MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

 伊皿子坂社会経済研究所のスクラップファイルサイトにようこそ。

♯127 賃上げ問題の論点

2014年02月23日 | 社会・経済

Tr20140115006901


 2月18日の朝日デジタルが、厚生労働省の毎月勤労統計調査により昨年1年間に労働者1人が月々もらった現金給与総額が平均31万4054円と前年を73円下回ったことが明らかになったと報じています。2月5日発表の速報値では前年を23円上回り3年ぶりの増加を示していましたが、一転、3年連続の下落となり、比較可能な1990年以降では過去最低の水準にあったということです。

 統計に示された「現金給与総額」は、パートを含む労働者が受けとる基本給に残業代とボーナスを合わせたものということであり、今回の確報で金額が下落したのは、賃金の低いパート従業員の比率が速報時よりも増えたことで平均額が下がったためと見られています。

 さて、安倍晋三首相は、2月17日午前の衆議院予算委員会における民主党の山井和則委員の質問に対し、アベノミクスにより景気は回復しているとする一方で、実質賃金が低下していることについて、今は賃上げまでの過渡期にあるとの認識を示しています。

 答弁において安倍首相は、「間違いなく景気は回復している」としながらも、「課題は賃金、実質賃金を増やすことだ」としています。

 物価上昇を勘案した実質賃金が13年後半にマイナス1.3%となったことについては、「イェール大学の浜田先生(内閣官房参与)も当初は物価が先行すると指摘している。その期間を短くしなければいけないということで(アベノミクスの)2本目の矢を放ってきた。景気の実感を全国にいきわたらせ、賃金上昇に早く結び付けていきたい。今はその過渡期にある。」との認識を示したとロイター電は伝えています。

 消費増税を乗り越え、安倍政権が目指す持続的な景気拡大やデフレ環境からの脱却を達成するには所得環境の改善が不可欠なだけに、今後のアベノミクス成否は賃金の上昇による「家計所得の改善」にかかっていると考えられています。このため政府は、政労使会議を設けるなどし、これまでに経験のない形で企業側の賃上げ行動を促してきたと言えます。

 この異例ともいえる政府による民間企業への賃上げ要請に関連し、2月18日の日本経済新聞の紙面において勤労者の実質賃金の上昇を実現するために政府が今とるべき政策について学習院大学教授の宮川 努 氏が興味深い論説を行っています。

 宮川氏によれば、安倍政権誕生後、国内総生産(GDP)成長率は堅調に推移し、昨年前半の急激な円安の影響もあって日本企業の企業収益は急激に改善している。失業率も4%を下回る状況から考えると賃上げが雇用に与える悪影響も考えにくいとして、企業が来年度賃上げを行う環境は外形的には整ってきているということです。

 しかし一方で、氏は、それでも具体的にベースアップを実施すべきかどうかについては個々の企業の個別の業績期待だけでなく、他の経済政策との連関性の考察を避けて通ることはできないとしています。

 実際、この1年間の日本のGDPの増加要因を見る限り、経済の公共投資依存が鮮明になりつつあり、アベノミクスの「成長戦略」として強調されてきた民間設備投資はほとんど景気回復への寄与が見られないというのが宮川氏の指摘です。

 市場はアベノミクスが財政拡大とそのファイナンスの政策で終わってしまうのではないかとの懸念を持ち始めている。今年に入り一進一退を繰り返している株価がその現れであるというのが宮川氏の見解となります。

 宮川氏の厳しい指摘はさらに続きます。政府は企業の内部留保を賃金上昇の原資に充てれば良いと考えているようだが、企業は90年代後半の金融危機を経て、自らを守るために金融機関への依存を減らしキャッシュフローを蓄積して存続を図る方向へと(苦労して)体質を変化させてきている。このように企業と金融機関との関係や従業員の雇用慣行が大きく変質する中で、「賃金の上昇から始まる好循環経済」という従来の考え方は期待外れに終わる可能性があるのではないかというものです。

 90年代初頭のバブル経済の崩壊後、企業間、産業間での生産格差や賃金格差は広がる傾向にあり、特にここ20年間の製造業と非製造業の業種間の格差が顕著になっていると宮川氏は言います。例え賃金上昇が現実のものになるとしても、過去の高度成長期のようにこうした動きが全産業に一律に広がる可能性は低く、業種間で大きな格差が生じるのではないかという懸念です。

 一方、日本全体の生産性格差が広がる中で、賃金格差を避けつつ多くの人が賃金の上昇を享受する方法が2つだけあると宮川氏は言います。

 その一つは、個人所得税の累進度を高め。高所得者から低所得者への分配量を増やすことです。しかしこの方法は、言うまでもなく高所得者の意欲を損ね、ひいては生産性の上昇そのものを抑制する可能性が高いと考えられます。

 そこで二つ目の方法である、ある程度の累進税率を維持しつつ流動的な労働市場を活用し、より生産性が高く賃金の高い職種・業種に労働者が移動しやすい環境を作ること、…これが重要になるというのが宮川氏の主張です。もしも政府が持続的な賃金上昇を望むなら、このための「労働市場改革」は避けては通れない課題であるというものです。

 氏は、今回の政府による民間企業への賃上げ要請について、「国際的に高い法人税を払い、規制によって経営戦略の制約を受けながら、さらに賃金の決定まで政府から要請に追随する」ことを求めるのは、成長戦略の目指す方向と違うのではないかと指摘しています。そして、むしろ政府は規制などを通じてより直接的に経営に影響を及ぼすことができる「医療」や「介護」、「保育」などの非営利部門の賃金上昇を促すことにより、賃金上昇の実を取っていくべきだと主張しています。

 実際、医療、介護などの非営利部門は、現在、労働投入量が年律6%という高率で増加しており、いわゆる「成長産業」として認識、期待されています。しかし、この分野における一人あたりの賃金は、年率マイナス1.5%で下落を続けているというのが実態です。

 こうした状況について宮川氏は、規制によって経営の自由度が制約されている中で労働投入量の増加に付加価値の増加が追い付いていないため、労働供給増により賃金が低下するという歪んだ市場メカニズムが働いているためだとしています。

 このため、もし政府が本気で国民全体の賃金上昇を考えているのであれば、まずこうした部門の規制改革を通じて非営利部門の賃金上昇を政策課題としていくべきではないかというのが宮川氏の考え方です。

 人々の所得を持続的に上昇させていくには、民間企業への短期的呼びかけだけでは不十分だと宮川氏は主張しています。様々な規制改革や労働市場改革を通じて生産性を向上させるとともに、具体的なターゲットを定めて賃金上昇を現実のものにしていくことも必要ということでしょうか。

 医療、介護などの社会保障費の削減は喫緊の課題となっていますが、一方で、規制がもたらす非効率な産業分野の生産性、パフォーマンスを上げるための戦略が、本格的な経済成長を促す意味からも一層強く求められているということです。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