MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯964 フランスから学ぶこと

2018年01月11日 | 日記・エッセイ・コラム


 ハリウッドなどで広がっているセクハラ告発運動に関し、「シェルブールの雨傘」や「昼顔」などで世界的に知られるフランスの映画女優のカトリーヌ・ドヌーブ氏(74)や、フランス人女性作家ら100人が(連名で)仏紙「ルモンド」に寄稿した「公開書簡」が話題となっています。

 ドヌーブ氏らは、この書簡において「男性嫌悪をあおる女権運動は認めない」と訴え、(女性の間に広がる)セクハラ告発キャンペーンの過激化に警鐘を鳴らしたと1月9日のロイターは伝えています。

 ハリウッドの大物プロデューサー、ハーベイ・ワインスタイン氏がセクハラ行為で複数の女性から告発されたことに端を発し、米国を中心にソーシャルメディア上でハッシュタグ「#Metoo」などを用いて、女性らが自らのセクハラ被害を明らかにする動きが広がっています。

 今回の公開書簡でドヌーブ氏らは、現在の(「#MeToo」運動のような)セクハラ被害を一方的にソーシャルメディアなどに告発する動きは行き過ぎで、「ピューリタニズム」(潔癖主義)であり「浄化の波」だとし、「全体主義の風潮を作り出している」と批判しています。

 こうしたキャンペーンは、ただ性的自由を敵視する勢力を助けるものに過ぎない。男性の「女性にしつこく言い寄る権利」は性的自由の重要な一部であり、我々は性的自由においてとても重要な「言い寄る権利」を擁護すると述べ、「#Metoo」の拡大に懸念を表したということです。

 アメリカでの「#Metoo」運動の広まりを受けて、現在、フランス国内ではハッシュタグ「#Balancetonporc(豚野郎を密告)」を使い、加害者の実名をNSN上に晒し恥をかかせようという動きが広がっているということです。

 (英BBCニュースによれば)書簡の女性たちはフランス国内で起きているこうした風潮に対し、一部の男性による権力の乱用を指摘するのは正当で必要なことだが、ひっきりなしに続く「糾弾の波」は収拾がつかなくなっていると指摘しているということです。

 そして、「こうした運動のせいで、まるで女性が無力で慢性的な被害者であるかのような雰囲気や、女性をそのように見る風潮が生まれている」「私たちは、今のこのフェミニズムの動きに、女性としての自分を見いだせない。権力乱用を非難する以上に、男性や性的なものを憎悪する動きになってしまっている。」と主張しているということです。

 さて、こうした今回のドヌーブ氏らの公開書簡に関し、日本の報道がかなり「冷たい」視線を送っているように感じるのは私だけではないでしょう。

 朝日新聞は「(彼女らの行動については)フランス国内では『性暴力の被害者をおとしめている』といった批判が出ている」と記事を結んでおり、東京新聞は「(フランス国内でも)『卑劣な男性たちを容認することにつながる』など反発の声も相次ぎ、論争を呼んでいる」と伝えています。

 さらに、リベラルな論調で知られ、これまでも「#MeToo」キャンペーンを好意的に取り上げてきたThe Huffington Post(日本版)なども、今回のドヌーブ氏らの行動に否定的な見解を積極的に取り上げているように見受けられます。 

 一方、フランスの通信社AFP (Agence France-Presse)は、「女性に声を上げさせようとする解放への働きかけが今や逆に作用しており、人々に(政治的に)『正しく』発言することを強要し、それに同調しない人々を黙らせ、(新しい現実に)寄り添わない人を共謀者や裏切り者として位置づけている。」とするドヌーブ氏らの主張を最後まできちんと紹介しています。

 ドヌーブ氏は「#MeToo」について、「行きすぎだ」と述べ、「物事を変える正しいやり方ではない」と強く批判しているとされています。そして、記者からの「フェミニズムの動きに水を差すのではないか?」という質問に答え、「それで、『豚を非難しろ』のあとには何をするの? 『ふしだらな女を非難しろ』キャンペーンでもやるの?」と、言い放ったということです。

 さて、「#MeToo」キャンペーンが本当に行き過ぎかどうかは別にして、現代社会において、セクシャルハラスメントを(少なくとも公に)容認する立場に立つ者はほとんどいないと言ってよいでしょう。

 セクハラは既に(政治的に)正しいものではありえず、特に女性の人権を守るうえで否定されるべき存在であることは(ある意味)先進国共通の常識となっているからです。

 しかし、それにもかかわらず、今回100名を超える女性作家や役者、学者らが(一見、セクハラを擁護しているとも取れる)こうした主張を堂々と行ったということは、この(自由を愛する)フランスという国に、本当の意味での人権意識、そして健全な言論の場が根付いていることの証左と言えるでしょう。

 物事を本質的に考える習慣と、(自分が)おかしいと思ったら恐れず声を上げる勇気。フランスに学ばなければならないことはまだまだ多いと、今回の報道から私も改めて感じさせられたところです。




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