欧州における極右勢力の台頭や米国でのトランプ政権の登場などにより、民主主義の衰退が顕著になっていると言われるようになってから、既に何年かの歳月が過ぎようとしています。
スウェーデンに拠点を置く独立機関V-Demが、先月発表した「民主主義リポート2022」によれば、中国や北朝鮮に代表されるような専制的なガバナンスの体制を持つ国や地域は、30年前の25から5つ増加し、世界の総人口の約7割に当たる約55億人以上が非民主主義的な体制下で暮らしている(←「#2018 試されている民主主義」)とされています。
こうした状況を総合的に評価すれば、世界の人々が享受している民主主義のレベルは、冷戦が終盤に差し掛かった1989年の時点に逆戻りしているというというのが、同リポートの指摘するところです。そうした中で起こったロシアによる突然のウクライナ侵攻。長期化が懸念される軍事侵攻の行方は現時点ではわかりかねますが、その結果次第で、今後の民主主義に与える影響が実質的に大きく変化することは容易に想像できます。
恐らく、ロシアのプーチン大統領や中国の習近平国家主席は、この戦いを「民主主義国は弱く、無能で、専制的な指導体制に容易に敗北する」という彼らのテーゼを証明する機会ととらえていることでしょう。一方、今回の戦闘でロシア軍が大きな敗北を喫すれば、プーチン大統領が象徴する「積極的な権威主義」体制が国際社会で孤立し、顧みられなくなることは必至と言えます。
そういう意味で言えば、今回のウクライナでの戦いは、(単なる国土を賭けた戦闘ではなく)今後の世界のガバナンスの行方を占う重要な意味を持つと言えるのかもしれません。現在のこのような状況を踏まえ、4月22日の日本経済新聞に日本総合研究所上席理事の呉軍華(ご・ぐんか)氏が、「ウクライナ危機が試す民主主義」と題する論評を寄せているので参考までに小欄に残しておきたいと思います。
米国のバイデン大統領は、ロシアの侵攻によるウクライナ危機を「民主主義と専制主義の戦い」と位置付けている。その通りだと思うが、強いて違いを述べるなら、ウクライナでの戦いは、民主主義と専制主義の本格的対決を控えた前哨戦の可能性があるという点だと、呉氏はこの論評に綴っています。
旧ソビエト連邦の崩壊後、ロシアの政治・経済体制の移行はそれなりに進んだ。しかし、指導者層や国民の意識の移行が伴わなかった結果、今日の事態に至ったと氏はしています。
ロシアと同様、力で現状変更を企てようとする専制主義の国々は数多く存在する。それらの国の多くは、意識の移行はもとより、政治体制の移行も経験したことがない。ウクライナ危機を民主主義と専制主義対決の前哨戦でなくすには、独裁者が意のままに世界を変えられるなどと思わせないことが重要だというのがこの論評における氏の見解です。
独裁者が「民主主義に勝てる」と判断したとき、専制主義は民主主義の脅威になる。危機を繰り返さないためには、ウクライナ侵攻をプーチン大統領にとっての「ワーテルローの戦い」として終わらせ、他の独裁者が民主主義に勝てるという自信を持つことがないようにする必要があるということです。
プーチン大統領が、この21世紀にあえて19世紀的な蛮行に踏み切った背景には、(勿論、資源価格の急騰や、ドイツなどがロシアの資源への依存度を高めていることもあるが)民主主義が衰退しつつあるとの判断があったのだろうと氏は指摘しています。そして、「東昇西降」を世界の流れとしてとらえる中国の習近平主席も、(同様に)西側の民主主義が衰退の一途をたどっていると判断しているように窺えるということです。
もとより、西側社会にも民主主義が正念場を迎えているとの一定の共通認識はある。ただ、西側社会が問題視するのは、極右に扇動されるポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭だというのが呉氏の認識です。
一方、対照的にプーチン大統領らは、プログレッシブ(進歩派)の勢力増大に伴う左傾化を、民主主義の衰退要因として見ていると氏は指摘しています。彼らは、多様なアイデンティティーによる政治参加を極度に求める「アイデンティティーポリティクス」から、かつての階級闘争を連想しているのではないか。公平・平等な社会の実現を大義名分に大きな政府が実現すれば、20世紀の社会主義と同様の失敗を繰り返すと考えているのかもしれないということです。
こうした考えを「独裁者の思い上がり」だと一蹴するのはたやすい。しかし、社会の二極化の原因を極右勢力にだけ求めるのも、ある種の知的怠惰ではないかと氏はこの論考の結びに記しています。
グローバル経済がもたらす弱肉強食の経済環境や行き過ぎた新自由主義による格差の拡大などにより、自由主義や民主主義が傷ついているのはおそらく事実でしょう。そうした中にあって、(ウクライナの悲劇を繰り返さないためにも)専制国家の軍事力増強に寄与した経済のグローバル化の限界を直視し、謙虚な気持ちでいま一度、我々の社会のあり方を考え直すべきだとする呉氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。
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