日本でバブル経済が崩壊したのが1991年から93年くらいにかけてのこと。そしてその後およそ30年間も続いている(「失われた」と言われる)時間の経過の中で、日本経済は停滞を続けています。
実際、データを見ても諸外国と比較して賃金はつとに上がっておらず、一方で(近年では)物価高が家計に重くのしかかる状況も生まれているようです。
国税庁の「民間給与実態統計調査」によると、2021年に年間を通して働いた給与所得者の平均年収は443万円とされ、ピークだった1997年の467万円と比べ実に24万円も下がっています。OECDの調査によれば、2021年の日本の平均賃金(購買力平価ベース)は、加盟35カ国中24位。2015年にはお隣の韓国にも抜かれている状況です。
しかし、(いわゆる)「茹でガエル」状態に置かれているからか、そうは言っても、その間ずっとこの国に暮らしている我々の感覚としては、日本人の生活がそれほど「貧しくなった」という印象は(案外)薄いのではないでしょうか。
勤め人の給料は年齢を重ねればそれなりに上がってきたように見える(実際、私の給料も下がりはしなかった)し、街中ではホームレスの姿もあまり見かけなくなりました。社会保障もそれなりに機能しているようで、後期高齢者となった団塊の世代の生活もそれほど苦しそうには見えません。
賃金の低迷が日本経済停滞の「悪の元凶」のように言われることの多い昨今ですが、その実態は果たしてどのようなものなのか。3月26日の日本経済新聞(日曜版)の一面に、同紙マクロ経済エディターの松尾洋平氏が『日本の賃金「時給」は増加 時短先行、付加価値が課題』とだいする興味深い記事を寄せていたので、その一部を紹介しておきたいと思います。
日本は低成長が続き賃金も伸び悩んできた(と言われる)が、尺度を変えてみればまた違った姿も浮かんでくると、松尾氏は記事の冒頭で指摘しています。
日本の賃金も 「時間当たり」で見れば直近10年間で12%増えている。氏によれば、雇用形態の多様化や働き方改革の影響で年間の労働時間が7%ほど減っているため、日給・月給での形では減って見える賃金も、実労働時間に均すと(時給では)1割以上増えている計算になるということです。
上昇した要因の3分の2は効率化によるもの。もっとも、こうした流ればかりでは経済が縮小均衡に陥る懸念があるため、働き手の能力を高める取り組みや設備投資など肝心の付加価値の増大につながる取り組みも欠かせないと氏は話しています。
厚生労働省の「毎月勤労統計調査」で過去10年間の変化を分析したところ、2022年の現金給与総額は月32万6000円と4%しか伸びておらず、物価上昇を考慮した実質賃金に直すとマイナス6%になるとのこと。もちろんこれは1人あたりの賃金の変化で、時間あたりに均した「時給」では12%増と3倍の伸びになり、実質でもプラスに転じるということです。
その原因は、年間実労働時間が1633時間と、132時間少なくなったため。時間が減った理由の一つは雇用の多様化だと氏は説明しています。
この間、雇用者全体では558万人増えているが、このうちのおよそ310万人がパートタイマーだった。そして、こうしてパート比率が29%から32%に上がった主な理由は、女性や高齢者など短時間で働く人の増加にあったということです。
さらに、「働き方改革」の影響にも氏は具体的に触れています。フルタイムで働く人の労働時間は(ここ10年間で)年間2031時間から1948時間へと83時間減少した。出勤日数は年間12日減り、有給休暇の取得率は58%と9ポイント上昇。現在でも過去最高を更新しつつあるということです。
総務省の「労働力調査」によると、正規雇用で月181時間以上働く人は2022年は1242万人と、統計がさかのぼれる2013年に比べて2割(318万人)減少。中でも月241時間以上働く人は4割減ったと氏は指摘しています。
2018年に働き方改革関連法が成立し、長時間労働の是正が進んできた。無駄な残業を減らす取り組みが広がり、(常勤のサラリーマンが)仕事に向き合う姿勢も変わってきたというのが氏の感覚です。
2022年に博報堂生活総合研究所が行ったサラリーマンの意識調査では、「高い給料よりも休みがたっぷりな方がいい」との回答が過半の51%に達した。「早めに出社しなくても始業時間に間にあえばかまわない」は43%。比率は10年前に比べてそれぞれ8ポイント、11ポイント上昇し、ともに過去最高になったということです。
OECDによると、日本の労働生産性の変化率(13〜21年平均)は1人当たりでみるとマイナス0.2%で先進7カ国で最下位とこのこと。一方、これを時間当たりにするとプラス0.8%と4位に浮上するということです。
データ上、物価が上がる中で給料(月給)が上がらなければ確かに生活は苦しくなる一方かもしれませんが、(年功序列の給与体系の中におかれた)サラリーマン一人一人の給料袋の中身とはまた別の話。給料の高い世代の多くが定年を迎え組織の年齢構成が若返れば、一人当たりの給料額が(見かけ上)減るもの当然のことなのでしょう。
もとより、パートタイムとして無理せず自分のペースでゆったり働くというのは、本来、高度成長に疲れた日本のサラリーマンが目指してきたものではなかったか。子育て中の若者や定年退職後の高齢者がその能力を活かす上でも、その働き方にはさまざまなバリエーションがあっていいはずです。
そこそこの働き方でそこそこの給料。「日本経済の停滞」や「生産性の低さ」云々の議論は別にして、これはこれで日本社会の(次の時代の)在り方なのかなと、記事を読んで私も改めて感じたところです。
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