ラヴェンダーの咲く庭で

「みゃーきんぐ・ぷあ」から変更。保護猫と綴る日々の備忘録、独り言にすぎない半径5mの記録です!基本、読み専です。

基本、おバカ。

2019-07-19 12:33:47 | 日常

夜中降り続いた雨はようやく上がった。曇りからやがて晴れへ。30-25℃

それからが昨夜までの雨の蒸発もあって、蒸し蒸し地獄だった!

まぁ、猫達は平気のようだったけれど。彼等は久しぶりの日光浴を楽しんでいた模様。

久しぶりに暑いけど、稲も育つか、、、クマバチは花に群れ、すべて世は事も無し、と言ったところか…。

(しかしながら、台風の影響で、九州は大雨に見舞われるという警報も出ている!この異常気象は油断ならぬ、お気を付けください。)

 

  

さて、

7月13日(土)の朝日新聞の声の欄で心に残った記事。歌手のさだまさしさんと「共に考えよう」である。 

 

〇原爆の日がいつか知らない人が増えています。4年前のある世論調査では、正答率が全国平均で3割弱でした。風化が進んでいます。

〇僕が長崎で生まれたのは原爆が落とされて7年後。米国が被爆者を調査研究する委員会に3回も運ばれ、体を検査された。背中のアザみたいな産毛の塊が被爆の影響か調べられました。子供のころから原爆は人ごとではありませんでした。

〇叔母は1945年8月9日、黄色いパラシュートが落下してくるのを見たと言っていました。飛行機の部品工場で働いていたのですが、直後に地下室にかけこみ、原爆の光は浴びなかった。傷だらけになって家に帰ったが、しばらくは毎日血が止まらなかった。内臓の5カ所が原発性のがんにかかり、67歳の時に死にましたけれど、まさに原爆症でしょう。

●被爆体験だけでなく戦争自体のリアルさも忘れられかけている。父は中国大陸の最前線で白兵戦を経験しました。泥だらけになって取っ組み合って。戦場は生きるか死ぬかの修羅場です。戦闘で死んだ親友の遺体を一晩抱えて過ごしたとも聞きました。それが父たちの青春だったんです。

〇戦争は繰り返してはなりません。ただ、お年寄りと若い人が同居する家族が減り、世代間の会話が不足したままで来ていますから、命の尊さを伝えるバトンを次世代に渡すのは難しくなっていると感じます。

〇「戦争がすべて」と被爆した叔母は行っていました。「原爆を生むのは人間の心にすむ鬼。普段は鬼に蓋をしながら生きている。戦争ではそれが表に出てくる」と。

〇原爆とは何でしょうか。被爆地についてどんなことを知っていますか。知りたいと思いますか。どうしたら知ることが出来いると思いますか。

 

※上は、7月14日の私のブログ記事に書いた事を実行した。下は14日の記事の一部。 

今日、ぼんやりと考えたことなど、、、 

昨日、朝日新聞の声の欄に「原爆とは何でしょう」というさだまさし氏の記事が載っていて、(朝日有料デジタルでは読めるのだが、)いずれその記事を載せれたらいいなと思っている。 

選挙も近い、戦争とは訓練された自衛隊がしてくれるものだ、もしくは男性がするものだと、なんとなくイメージとしてとらえがちであるが、世界では徴兵制制度で、女性を徴兵する国もある。 

女性も徴兵のノルウェー軍、部屋も「男女混合」

 https://www.afpbb.com/articles/-/3098855?utm_source=popin&cx_part=incomingpopin

ことによれば、女性だって兵士として戦争に参加、反戦歌なんて詠んでいる場合でないし、その歌だって、

与謝野晶子は「旅順口包囲軍の中に在る弟を嘆きて」で、「あゝをとうとよ、君を泣く、君死にたまふことなかれ、」で反戦を唱えるが、その後「水軍の大尉となりて、わが四郎、み軍(いくさ)に行く、たけく戦へ」と歌ったように変化していく。これは、与謝野晶子だけではない。参考文献をあげておく。

参考文献https://www.sankei.com/column/news/170823/clm1708230006-n2.html 

 

さて、さだまさし氏の話の中で、戦争の悲惨さには風化してはいけないと、特に黒丸をつけ、今回問いかけの原爆には、現代の核兵器はあの広島、長崎の時代の威力どころではない事、

チェルノブイリや福島の原発事故でもわかるように、後始末は大変。一度汚染されたら人々の争いだけではすまぬ、死の大地になる、地球自体がダメになる、決して使ってはいけない兵器であるとしか私は言えない。『核兵器禁止条約』に日本は調印していないことも私個人としては疑問である。

選挙も近い、まず投票に行こう!

私は発表会も近い、尻に火がついている_| ̄|○

音痴な自分が弾く動画で、音痴二重奏をしてみたりwwwそれはもう地獄の音、強烈ですw

そーいえば、さだ氏も小田和正氏も幼少期はバイオリンだったな。私の愛する音楽、文学、芸術は平和の上に成り立っているわけです。(いっそのこと、ヘイト合戦やり放題番組を作り、朝まで生ヘイトだけで終わってくれんかのぅ。ただし口先だけの戦い。)

自分の曲にはもうウンザリ、プログラムを見るとユーモレスクの子がいる、家に楽譜があった。

うううん?

これ、最初「あめあめふれふれかあさんが」の歌詞がぴったり当てはまらね?うん?俺って天才?

 

基本、どーでもいい馬鹿な事しか書けません、_| ̄|○ ここまで読んでくださったアナタ、スマヌ。今日も私は馬鹿だった…。明日こそは!

コメント
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