MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯132 日本軍と日本兵

2014年03月06日 | 本と雑誌

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 もう10年以上も前に亡くなりましたが、昭和一ケタ世代、昭和の初頭に生まれた父は、若いころの話、特に戦争当時の話をほとんどしない人でした。生前、何度か話を振ってみたこともありますが、「話をしたがらない」というよりも、まるでそのような時代など「なかった」かのように話題を自然と避けている、そんな印象すら残っています。

 思えば私の父ばかりでなく、当時何らかの形で戦争(特にS1520の最盛期)にかかわったと思われる世代の男性には、兵士としての戦場での姿はもとより、彼らが多感な青年期や思春期を過ごした時代の雰囲気や自らの思いに関して、ずいぶんと口の重い大人が多かったような気がします。

 当時、「日本の兵隊さん」はどのような心持ちで遠く中国大陸や南方の島々に赴き、かの地の戦場でどのように戦っていたのか。南京やシンガポールを占領した日本兵たちはどのような状況に置かれていたのか。戦争の終盤、島々で玉砕していった兵士たちはどのような心理状態にあったのか。

 戦後、「先の戦争」に関する様々な検証が行われていく中で、機会は幾らもあったにもかかわらず、その時代に直接かかわった日本人達の多くは絶えず寡黙でありました。実際、戦場にあった元兵士達が(そしていわゆる銃後にあった者達ですら)、戦前の日本の全てを否定するようなイデオロギーの前に、また一方で戦争を賛美するかのような精神主義の前に、改めて声を上げることはほとんどなかったのではないでしょうか。

 そして近年、東アジアの国々、特に中国や韓国との間で、戦争中の侵略行為や植民地政策などに関し、日本人のいわゆる「歴史認識」の在り方が大きくクローズアップされるようになってきました。周辺諸国との政治的な軋轢や領土問題、経済的な摩擦などの中で、いわゆる村山談話が示す「日本の植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」とする日本政府の立場についても、国内的には様々な解釈が生まれているようです。

 約63年間続いた「昭和」という時代を、それこそ最初から最後までその身を持って受け止めてきた最後の世代の日本人が、現在、徐々にその人生の舞台から降りていこうとしています。「戦争の時代」に何が起こり、日本人は戦場でどのように戦ったのか。彼らが今、「あちらの世界」に持っていこうとしているこうした「過去」に対し、また別の意味で社会の変化に迷える現代の日本人たちが、「今に役立つ何か」を探して最後のアプローチを行っています。

 その一人、埼玉大学准準教授の一之瀬俊也氏は、著書「日本軍と日本兵」(講談社現代新書)において、太平洋戦争時におけるアメリカ軍の軍内広報誌を分析し日本軍の戦闘の実態に迫るという興味深い試みを行っています。

 新書の「帯」にもあるよう、一之瀬氏はこの著書の中で、まさに「敵」という鏡に映し出された日本軍(日本の兵士)の実態について、赤裸々な姿を明らかにしようとしています。そしてそこで得られた結論は、アメリカ軍の敵国兵士に対する戦闘技術論の視点から見た日本兵の実像は、結局のところ、基本的に現代の日本人の姿とあまり変わるものではないという、思えば当たり前の事実でした。

 戦後の「日本の歴史」や「物語」の中で、そして様々な「メディア」によって描かれてきた日本兵は、「突撃」や「玉砕」などその戦いぶりの愚かしさばかりがいたずらに強調された「理不尽」で「非人間的」なイメージを纏ったものか、あるいは逆に「皇軍」としての日本軍の規律の正しさや剛健さ、意志の強さや頑張りを極端に美化した形で描かれることが多かったと一之瀬氏は言います。

 しかし、アメリカ軍の報告書に現れる日本軍の姿は、物量に劣る中で少しでも犠牲を減らそうとモグラのように穴にこもり徹底抗戦を心がける、しぶとく手ごわい相手であったこと。一方で捕虜になった兵士に話を聞くと、兵士それぞれには、「アメリカと戦うこと」に自体への「大義」がほとんど感じられなかったこと。攻撃を指揮する指揮官がワンパターンで大局観を欠いているように見えたこと。そして下級の兵士たちは上官の命令には命を賭して従うが、指揮官を失うとパニックになって自らの判断で動くことができなくなること…など、相当にリアルな様相を示していました。

 こう
して見ると、当時の日本兵も現代に生きる我々とあまり大差がないのではないかと一之瀬氏は記しています。「戦時中は全てが狂っていた」とする責任回避論は、そういう意味でも他国にとってはなかなか受け入れられず、そこにはきちんとした説明が必要となると一之瀬氏は言います。

 今、日本は東アジア諸国との関係の中で、太平洋戦争の「総括」を改めて求められています。私達の父祖の世代は、東アジアの将来に何を観ていたのか。何のためにたくさんの自国民の血を流し、また何故他の国々の人々の血を流すことになったのか。日本がこれからも他国から「尊敬される」国であるためには、一方的に己れの主張を繰り返すばかりでなく、他国の国民に理解できる言葉で説明し、必要があれば当然きちんと謝罪していく必要があるものと考えます。

 そのためにも、戦後70年という歳月が経過しようとしている現在、様々なイデオロギーとは一歩距離をおいて、偏った歴史観や精神論にとらわれることなくそれぞれの戦場における冷静で客観的な状況とらえ、日本軍の戦いの一つ一つに目を向けていく地道な努力が必要なのではないかと感じたところです。



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