコ-デル・ハル国務長官でした。当時の日本は日清戦争・日露戦争の勝利の結果支那大陸に多くの利権を持ち移民を護るため軍隊を駐留させていました。同様に英国やフランスも租界を形成して軍隊を駐留させていました。アメリカは早くから支那大陸の利権を狙っていましたが、西南戦争の後始末が長引き支那大陸への進出が遅れたため、日本の駐留軍隊がアメリカの進出を阻む結果となっていました。


日本政府は日米開戦を何としても避けたいと、8ヶ月にわたって日米で利権を分け合う余地を話し合ったのですが、ヨーロッパ戦線で敗色の濃いイギリス・フランス・ソ連はアメリカの参戦を待ち望んでいました。昭和16年コ-デル・ハル国務長官は事実上開戦通告とも言うべき最後通告を日本に押し付けました。1.四原則の無条件承認(他国への内政不干渉ほか3項目)。2.支那及仏印からの全面撤兵。3.国民政府(汪兆銘政権)の否認。4.三国同盟の空文化。


ル-ズベルトはこのハルノ-トを日本に突きつける前日ハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官を招集して「いかにして最初の一発を日本に撃たせるか」を協議しています。こうしたことがアメリカの機密文書公開で明らかになり。ハルノ-トを知ったアメリカのフ-バ-大統領(ル-ズベルトの前任大統領)も、東京裁判で全員無罪を主張したインドのパ-ル博士も、ハルノ-トは外交上の暴挙だと表明しています。