miyabuの雑記帳

ボケ老人の無責任なお話

藤原正和(ホンダ)東京マラソン制覇

2010-02-28 | Weblog
東京マラソン2010は、フイギヤスケート入賞者のよる、ショーと時間が重なったので、見逃した人が多いと思います。過去の大会で、41キロ地点まで、トップグループが9人もいたマラソンは、記憶にありません。

写真は、この時点で藤原正和(ホンダ)がスパートし、すかさず、藤原新(JR東日本)、佐藤敦之(中国電力)、川内優輝(学習院大学・箱根の学連代表)が追従、そのまま1位から4位までを、日本勢が占めました。

藤原正和の39~40キロは3:25秒、40~41キロは2:52秒、と終盤驚異的に伸びています。30キロ地点辺りから、雨が雪に変わり、厳しい気象条件の中、尾崎朱美にハプニング発生、女子はロシアのアレフティナが、優勝。

浅田真央涙の会見

2010-02-26 | Weblog
銀メダルに終わった悔しさが、記者のインタビューで、涙となった。終盤の小さな2ツのミスが、金メダルを韓国のキム・ヨナに持っていかれた悔しさです。

それまでは超難度のスピン、高さも着地の安定度も完璧だったし、難度の高い演技の連続で、圧倒的な強さでした。バックスケートのチョットした躓きは、氷面の荒れが原因だろうけど、やはり減点対象には相違なく残念です。

安藤5位、鈴木8位は、納得しがたい点もありますが、素人の日本人贔屓になりますので止めます、あえて言えば私の点数では安藤3位、鈴木5位になりました。特に安藤の衣装が良かった、顔とよくマッチしていて、クレオパトラを連想しました、採点は、技術と、表現力、だけでなく衣装も入れたらどうですか。

党首討論で国家像を明確に

2010-02-23 | Weblog
最近、テレビでよく発言されるようになった、日本総研会長の寺島実郎氏の「日米同盟再構築論」に啓蒙された一人です。

戦後62年、アメリカの植民地的な政策を続けてきた日本政府は、日米軍事同盟を、変更できない案件として固定化し、変更を加える議論には極端に拒否反応をしめした。

寺島氏は、国際社会の常識に還って、「独立国に外国の軍隊が、長期に亘って駐留し続けることが不自然だ」と言う認識を国民も政治家も、取り戻す必要がある、と次のような点を挙げて、強調しています。

日本に駐留するアメリカ軍人は4万人、軍属・家族は5万人、占有基地は東京23区の1,5倍にも及ぶ。

アメリカが世界に展開している、大規模海外基地5ツの内、横須賀、嘉手納、三沢、横田、の4ツが日本である。

日米合同委員会により、政府が国会の承認なしに、日本全国どこにでも、基地提供を決めることが出来る。

首都圏に、横田、横須賀、座間、厚木などの米軍基地(外国軍基地)が存在するのは、世界に例のないことです。かつ米軍駐留経費の7割を日本政府が負担していることです。

在日米軍地位協定のベースに成っているのは、占領軍時代の、行政協定ですから、日本の主権が希薄であるのみならず、地位協定にも規定のない駐留軍経費の負担が拡大していることです。と言ったことが寺島氏の主張です。

日本人には、「政治と金」を絡ませれば、政権崩壊出来ると、米国筋は見ているのではないかと、疑いたくなる場面があります。

米国に都合の悪い政権は突如金銭問題が持ち上がり、政権崩壊へと繋がります、マスコミ操作による国民誘導の陰が感じられるのです。

自民党も、風向きが変わった、金銭問題追求だ、なんて鬼の首を取ったかのごとく、はしゃいでいるのを見ると情けなくなります。

基地問題も含めた、国家像を戦わすことによって、新しい自民党の姿に国民は大きな関心を寄せるに違いありません。

明智光秀と天海説

2010-02-17 | Weblog
昨年10月明智光秀の墓について、本欄で触れましたが、光秀天海説が意外に多いのに驚きました。作家の山岡荘八は、山崎の合戦後、影武者を犠牲にして、比叡山に逃れ、僧侶になったと述べています。

堺の豪商「そろり新左衛門」の妹と光秀の間に生まれた子供は、玄琳と名乗り、仏門にいましたが、秀吉が叡山再興に力を入れ始めてから、危険を感じ玄琳を伴い新左衛門に助けを求めた。

新左衛門は、泉州助松村の蓮正寺に助松庵を建て、後に貝塚市の大日庵(そのご岸和田の本徳寺と合併)に移し匿ったが秀吉没後の慶長4年(1599年)「鳳岳院輝雲道秀大禅定門」の位牌を残して飄然と立ち去っています、位牌の輝秀に光秀の2字が隠されていると見ています。

徳川3代将軍、家光の乳母春日の局と、徳川家康の繋がりに疑問を持っていましたが、光秀天海説ならば納得できます。明智光秀の重臣だった斉藤利三の娘が、春日の局なのですから

