歌手の安室奈美恵(敬称略)がデビューから丸26年となる9月16日に引退の日を迎えました。
前日の15日には宜野湾市ラストライブを開催。宜野湾ビーチでは安室の楽曲に合わせて花火1万2000発の花火が夜空を飾り、まさに引退に花を添えたということです。
メディアの演出もあって、この週末は国民総出のアムロフィーバーの様相を呈しています。テレビのニュースや情報番組は安室一色に染まり、18日に放送された安室奈美恵引退を記念した1年間の密着特集番組は15%を超える視聴率を記録したと報じられています。
少子以下の影響か、日本の歌謡業界が(何となく)元気を欠く中、こうして社会現象と言えるまでの盛り上がりを見せた一連の安室奈美恵引退のムーブメント。
昭和の世代のオジサンたちには「どうしてここまで…」といぶかる向きもあるかもしれませんが、今年40歳を迎える「平成の歌姫」が今の時代に残したものは、それだけ大きかったということなのかもしれません。
安室奈美恵が日本のミュージックシーンで輝いていたのは、何と言ってもバブル崩壊を迎えた1990年代後半だったと言えるでしょう。
そして、彼女のファッションを真似「アムラー」として街を闊歩していた少女たちも、今はアラフォーを迎え社会の中軸を担っている世代です。いつまでもストレートヘアーで厚底ブーツをはいてはいられない「中年」と呼ばれる年代を目前にして、時代の大きな区切りを感じているのかもしれません。
思えば、沖縄から上京し1994年に17歳で芸能界にメジャーデビューして以来、安室奈美恵という「スター」は一貫してシャープでクールなパーソナリティを崩すことなく、25年間を歌い踊り続けてきました。
途中、ダンサーとの結婚や出産な度を経た現在でも、彼女が身に纏うイメージはデビューの頃と(ほぼ)変ってはいないと言っていいでしょう。
言葉は少なく、感情をあらわにすることもなく、(ある意味)ビジネスライクに「安室奈美恵」というキャラクターを演じていく。そのクールさは決して男性に媚びるものではなく、華奢ながらアスリートの様な柔軟な身体をしっかりと両足で支える自立したものだったと感じざるを得ません。
小顔、ストレートヘアー、茶髪、細眉、ミニスカートと日本のモードを引っ張り続けてきた安室奈美恵。彼女はどうして四半世紀もの間、若い女性たちのファッションアイコンとして認められ、光を放ち続けることができたのか?
9月14日のYahoo newsに、甲南女子大学准教授の米澤泉氏が、「安室奈美恵という生き方「この国の新しい女性たち」を導いた25年」と題する一文を寄せています。
米澤氏はここにおいて、この時代のアムロフィーバーを「日本の大人になりたくない女の子たちのあがき」と説明しています。
安室奈美恵が登場した90年代は、女性の時代と謳われ男女雇用機会均等法が施行された80年代を経ても、いまだガラスの天井に覆われた変化の見えない時代だったと氏は言います。
バブルが崩壊し、先行きの見えない時代の中で、制服にガングロメイクを施したコギャルたちが街角で自らの存在を主張していた。今から思えばその異形な姿は、未来を夢見るのではなく「今、ここ」を刹那的に生きるためにもがき、あがいていたことの証ではないかということです。
ある程度の年齢になったら結婚して、出産して母となることを優先する母親の世代に毎日接しながら、それ以外の生き方、「今のオトナのオンナ」モデルを探していたのが彼女たちだった。
そして、人気の絶頂期に思いもかけず、20歳で結婚し、すぐに出産することになった安室奈美恵がチェックのミニスカートとボブヘアで結婚会見に臨んだ時、彼女たちはそこに「これからのオトナのオンナ」モデル見たのではないかと氏は言います。
それは、ある意味「妻になっても、母になっても私は変わらない」という宣言の様なもの。そして、それを証明するようにその後の20年間、安室奈美恵はプロポーションをも含めて、そのスタイルを守り抜いた。
母になっても、シングルマザーになってもミニスカートとロングブーツのイメージを変えず、時にタトゥーを入れることさえ厭わないコギャル性を持った「安室ちゃん」は、結果、彼女たちに新しい「大人のオンナのモデル」を提示しえたということです。
21世紀を迎えるころから、ファッション誌を中心に、従来とは異なる意味合いで「女子」という言葉が多用されるようになったとこの論評で米澤氏は指摘しています。
少女ではなく、十分に成熟した女性に対して自称・他称を問わず「女子」という呼称が使われるようになった。
そして、30代になった安室奈美恵は、いつの間にか(いくつになっても少女のように)可憐に、屈強に、理屈抜きに前へ歩く、この国の新しい「ガールズ」の先頭に立っていたということです。
そうした彼女たちのファッションは、もう男性を意識しない。欧米などに憧れないし、年齢さえもやすやすと乗り越える。妻、母といった役割にとらわれずに自分の好きなスタイルを貫く姿勢、それはまさに安室奈美恵そのものだというのが、この論評における氏の認識です。
そして、今回の引退は、同世代の女性たちのカリスマとなった安室奈美恵が、(不惑を過ぎて)また新たな一歩を踏み出そうとしている姿として映るのではないかと米澤氏は指摘しています。
仕事での成功、結婚、出産、美貌、女性が望むすべてを手に入れながらも、それにとらわれず、可憐に、屈強に、理屈抜きに前へ歩く。何かを手に入れたとしても、自らの意志で、手放すことを厭わない。
ドアを閉めて、次のドアを開ける。どこへでも続く道が開ける、それが、安室奈美恵的生き方だということです。
彼女たちの世代は、音楽とファッションだけでなく、安室奈美恵という生き方にも魅了され、勇気づけられてきたと氏は言います。だからこそ、数多くのファッション誌が(そうした彼女たちの声を代弁して)「今までありがとう。安室ちゃん大好き!」と綴ったということです。
なるほど、安室奈美恵というアーティストは、平成の時代に青春を過ごした女性たちに「新しい生き方」を指し示す、孤高のモデルだったということでしょうか。そうであれば、今回の安室引退フィーバーに世の男性の多くが置いてきぼりになっているのも確かに頷けるところです。
これまで日本の女性を縛って来た古い習慣に捉われず一生を好きに生きようとする「女子」たちにとって、安室奈美恵は永遠のファッションアイコンとして記憶されるだろうと結ばれた米澤氏の論評を、今回、私も改めて興味深く読みました。
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