MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2040 ウーバーのヤバいやり口

2021年12月13日 | 社会・経済


 日本で「ウーバー(Uber)」と言えば、コロナ禍の下、ファストフード店や飲食店から品物を運ぶ「ウーバーイーツ」が広く知られるようになりました。しかし海外では、世界63か国450都市で事業展開されているスマホアプリを利用した送迎サービスを指すことの方が多いようです。

 ウーバーは2009年にアメリカで誕生し、この日本でも2020年7月から東京都内でサービスが開始されています。と言っても、対象範囲は港区、千代田区、中央区の区域に限られており、日の丸リムジン、東京エムケイ、エコシステムの3社との提携により利用可能な台数は都内で約600台ということなので、運用から1年以上が経過した現在でも利用したことのある人はかなり少ないのではないでしょうか。

 そういう私も実際に使ったことはないのですが、その理由はウーバーの配車サービスが、営業許可を持つ事業者の車両以外での有償乗客輸送を禁ずる「道路運送法」に抵触すると(国土交通省に)判断されたから。現在、都内でウーバーのアプリを使って配車をお願いしても、やって来るのはプロのドライバーが運転する提携会社のタクシーということになるようです。

 海外展開している本来のウーバーによる配車サービスは、あくまで「ライドシェア」という形態を指すもの。ウーバーイーツのように、アプリによる呼び出しを受け、時間のある人が自分の自家用車を使ってお客さんを目的地まで運ぶというのが本来の姿です。しかしそこには、ドライバーの資質の確保や運行上の安全管理の問題、既存のタクシーやハイヤーとの住み分け問題などがあるとされ、国内での普及にはまだまだ時間がかかりそうです。

 ちょっとした移動をする際に、消費者の側から言えば選択肢が増えるのはうれしいことのようにも思えます。しかし、ドライバーを(自己責任の)独立した運転請負事業者として働かせるこうしたサービスシステムには、それなりの問題があるのも事実です。11月23日の東洋経済ONLINEでは、ニューヨーク大学スターン経営大学院教授のスコット・ギャロウェイ氏による「ウーバーのやり口「冷静に見るとヤバすぎる」わけ」と題する興味深い論考を紹介しています。

 本当に抜け目ないビジネスとは、自己資本を少なくしてコスト構造を変動費化すること。ウーバーはこの新しいモデルのお手本だと、氏はこの論考の冒頭に記しています。同社は他人の資産を活用しているからこそ、パンデミック初期には中核事業が崩壊しかかった中でも株価を維持できた。ウーバーが貸しているのは、従業員でない人間が運転する、他人の車の空間(どう言おうが、法的にはそうなる)そのものだというのが氏の認識です。

 (例え人々が出歩かなくなったとしても)利益をもたらさなくなった車はすぐに姿を消してしまうので、サービスを維持していくためのコストはほとんどかからない。ウーバーのビジネスモデルは、アメリカで領主が農奴にしかけた最新の(ヤバい)戦いだというのが氏の指摘するところです。

 ウーバーのモデルが搾取的なのは間違いない。ウーバーは大規模な設備集約型ビジネスを、自社の設備なしで運営する方法を考え出したと氏は言います。設備の購入とメンテナンスの(そして事故に備えた保険料などもまとめて)責任をドライバー・パートナーに負わせる。さらに彼らを従業員という区分に入れないよう、(世界中で)あらゆる手を尽くして戦っているということです。

 もしも彼らを従業員にすれば、健康保険に加入させ最低賃金を支払わなければならない。このコストを最低限に抑えるモデルは(経営としては)とてもよくできているが、ドライバーにとっては(どうしようもなく)不条理なものだと氏は説明しています。勿論、こうしたウーバーのビジネスモデルをフランチャイズ・モデルの一つとして受け止める人はいるだろう。しかしフランチャイズが親企業に支払うのはせいぜい4~8%。一方、(氏によれば)ウーバーは、売り上げの20%も要求しているということです。

 ウーバーが普及しているアメリカやヨーロッパの国々で、同社のシステムが食い物にしているのは一体誰なのか。それは、必要な資格や経歴を得られなかったために情報経済の中で適当な居場所を見つけることができなかった人々や、伝統的な仕事で働くことができない人々だと氏はこの論考で指摘しています。

 ウーバーは、そうした追い込まれた人々の弱みにつけ込んでいる。彼らはただ、家族の介護をしていたり、自分自身が健康上の問題を抱えていたり、あるいは英語がうまく話せなかったりするために搾取され続けているということです。それでも、現在の社会システムはこうしたビジネスモデルに持続可能性を与えている。

 実際、同様の実態は、日本でも広く利用されているウーバーイーツでも大きく異なることはないでしょう。悪いのは、ウーバーの経営陣や役員の人格なのか、それともわれわれの社会がそのような弱者を世界中で100万人も生み出していること自体なのか。

 「搾取」というのは日常の中に、便利さの中に、場合によっては「善意」の中にすら存在する。結局のところ、その答えは「両方とも」だとこの論考を結ぶギャロウェイ氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。



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