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読売新聞朝刊の名物記事「人生案内」が、大正3年(1914年)の連載開始から昨年で100周年を迎えたということです。
人間の寿命を超えた長期連載だけあって、戦前から戦後、そして現在に至るまでその相談内容も時々の世相を写して大きく変化しているようですが、読者のいわゆる「身の上相談」に各界の識者が答えるという形式は連載当初からほとんど変わっていません。
様々な立場の専門家が、相談者に対してそれぞれの知識や人生経験に基づく親身なアドバイスを行うこの企画は、場合によっては相談者に厳しい言葉を投げかけることなどもあり、回答者の苦悩も含めて毎回結構読み応えがあり、また考えさせられる内容となっています。
11月28日の相談は、既に彼氏がいる女性を好きになってしまった20代の大学生からの相談です。自分の思いを優先して告白すれば彼女が傷つくことになるかもしれない。この複雑な思いにどう向き合えばいいのか、という内容でした。
この相談に対し、回答者である大谷大学教授で臨床哲学者の鷲田清一(わしだ・きよかず)氏は、相手が傷つくことに悩むあなたは「たぶんライバルに負けるだろう」と答えています。
「恋」は静謐な「愛」よりも熱烈な「求め」を滋養とするものであり、相手のことを思いやる気持ちである「愛情」はなかなか相手に届かない。それでもこうした経験を経ることによってあなたの人生は一層輝きを増すだろうという回答は、思想の世界で鍛え抜かれた老練な哲学者の面目躍如といった感がありました。
さて、今回、回答者となった鷲田氏と言えば、関西大学教授や大阪大学総長などを歴任する一方で、哲学を平易に読み解いた数々の著作により広く親しまれており、日本におけるファッション研究の第一人者としても知られています。
5年ほど以前の記事になりますが、そんな鷲田氏が、総合経済サイトの「WISDOM」(2008.10.28)の対談において、現代人が失いつつある「待つ」ことの効用について興味深い視点を提供していたので、備忘の意味で、この機会に内容をここに採録しておきたいと思います。
人間の営みは、基本的に「待つ」ことが根っこにあると鷲田氏は考えています。農耕や牧畜は自然と生命という意のままにならないもの、待つことしかできないものによって成果が決まってくる。いかに時代が変わっても、私たちはそうしたものへの敬意や感受性を失ってはならないのではないか…これが現代社会に対する鷲田氏の問題意識です。
例えば、今の社会は経済や金融を中心に動いている観があり、他者よりも早く売買し、利ザヤを稼いだ者がよしとされる。企業経営も年度ごとに計画を見直し、四半期ごとの決算で評価されている。そうした中では、寄り道、回り道は厳禁で、最短で最多の成果を上げることを求められており、「待つ」ことは非効率的でネガティブな行為と位置付けられていると鷲田氏は説明しています。
しかし、(よく考えてみると)先取りしていくことが求められる社会においては、「未来」は現在から想像される範囲の延長線上にしかないと、この論評で鷲田氏は指摘しています。これはこれで効率的かもしれないが、何だかつまらないというのが氏の認識です。
鷲田氏は、「待つ」ことには、「偶然の(想定外の)働き」への期待が含まれているとしています。前のめりになって未来を囲い込むのではなく、外に対して自らを開くことで「偶然」の働きが起こり得る…そういうことです。
プラン通りにプロジェクトが進めば、予定通りの利益は得られるかもしれないが、プランを逸脱していたら得られていたかもしれない、想定を超えたもっと大きな利益を逸しているかもしれない。待たない、待てない社会というのは、そういう人知を超えた可能性を自ら捨てているような気がすると鷲田氏は説明しています。
例えば子育てにおいて、通常親は子供に「こんなふうに育ってほしい」と期待する。そんな中、期待が大きすぎれば過干渉、過保護になり、思い通りにいかないと落胆したり失望したり、極端なケースでは嫌なニュースになったりすることもある。
鷲田氏は、実際子育ては、思い通りにならないから面白いと言います。大きな期待はしないで、どんな個性を持った子供に育つか見守ってあげればいい。もちろん、親として務めは果たしながら、イニシアチブ(主導性)を持たずに見守ることで「偶然の(想定外の)働き」が起こり得る…それが鷲田氏の見解です。
文明の進化に伴って、人間は無意識のうちに「全能感」を持つようになったのかもしれないと鷲田氏は言います。「お金があれば何でも買える」、と真顔で語る人がいるし、ゲームやインターネットなどバーチャルな世界では、簡単にリセットでき、何にでもなれる。
でも現実の世界では、思うようにならないことが山積みです。しかし、それはそれでいいんだと思うことが大切だと、鷲田氏は述べています。
人間は、一色に染まってしまうことをもっと恐れなければいけないと氏は考えています。自分の中に、常に自分を否定する、裏切るような要素、グレーな部分、(新たな展開を受け入れられるだけの)鷹揚な感覚を持っている必要があるのではないか。価値観が一つしかなければ応用が利かないし、非常に打たれ弱い。複数の価値観があれば思考の幅が広がるし、人間として「したたか」になれるという指摘です。
鷲田氏は、将来を見通し、効率を意識して前傾姿勢で(例えばビジネスに)臨むことを決して否定しているわけではありません。氏が指摘しているのは、単色、つまり同じような考えの人間だけを集めても「偶然の働き」は生まれないということ。待たない、待てない人がばかりを集めても、人知を超えた「未来」を切り開くことはできないのではないかという視点を、マネジメントする側は持ち続けていくべきだという認識です。
「待つ」こと、「待てる」ことが、物事の未来における想定外の発展を促す。
企業の「したたかさ」や「しぶとさ」といったものは、こうした少し曖昧な可能性を育てる「場」や「人」を確保することから生まれてくるのではないかとするこの対談における鷲田氏の切り口に、稀代の哲学者の時代を超えた視点を改めて感じたところです。
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