1月17日、国土交通省の諮問機関である交通政策審議会が、慢性的な赤字により苦しい経営が続くローカル鉄道の再編に向けた対応策を盛り込んだ、「中間取りまとめ案」の大筋を、合意・了承したと伝えられています。
報道によれば同案では、国の関与を強化し、沿線自治体や鉄道事業者とバスへの転換など再編協議に入る仕組みを創設することを求めているとのこと。これを受け国土交通省では、1月23日召集の通常国会に地域公共交通活性化再生法などの改正案を提出するとされています。
利用が低迷するローカル線の再編をどのように進めていくか。同案では、その手法について、自治体や事業者の要請を受け国交相が組織する協議会を設置するといった手続きを明記。国交省には、関係者の合意形成に向けた支援を求めているとのことです。
再編の手法としては、路線バスへの転換のほか、ローカル線を存続させる場合には、自治体が線路などの施設を保有したうえで、事業者が車両を運行する「上下分離方式」の導入などを選択肢とするとされているようです。
利用者の減少などにより経営難に陥った(もしくはJRの「お荷物」となった)ローカル鉄道を救うには、結局のところ「路線の廃止→バスへの転換」か、経営の一部(ストックの維持管理)を自治体に肩代わりしてもらうしか方法はないということでしょうか。
国全体としても、高齢化、人口減少が進む中、過疎化が進む地方部の鉄道で利用者が減少していくのは当然と言えば当然のこと。とはいえ、住民の足となっている地域のローカル鉄道が廃止されれば、過疎化に拍車がかかるのは必至と言えるでしょう。
新橋・横浜間に日本で初めて鉄道が開業してから150年の節目を迎え、国は(経営が立ち行かない鉄道を「順番に切り捨てる」ばかりでなく)国内の交通政策にどのようなビジョンを示せるのか。
(参考になるかどうかは分かりませんが)1月23日の日本経済新聞の経済コラム「経済教室」に、関西大学教授の宇都宮浄人(うつのみや・きよひと)氏が「道路投資のパラドックス」と題する興味深い一文を寄せていたので、小欄に概要を残しておきたいと思います。
自動車依存がもたらす「外部不経済」の一つである『渋滞問題』を解消するために取られてきた施策が道路建設だと、氏はこの論考の冒頭に記しています。この国では第二次大戦後、経済対策という面からも、道路の供給量を増やすための大きな公共投資が行われ続けてきた。しかし、これで本当に渋滞は解消したのか。
実は、2つの地点を移動する手段として鉄道と道路がある場合、道路の拡幅工事を行うとむしろ渋滞が悪化し、社会全体のコストが増えるという経済学の考え方があると氏はここで指摘しています。
これは、「ダウンズ・トムソンのパラドックス(背理)」と呼ばれるもの。鉄道は線路などインフラ部分の固定費が高いため、利用者が増えれば(通常であれば)1人当たりの平均費用は低下するが、道路を走る自動車の場合、利用者が一定水準を超えると、渋滞が発生して、時間的なコストも含めた平均費用は増加するということです。
もしもA・Bの2つの地点間を移動する人数が一定だとして、その人たちが移動のために自動車か鉄道を選択できるとした場合、政府が(現時点で発生している渋滞を解消するため)新しい道路を整備したり車線を拡幅したりすれば、スムーズな通行を期待して鉄道から自動車に移動手段を変更する人が現れると氏は言います。
一方、その時鉄道側は利用者が減るので、(単純な割り算として)平均費用は上がることになる。その分が鉄道運賃に上乗せされたり、費用削減のために列車本数が減らされたりすれば、利用者にとって鉄道の魅力は相対的に低下するということです。
そしてその結果、たとえ渋滞という一定のコストがかかったとしても、自動車を選択する人はさらに増えることになる。自動車利用者が増えるのに対し鉄道利用者は減り、両者のコスト(時間的なコストも含む)が均衡するところで、利用者の割合は決まってくると氏は説明しています。
さて、ここでのポイントは、鉄道のコストが上昇しているので、実は自動車のコストも上昇している点にある。「ダウンズ・トムソンのパラドックス」の要諦は、つまり、鉄道サービスを改善せずに道路拡幅投資を行うと、結局、投資前よりも渋滞が激しくなっている部分にあるということです。
これは単純化された理論で、いくつかの前提条件があると氏は言います。しかし、昨今の日本の地方都市圏の状況をみると、現実に似たようなことが発生しているように見えるというのが、この論考において氏の指摘するところです。
「おらが地元に道路を」という地域の首長や地主、土建業者らの強い声に押され、政治家たちはふるさとの道路整備を国や自治体に働きかけていった。その結果、日本の隅々までに(場所によっては交通量に見合わないような)立派な道路インフラが出来上がったのは(その時は)住民ニーズに叶ったことだったのかもしれません。
しかし、地元有権者の「先生のおかげで便利になった」との声の陰で、人知れず地域の足であったローカル鉄道の経営が難しくなっていたことに、人々はようやく気付き始めたということでしょうか。
そして今、地域の交通政策をトータルで考えてこなかった政治や行政の「ツケ」が、鉄道路線の廃止という形で表れようとしている。それでは、だれがそのツケを払うのか?高コストとなった赤字続きの地域ローカル線の議論は難しい局面を迎えていると考える氏の指摘を、私も興味深く読んだところです。
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