南光坊天海の戒名は、慈眼大師です。光秀の過っての丹波亀山城下には、慈眼寺があり、光秀を祀っています。そのほか、天海が差配した日光東照宮にも、光秀の影がちらついています。

三井山と古墳

2010-02-16 | Weblog
各務ヶ原自衛隊基地の西端に、三井山公園があります。山頂まで460m、15分ほどです。山頂の城址跡には神社が祀られていて、一段下がった処に素敵な展望台があります。航空自衛隊の発着が一望できます。

この三井山には、古墳時代後期(1400年前)の古墳が40~50基ほどあったようです、大部分が壊されて現在所在不明になっていますが、写真がその一つです、中央に横穴式石室があります。

室町時代、この地を支配していた三井弥一郎地頭が、山頂の築城工事、特に3層の曲輪造りで山を相当変形した記録があるようですから、そのとき殆ど壊されたと思われます。

バンクーバ冬季IOC

2010-02-14 | Weblog
第21回冬季オリンピックが、カナダのバンクーバで開会されました。最初、貴賓席の可愛い黒人女性が誰なのか解らずにいましたが、カナダの女王(エリザベス女王の代理)ミカエル・ジャン総督と解り、急ぎ写真に収めました。

カナダの実質的な首長は、選挙で選ばれる連邦政府首相ですが、アメリカの大統領よりも早くから、カナダの総督に黒人女性がなっていたとは知りませんでした。

これから暫くは、テレビ観戦で一喜一憂の日々が続きそうです。

2月の天王山

2010-02-08 | Weblog
今年は雪が多いので、天王山もめずらしく雪に覆われていました。Aコースから入山して山頂まで1時間45分雪景色を眺めながらの、登山でした。山頂でコーヒーを沸かして、昼食、12時45分、Dコースで下山開始、山を一周するコースです。

アイゼンをつけない登山でしたので、降りの急勾配は雪に足をとられないよう、慎重に下山、1時間40分掛けて、おりてきました。人気の高い天王山ですが、今日は、私達のパーティ以外、誰もいませんでした。

別大マラソン日本人トップ井川

2010-02-07 | Weblog
第59回別府大分毎日マラソンは、ケニアのキプコリルが優勝、日本人トップは4位に入った井川重史(大塚製薬)の初マラソンでした。25歳京都産業大学卒、大塚製薬では駅伝を中心に活躍、初マラソン出場で注目の一人でした(写真)。

もう一人、今大会初マラソンで注目されていたのが、10,000m日本歴代3位の記録を持つ、三津谷祐(トヨタ自動車九州)でしたが、9位におわりました。

井川は、38.5キロ地点でも、2度目のスパートでトップを覗うなど、積極的なレース展開で初マラソンと思えない、頼もしさでした。今後の成長が期待されます。

朝青龍涙の引退

2010-02-04 | Weblog
朝青龍明徳・平成11年1月初場所、序二段、三段目、幕下、でそれぞれ優勝一年で通過。12年9月十両に昇進、13年1月3役、14年9月大関、15年3月横綱。幕内優勝25回、669勝173敗。初場所から横綱になるまで、4年という物凄いスピード昇進でした。

きょう、暴力事件で涙の引退となりましたが、あまりにも早すぎた昇進で、横綱としての自覚が出来ぬままのヤンチャ振りでトラブルを重ね、引退にまで追い込まれたのは、高砂親方の、責任が重大だと思います。

相撲部屋の親方は、子供を預かって一緒に生活をするのですから、相撲の歴史から、日本人の相撲感覚、一般社会常識まで、親に代わって教え込む責任があります。

今回、暴力の対象になったのは、六本木にある、「クラブF」のKと言う人だそうですが、
この人は芸能界のクスリ疑惑で、よく話題になるとのこと、酒井法子の夫高相逮捕の時も法子と一緒に駆けつけたのが、このKで元暴走族の頭、現暴力団関係者。

押尾学、泉田勇介(押尾に麻薬を販売、逮捕)などもKのダーティ人脈と言われているそうです。暴力団との親密な交際が噂されている、占いの細木数子女史が、朝青龍のパトロンとして有名ですが、事件当日も一緒に飲んでいたのが、元ABCホームの塩田大介会長だったとのこと、麻薬疑惑もあり、脱税で海外逃亡をしていたような人だそうです。

横綱と言え、一般社会には経験の浅い若者ですから、親方はその辺りにも充分目配りして、指導すべきでした。まことに惜しい人材を相撲界は失いました。

犬山・成田山節分祭

2010-02-03 | Weblog
犬山・成田山の節分祭には、地元出身の俳優・夏樹陽子さんや、ボクシング元世界バンタム級チャンピオン薬師寺保栄さん、元宝塚男優役の遼河はるひさん、などが来て豆撒きをしました。

今日は、雪がちらつく寒い一日でしたが、結構な人出でした。私も2袋豆を獲得できました。いい一日で無ければならないのですが、行きはシートベルトの不着用でつかまり、帰りは軽自動車との接触事故で、警察の世話になるような散々な一日でした。