先日、久しぶりに時間ができたので、映画のチケットをネットで予約しようとスマホを開いたのですが、うろ覚えのパスワードを小さな画面に(何度か)入力し直しているうちに無効になってしまい、反応の悪いアプリの前で正直、かなりイライラする時間を過ごす羽目となりました。
また、パソコンから注文した商品がなかなか届かないので、アマゾンに苦情を伝え、併せて確認を求めようとしたのですが、次々と出てくるQ&Aサイトなどにたらい回しされ続け、(挙句の果てに)チャットで回答が来たのは1週間も後のことでした。
気が付けば大型スーパーマーケットではセルフレジが当たり前になり、機械の扱いに慣れないお年寄りたちはたったひとつしかない有人のレジに長い行列を作っている。ガソリンスタンドはどこもセルフ給油となり、窓も拭いてもらえないうえ、(温かい事務所の中にいる若いアルバイトは)お客さんの手がガソリン臭くなっても気にならない様子です。
夜のファミレスで(操作性の悪い)タブレット端末から注文をしても、なかなか品物が来なければ(ちゃんと注文が送れているか)不安になるし、「まだですか?」などと聞こうと思ってもウエイトレスの姿はどこにも見当たりません。
サービス業種の生産性の向上、流通コストの削減、そして何よりDXの推進が日本経済の大きな潮流とはいえ、(そこはそれ)結局のところ、これまで売主がやっていた作業を消費者に押し付けているだけのこと。コストダウンの犠牲になっているのはいつも消費者の方であり、「安けりゃそれでいいだろう」という売り手の理屈ばかりに合わせたくないと思うのは、面倒臭がりの私だけではないはずです。
自分たちの決めたやり方を(問答無用で)一方的に押し付けてくるサプライヤーたち。これでは「サービス」となどは呼べるはずもありません。いつから世の中は、こんなに不便になったのか。そうした折、2月3日の日本経済新聞に、『「影の仕事」で生産性低下も』と題する、英FINANCIAL TIMES紙のグローバル・ビジネス・コラムニスト、ラナ・フォルーハー氏による興味深い論考記事が掲載されていたので、参考までに小欄に残しておきたいと思います。
「シャドーワーク」とは、1981年にオーストリアの哲学者で社会評論家のイバン・イリイチ氏が作った、「経済の表に(数字で)出てこない仕事」を著す言葉。これまでは、子育てや家事などの報酬を伴わない仕事すべてを指すことが多かったが、最近は、技術を駆使して企業が仕事を顧客に押し付ける事例が急増しつつあるとフォルーハー氏はこの論考に記しています。
実際、多くの分野において、かつては他人に任せていた数多くの作業を、今ではほとんどの人がデジタル機器を使って自分自身でこなしている。この中には、(例えば)銀行とのやり取りや旅行の予約、飲食店での注文、食料品の袋詰めなどあらゆる作業が含まれていて、さらには、駐車料金の支払いや子供の宿題の把握、テクノロジーに関するトラブル対応などに対しも、(自分で)スマホに必要なアプリをダウンロードして操作することが当たり前になっているということです。
これだけ日常の中で普及しているにもかかわらず、国際通貨基金(IMF)統計局などの専門機関も、このような(余分な)作業が全体でどのくらいになるか正確な推定値を算出していない。しかし、2030年までに米国の仕事の4分の1が自動化の影響を大きく受けると予測されていることを考えれば、その規模は間違いなく膨大で、しかも拡大しつつあるのは確かだというのがこの論考における氏の認識です。
こうした現状は、見方を変えれば「(誰もが)これまで他人に任せていた作業を自分の時間を使ってこなしている」ということ。今や人々は医療機関に提出する情報の入力から保険金の請求まで、さまざまな機関がお互いにコストを押し付け合う極めて細分化された複雑なシステムの中で、頻発する払い戻しやミスの修正に追われているということです。
さて、こうしたシャドーワークは(技術の発達に合わせて生まれてきたもので)、人間の仕事を減らし、価格の引き下げにつながるといった見方もあるだろう。しかし、経済全体としてみた場合、本当に効率的かどうかについては一度しっかり検証してみる必要があると氏は話しています。
ノーベル経済学賞を受賞したジョセフ・スティグリッツ氏ら一部の経済学者は、シャドーワークは市場システムにとって外部不経済(社会への悪影響)となり、企業が労働コストを削減するために使いたくなる手段だと指摘している。実際、職を必要としていて、(なおかつ)仕事を始めたばかりの労働者のほうがはるかに上手くこなせる作業を、高給取りの知識労働者たちが週に何時間も費やしている現実には、多くの人が問題を感じているのではないかということです。
シャドーワーク増加の負の影響には、例えばサービス業で初級レベルの仕事がなくなることが挙げられる。米ブルッキングス研究所が2019年に実施した調査では、最も賃金が低い仕事が自動化のリスクにさらされているとしており、これは、特に若年層や人種的マイノリティーの生活が脅かされることを意味していると氏は言います。
テクノロジーの進歩に追いつくために国家が教育を改善しない限り、こうした労働者の多くは仕事に就けなくなり、生産性や経済成長の低下につながってしまう。一方で、自動化が一層進む社会では、人と接触することが全般的にぜいたくなこととなっていて、本当のお金持ちは他の人にシャドーワークを頼んでいるということです。
自動化やスマホアプリは、確かに人々の生活に(利便性などの)多くのメリットをもたらしているだろう。しかし、時間や労力といった形で得られるそうした(ちょっとした)利益のために、出会いや経験などを得られる様々なチャンスを失っていいのかと、氏はこの論考の最後に指摘しています。
こうしたシャドーワークの増加は人と人との繋がりを分断し、人々の孤立や孤独を増長させることにもなる。そう考えると、社会全体にかかるシャドーワークのコストを計測してみる価値は確かにありそうだと語るこの論考における氏の見解を、私も興味深く読んだところです。
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