7月10日、経団連が自民党本部を訪れ、選択的夫婦別姓制度の早期導入を求める政策提言書を渡海紀三朗政調会長に手渡したと、各種メディアがそれぞれ報じています。
日本を代表する経営者団体である経団連が、こうした問題で政策提言を発表するのは初めとのこと。十倉雅和会長が、「オープンにスピーディーに議論を」と念押ししたことを踏まえ、自民党幹部は同日、この問題について議論する党のワーキングチーム(WT)を近く開催する意向を示したとされています。
「国会で論ぜられ判断されるべき事柄にほかならない」とした、2015年の最高裁判決からもうすぐ10年。制度改正に向けた国会の議論も、紆余曲折を経てようやく動き出した観があります。
肝心の民意についていえば、7月5日から3日間にわたって行われたNHKの世論調査によれば、「選択的夫婦別姓」の導入について「賛成」とする意見が59%と約6割を占め、一方「反対」が24%、「わからない・無回答」が17%と、日本人の結婚観が大きく変わりつつある状況が見て取れます。
時代が変わったと言えばそれまでのことですが、近年では結婚した3組のうち1組が離婚するという統計もあるそうなので、「そんなことでいちいち苗字なんか変えていられない」というのもわからないではありません。
そんなことを考えていた折、(少し前の記事になりますが)2021年12月17日のYahoo newsに結婚問題に詳しいコラムニストの荒川和久氏が「『3組に1組どころじゃない』離婚大国・日本が、世界一離婚しない国に変わった理由」と題する一文を寄せているので、参考までにその概要を小欄に残しておきたいと思います。
近年の日本では「3組に1組は離婚する」と言われている。その根拠は、その年の離婚数を婚姻数で割った「特殊離婚率」が、1998年以来20年以上一度も30%を下回っていないことに基づいていると、荒川氏はこの論考で説明しています。
しかし、識者の間には、この「3組に1組は離婚する」説を真っ向から否定する人もいるとのこと。確かに、この数字はその1年間に結婚した夫婦が離婚に至った割合を示すものではないので、正確に言えば誤解を招きやすいデータと言えるかもしれません。
さて、結論から言えば、「3組に1組離婚」はやはり(概ね)正しいと考えのが正しい。離婚の可能性を数値化するのならば、この特殊離婚率を見る方がよいと氏はこの論考に綴っています。
特殊離婚率は、毎年30%が離婚するという意味でとらえるよりも、(ある程度長期的なスパンで)結婚に対する離婚の比率を見るため数字と捉えるものだというのが、この論考における荒川氏の認識です。
例えば、1990年から2019年までの30年間の婚姻数累計は、2150万組。一方の離婚数累計は693万組なので、30年間の累計特殊離婚率は約32%になると氏はしています。
無論、この離婚数には1990年以前に結婚した夫婦も含まれているが、30年間の累計としてみればこれは誤差の範囲。つまり、この30年間で結婚した夫婦のうちの32%(まさに「3組に1組」)が離婚をしていることになるということです。
実はこのニッポン、歴史的に見てももともと「離婚大国」だったと氏はここで指摘しています。日本の離婚が増えたのは、近年になってからだと思われがち。昔の夫婦は、「添い遂げるもの」と考えているかもしれない。しかし、それは大きな勘違いだというのが氏の感覚です。
明治以降の長期の離婚率の推移を調べると、江戸時代から明治の初期にかけての日本の特殊離婚率は、4割近くで現代よりも多い。ちなみに、人口1000人対離婚率でみても、1883年時点で3.38(2019年実績1.69のほぼ倍)もあったと氏は説明しています。
人口1000人対離婚率は、江戸時代では4.80を記録した村もあり、2019年での世界一高い離婚率がチリの3.22なので、当時の日本の離婚率は世界一レベルに達していたはず。余談だが、土佐藩には「7回離婚することは許さない」という禁止令などもあり、「6回以上はダメ」というお触れを出さなければならないということは、実際にはそれ以上の離婚が(普通に)あったという証拠だということです。
氏によれば、そんな世界トップレベルの離婚を減少させたのが、1899年の明治民法であるとのこと。これにより結婚が「家制度」「家父長制度」に取り込まれることとなったが、もっとも大きな変更は、妻の財産権の剥奪だったと氏は話しています。
明治民法以前の庶民の夫婦は、ほとんどの夫婦が共稼ぎ(「銘々稼ぎ」と言う)で、夫婦別財でもあり、夫といえども妻の財産である着物などを勝手に売ることはできなかったと氏はしています。
落語などにあるように、博打にハマった亭主が妻の着物を勝手に売るなど許されなかった。離婚が多かったのも、そうした中で夫婦それぞれが経済的自立をしていたためだというのが氏の認識です。
しかし、明治民法の交付によって、妻の財産権は家長である夫の所有に属するものとされた。経済的自立と自由を奪われた妻にとって、離婚は生きる術を失うような位置づけとなったということです。
実際、日本の離婚率は、明治民法以降に10%台に激減。それが1998年に30%オーバーとなるまで、低離婚率の期間が続いたと氏は指摘しています。
つまり、離婚が少なったのは、明治民法以降せいぜい100年にすぎないということ。明治政府がそのような政策をとった背景には、富国強兵をにらんだ結婚保護政策の見直しがあり、まさにここから日本の皆婚時代と多産化が始まったということです。
さて、明治維新以降「家」や「姓」というものに縛られてきた日本の「家族」ですが、もともとの日本人の庶民における夫婦のあり方や結婚の原風景は、現在とはずいぶん違う(もっと大らかな)ものだったということでしょうか。
翻って、もしも夫婦が別々の姓を名乗ることができる時代が訪れた時、人々はもっと気軽に結婚し、緩やかなつながりの中でお互いを慈しむことができるようになるのか。(少なくとも)江戸時代の結婚のカタチの中には、現代の未婚化、晩婚化、離婚増などの現象に通じるものが数多く発見できると話すこの論考における荒川氏の指摘を、(夫婦別姓の話と合わせて)私も興味深く読んだところです。
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