MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯171 成熟した打ち手の勝負

2014年05月29日 | 社会・経済

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 元NHKアナウンサーで、現在は日本を代表するジャーナリストとして様々なメディアで活躍している池上彰氏が、近著「おとなの教養」(NHK出版新書)」において、「すぐに役に立つこと」は世の中では「すぐに役に立たなくなる」。いわゆる「教養」と呼ばれるような一見すぐに役には立たないと思われているようなものが、長い目で見ると実は大きく役に立つと指摘していることを、先日このサイトで紹介しました。

 ここで氏の認識の基本にあるのは、本当の「教養(リベラル・アーツ)」というものは長い人生を生きていく上で自分を支える基盤になる存在であり、その基盤さえしっかりしていれば世の中の動きにブレることなく自分の頭で道を切り開いていけるという視点です。

 教養は、自分を支える基盤になるものの考え方を様々な偏見や束縛から解き放つ重要な蓄積であり、物事を理解し具体的に対処するために必要なストックであると池上氏は考えています。偏見や固定観念にとらわれない、柔軟でイノベーティブな成熟した人間(大人)になるためには、こうした教養の積み重ねが重要になるということであり、歴史や哲学、芸術や文化、さらには社会規範や礼節、物事に対する態度など、何世紀にもわたって人類により磨かれてきたソフトパワーを多くの人がストックとして身につけることが、社会に「成熟」をもたらすという発想です。

  さて、男性向けファッション誌「GQ」において、神戸女子学院大学名誉教授の内田 樹(うちだ・たつる)氏が「人生相談」と題するコラムを連載しています。氏は6月号のこのコラムにおいて、「私たちが暮らす日本の未来が大丈夫かどうか不安だ…」とする「相談」に対する答えとして、次のように述べています。

 「(日本の将来には)いろいろ不安のたねはあります。でも、この程度の国なら他にいくらもあります。だから、そんなに心配しなくても大丈夫です。日本は他の国とくらべると『負けしろ』の厚さがだいぶ違いますから…。」

 つまり、豊かな自然環境や文化、人々の姿勢の礼節や公共性など、現在の日本には歴史や経験に培われた国民的な「ストック」がさまざまに蓄積されており、そういった資産を加味すれば日本もしばらくは大丈夫…。これが内田氏の示した回答です。

 世界には、生きていくだけで大変な国々がたくさんある。水や緑が乏しく、人権問題や犯罪、戦争の危険など国民がストレスフルな生活を余儀なくされている国々から比べれば、日本の社会の安定感は(お金に例えればそれこそ大変な金額となる)掛け替えのない資源(ストック)だと内田氏はしています。

 しかし、その一方で内田氏は、最近の我が国の「経済成長論者」たちは日本の誇るこのストックをゼロ査定し、フローとしての「カネ」がないとことを取り立てて「経済成長しなかったらもすぐに国が滅びる」というような煽りをしているのではないかとの懸念を強く示しています。彼らは、日本には豊かな山河と文化的蓄積があることを故意に言い落とし、「日本人は経済成長への熱意が足りない」と声高に主張しているという指摘です。

 麻雀で点棒が5万点ある人と、箱シタの人では打ち方が違うはずだというのが内田のこの問題に対する基本的な認識です。箱シタの打ち手は「後がない」からハイリスク・ハイリターンな打ち方をするしかない。一方、点棒が「ざくざく」ある人は当然リスクを冒さない。そうした勝負では、だいたい高い手も安手も自由自在に打ち回せる「金持ち」が勝つことになると内田氏は言います。氏が示しているのは、これまで蓄積してきたストックを信じ、日本もそろそろ「打ち方」を変えるべきだという視点です。

 戦後の復興から高度成長期を成し遂げ、石油ショックをしのぎ、バブル経済を迎え、そして失われた20年の雌伏の時代を経て、それでも日本の経済は(とりあえず)世界の第一線で生き抜いてきました。その間、激動する国際社会の中で厳しい冷戦時代を切り抜け、欧米からの経済的な激しいバッシングもいなしつつ、世界各地で起こった戦争にも巻き込まれることなく(何とか)平和に過ごすことができています。

 国内的に見ても、日本の社会は学生運動の嵐や公害問題、政治不信や55年体制の崩壊などを経験しながら、基本的に安定した民主的な福祉社会に辿りついているということができるかもしれません。こうした立場に立てば、国民国家としての長い歴史に培われた国民性と戦後70年という時間の蓄積の結果として、どうやら日本(の社会・経済)も様々な意味で「成熟」してきたといえそうです。

 そんな中、ただただ時代の流れに任せ、新自由主義のリングに乗って(中国やその他の途上国などと同じ土俵で)徒手空拳で戦っていては、日本の強みを生かせないばかりか日本の貴重なストックである「豊かな自然」や「安定した人心」などのストックを失う結果をもたらすことになるという内田氏の懸念も、確かに理解できるような気がします。

 少子高齢化の進展などにより、日本の社会は人口構成や経済を動かすシステムが今後大きく変貌していくことが予想されています。こうした社会の過渡期にある日本は、このタイミングで自らの持ち味をさらに活かす形での独自の「打ち方」を考えていく必用があるのかもしれません。

 多分に抽象的な「お話」ではありますが、
これまで日本が培ってきたハード、ソフトのストックを大切にし(国際社会においても経済の分野においても)安定した独自のペースを掴んでいくことが、「成熟した打ち手」が採用すべき勝負の仕方なのかなと、内田氏が示したメタファー(比喩)によって今回改めて感じた次第です。


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