MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2529 ヒトよりカネが大事な国

2024年01月15日 | 社会・経済

 2023年の日本のGDP(名目・ドル換算)が前年を下回り、ドイツに抜かれ世界第4位転落する見通しが明らかになったと伝えられています。

 ドイツの人口は約8320万人。日本(約1億2570万人)のおよそ65%という規模であることは、頭に置いておいた方が良いでしょう。こうした状況に11月11日の産経新聞は、「世界第3位の経済大国ではなくなるという衝撃もあるが、人口が3分の2のドイツに抜かれたことは円安、低物価、低賃金といった安い日本が定着し、長期的な経済の低迷を招いた深刻さを映している」と報じています。

 国際通貨基金(IMF)の最新予測では、2023年の日本のGDPはドルベースで前年比0.2%減の4兆2308億ドルと低迷。一方のドイツは実に8.4%増の4兆4298億ドルにまで伸びる見込みとされ、2位中国の17兆7009億ドルには遠く及ばないものの、しっかりした足取りで成長のステップを踏んでいます。

 20年前の2003年、日本のGDPは4兆5195億ドルと現在よりも大きく、中国の2.7倍、ドイツの1.8倍だったというのですから、日本経済の凋落ぶりは(まさに)「目も当てられない」状況と言っても過言ではないでしょう。

 思えば、なぜ日本だけがこうして世界から置いて行かれることになったのか。11月28日の情報サイト「日刊SPA!」に、慶大准教授の岩尾俊兵氏が『「世界一裕福なのに国民は貧乏な日本」に誰がした?“東大史上初の経営学博士”が明かす不都合な真実』と題する論考を寄せていたので、参考までに概要を小欄に残しておきたいと思います。

 振り返ればアメリカにとっての日本は、平成元年ごろまではソ連に次ぐ仮想敵国とさえ言われていた。もちろん、軍事的にはアメリカと同盟関係にあったが、日本企業の大躍進による日米貿易摩擦は、日米「経済戦争」と表現されるまでに高まっていたと岩尾氏はこの論考に綴っています。

 戦後数十年にもわたって、アメリカにとって最大の貿易赤字相手は日本だった。こうした状況をアメリカが見過ごすはずはなく、アメリカ主導の「国際協調」によって、日本企業の競争力は何度も何度も叩き潰されてきたということです。

 その代表的な例が、1985年の「プラザ合意」というもの。この合意は、アメリカの呼びかけによって、イギリス、フランス、西ドイツ、日本の5か国が協調して円高・ドル安を目指すというもので、その目的は(あからさまな)日本企業潰しだったというのが氏の認識です。

 円高・ドル安は、当然ながら日本経済には大きな打撃になる。しかし、中曾根康弘総理率いる日本政府は、アメリカ政府との関係改善や国際協調のため、喜んで円高・ドル安に協力したと岩尾氏は言います。政府は“偽りの国際協調”のために、日本政府が率先して日本企業と日本国民を貧乏にする道を選んだ。実際、プラザ合意前には1ドル240円ほどだった円相場は、わずか1年で1ドル150円を切ったということです。

 この時の急激な円高は、(見方を変えれば)日本企業の製品・サービスが国際的に1.6倍の値段になったに等しいと氏は指摘しています。日本経済はこの円高に耐えられず、日本政府はプラザ合意から1年半ほどで円安への国際協調を呼びかけた(ルーブル合意)とのこと。しかし、プラザ合意において日本が歩み寄った国際協調をあざ笑うかのように、ルーブル合意は各国から無視されたということです。

 さらに、円高にはもう一つの「副作用」があったと氏はこの論考に記しています。一般に「円高メリット」と呼ばれているのがその副作用。急激な円高によって、海外向けに投資したり海外から輸入したり、海外で消費する際には有利だという状況が生まれたと氏は話しています。

 しかして、日本はプラザ合意後の円高・ドル安を是正できぬまま、国際的に強くなった円で海外に投資したり、円高不況対策の金融緩和に乗じて国内の不動産や株や国債に投資したりした。結果、こうした流れが、後のバブル経済とその崩壊につながったということです。

 改めて記せば、これは(円高の)メリットでも何でもない。日本国内のお金を吸い上げて海外にばら撒くわけだから、国内が貧しくなるのは当たり前だと氏はここで指摘しています。

 円高に突入して以降、日本の対外純資産が32年間も世界一をキープしているのがその証拠。日本は国内にお金を回さず、世界に資産を持つという、「対外的には世界一裕福なのに国内的には貧乏な国」という矛盾した状況に自ら進んでいったというのが氏の見解です。

 これが何をもたらしたか。円高とデフレによって円が強くなったことで、働かずにカネでカネを生むことが簡単にできるようになってしまった。そしてそれが、(現在まで続く)「ヒトよりカネが大事」な投資思考が蔓延する原因となったと氏は述べています。

 こうして日本は、「投資をするだけで製品・サービスを作らない国」に向けひた走った。「ヒトよりカネが大事」ならば、それを管理するヒトはコストでしかない。結果、日本の労働者は価値創造の主役という立場から、投資に付随するただの管理コストに追いやられてしまったということです。

 しかもこのデフレ下で、実際にカネの価値が上がってしまった。そのため、希少資源となったカネに好かれる経営者、投資家受けのする経営者、生まれたときからカネに恵まれていた経営者が、経営上も成功する世の中が生まれたと氏は話しています。

 日本はインフレからデフレに大きく振れる中で、ヒトとカネの相対的な価値が入れ替わり、ヒト重視の経営思考からカネ重視の投資思考へと集団パニック的に移行してしまった。しかし、そもそも(こうした)投資思考は大きな格差を生み、日本の文化や制度と共存しえないもだというのが岩尾氏の感覚です。

 経済政策の無策により、価値観自体に大きな歪みが生まれてしまった現代の日本。再び経済大国として返り咲くために取り戻さなくてはいけないものの第一は、過去の日本が持っていた「カネよりヒト」の経営ではないかと考える岩尾氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。



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