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アメリカのヒラリー・クリントン前国務長官が、4月12日、2016年大統領選挙の民主党候補の指名を得るため正式に立候補を表明したとの報道がありました。
ヒラリー氏は、選挙に向けて立ち上げられたウェブサイトの動画において、「一般のアメリカ人は常にチャンピオン(擁護者)を必要としています。私はチャンピオンになりたい。そうすれば今の暮らしよりももっと良くなるでしょう。」と、立候補への決意を伝えているということです。
今年67歳を迎えた(決して若いとは言えない)彼女が、満を持して大統領へのチャレンジを表明したのは何故なのか。また彼女に期待し支援する人々は、一体何をヒラリー氏に見ているのか。
今回のヒラリー氏の立候補を支えるアメリカ国民の「思い」について、政策研究などのコンサルタントを業務とする「パシフィック21」代表の横江公美(よこえ・くみ)氏が、4月15日の自身のブログ(「キャピトル・ヒルの見える窓から」)において、「時代の変化が、ヒラリー・クリントン大統領待望論を生んでいる」とする興味深い考察を行っています。
今、民主党支持者を中とした(どちらかと言えば)リベラルなアメリカ人の間で「ヒラリー待望論」が盛り上がりを見せているのは、夫のビル・クリントン大統領に人気があったからでも、オバマ大統領に人気がないからでもないと、横江氏はこの論評の冒頭で断じています。
ビル・クリントン大統領の妻であった彼女がホワイトハウスを後にしてから14年間、ヒラリー氏は「ファーストレディー」としてではなく、一人の女性政治家としてキャリアを積んできた。実際、上院議員として活動するときも、オバマ大統領に指名され国務長官として働いた時も、夫ビルの姿はほとんど見えなかったと、横江氏は指摘しています。
オバマ大統領が誕生した2008年以来、アメリカ合衆国ではレーガン大統領に代表される「カーボーイの国」から、オバマ大統領に代表される「マイノリティの国」への大転換が起きていると氏は言います。そして今回のヒラリー待望論の根底にあるのは、その大転換に続く「オバマ大統領の次」(ポスト・オバマ)という、ある意味「時代の要請」だというのが、この論評における横江氏の基本的な認識です。
アフリカ系の血を引くオバマ大統領と典型的な黒人奴隷の家族の歴史をもったミシェルとその子供たちがホワイトハウスに入ることで、アメリカは(彼の国が持つ)最大の負の歴史に一つの終止符を打った。氏によれば、オバマとヒラリーが激しく争った2008年の民主党の(大統領候補者)予備選挙が本選挙のような盛り上りを見せたのも、アメリカの大統領に「黒人」と「女性」の、どちらのマイノリティが先になるのかという戦いだったからだということです。
そして、これから始まる2016年大統領選挙では、いよいよ最大多数派でありながらマイノリティの座に甘んじてきた「女性の番」と考える沢山の人たちがいて、彼ら(彼女ら)の思いがヒラリーを推していると横江氏は考えています。また、ヒラリー氏もその流れを十分に理解しており、出馬宣言を行った演説でも、「人権のために戦い勝利する人になりたい」と語ったということです。
ここで言う「人権」とは、一言でいえば多数派に対するマイノリティの権利であり、女性問題、同性婚、人種差別そして所得・環境・教育格差などが含まれる。つまり、ヒラリー氏は「弱きを助ける大統領」、つまり、オバマ大統領の路線を踏襲しマイノリティのための大統領になると宣言したことになると、横江氏は指摘しています。
氏は、アメリカ国内では、現在でも伝統的カーボーイと新興マイノリティの間で綱引きが行われているとしています。しかし、流れは既に新興勢力の側にあり、共和党の大統領候補に名乗りを上げた人々も、少なからずマイノリティの側面を表出させているということです。
例えば、テッド・クルーズ下院議員はヒスパニックの血を引く候補者であり、ランド・ポール上院議員も党内の政策マイノリティにあたるリバタリアンの家系にあるということです。マーク・ルビオ上院議員はキューバからの移民二世であり、父と兄に大統領を持つジェブ・ブッシュでさえも、メキシコ出身の妻を持つことをアピールしていると横江氏は述べています。
こうした顔ぶれを見る限り、アメリカが「オバマ大統領以前」(プレ・オバマ)に後戻りすることは恐らくないだろう。2016年の大統領選挙をマイノリティという視点で見ると、アメリカの地層下で起きている変化が見えてくると、横江氏はこの論評を結んでいます。
WASPによるリーダーシップを基調とする(強い)アメリカという国の形が、様々な立場の「マイノリティ」の視点を背景に、現在、内部から静かに変化し始めている。「私はチャンピオン(擁護者)になりたい」としたヒラリー氏が体現しようとしているのは、(もしかしたら一重にアメリカばかりでなく、)世界全体におけるそうした大きな構造的変化の「端緒」なのかもしれないと、横江氏の論評を読んで私も改めて感じたところです。
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