涙と笑いのHIV奮闘記III

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れとも戦っています。

白鹿酒造記念博物館「酒蔵館」

2017-12-17 17:00:00 | 美術館・博物館

白鹿酒造記念博物館には、記念館から臨海線を渡ったところに「酒蔵館」というものもありまして。
帰りに寄ってみました。 

酒蔵館の正面には「酒 ミュージアム」と染め上げられた太鼓幕。

この門を入って右側に酒蔵館の入り口。

 先ほど購入した共通チケットを提示すると、日本酒の1合瓶を頂けました。

ここから先へ進むと、「板石道」。
樽に詰められた「宮水」を積んだ大八車が、レール状に敷かれた石の上を走っていたそうです。

酒蔵です。

鶴瓶。そして杉玉(酒林)と酒樽。

 

酒造りに関する展示がなされています。

麹室。

 

 

イラストでの説明もあります。

 

 

窯場の遺構の展示です。

醪を作る作業。

この樽の中に入ると、酵母が発酵して出る二酸化炭素の泡の音を聞くことができます。

 酒造りには、桶や樽を使うので、それらを作る過程や道具も展示されています。

出荷の様子。

蔵人が食事をしたり休憩をする会所部屋。

槽場の遺構。ここに醪を入れた袋を並べて酒と酒かすに分けるそうです。
最初は自然に酒が流れ出し、最後に圧力を加えて、酒と酒かすに分けるとか。

圧搾する道具も展示されています。

当然この辺りも阪神淡路大震災で被害を受けました。
その時の酒蔵の写真や震災の復元もされています。

 

記念スタンプ。

来るときはてくてく歩いてきたのですが、
帰りはたまたまバスがバス停に留まっていたので、飛び乗って、あっという間に西ノ宮駅。

西ノ宮駅の「エビスタ西宮」にはこんなクリスマスかざり。

 


白鹿記念酒造博物館記念館で「堀内ゑびすコレクション 福あつめ」展

2017-12-17 15:15:00 | 美術館・博物館

「白鹿酒造」のショップ、レストランである「白鹿クラシックス」が右手(西側)に見えてくるので、そこを右折。

こんなものが置かれているのが見えてくるのですが、

そこに立つのが「白鹿記念酒造博物館」の「記念館」。

記念館正面玄関。

「杉玉」、と思いきや、この辺りでは「酒柱」って言うんですね。

ドアから入ると入館券を買えます。これは酒蔵館との共通チケットです。

エントランスホール。
大きなガラスの向こうに庭が見えています。

「酒資料展示室」で行われているのが「堀内ゑびすコレクション 福あつめ」展。

西宮神社の祭典「十日えびす」に合わせて、毎年恒例の福の神をテーマにした展覧会を開催いたします。えびす神を中心とした「堀内ゑびすコレクション」の公開と同時に、西宮の酒造家である辰馬家で飾られてきた吉祥あふれる作品もご紹介します。
新春を寿ぐにふさわしい福の神展、展示室いっぱいの「福」あつめをお楽しみください。

※堀内ゑびすコレクションについて
医学博士の傍ら郷土史家としても活躍された故堀内?(きよし)氏(1924~2009)が長年かけて収集されたものです。西宮で生まれ育った堀内氏のコレクションは主にえびす神を代表とする福の神に関するもの、郷土史、風俗風習等の資料で構成されています。

(ちらしより)

撮影はできないし、図録も絵葉書も売っていませんでした。
出展目録はありましたが。

歌川国芳、歌川国貞、歌川広重、喜多川歌麿、渓斎英泉、上村松園らの版画、絵画が展示されています。

これらの他「丹波杜氏の酒造り」、「笹部さんの年賀状とおめでたいいもの」展も開催されています。

記念スタンプ。

 


白鹿酒造記念博物館へ

2017-12-17 15:00:00 | 散歩

阪神電車の乗り場へ向かいます。

流石に腹が減ったのでさんちかで遅めの昼ご飯。

神戸まできているのに、名古屋コーチンの親子丼。

阪神電車で西ノ宮駅まで。
西ノ宮駅で降りるのは初めて。

出口が東西あって、どちらからかわからないので東側から出ました。

札場筋を南に行くのですが、こっちでいいのかな?

西の宮のマンホール。酒蔵と西宮球場と桜がデザインされていますね。

札場筋に出てきました。

阪神高速を渡る陸橋から。
「白鹿」かと思いきや「白鷹」。

阪神高速を超すと、歩道が歩行者専用と自転車道に分かれています。素晴らしい。

西宮って灘五郷の一つなんですね。

何やらいろいろ観光スポットがありそう。時間があったらぐるっと回って観たいですね。

東西に走る「酒蔵通り」、そして南に行くと「御前浜・西宮砲台」

この交差点にあるのが白鷹緑水苑。
懐石料理の「竹葉亭」、「蔵Bar」、「白鷹集古館」、「暮らしの展示室」等が入っています。
ショップもありますよ。

さらに歩くと「白鹿」の看板が見えてきました。


神戸市立博物館で「ボストン美術館の至宝展 東西の名品、珠玉のコレクション」

2017-12-17 14:45:00 | 美術館・博物館

神戸市立美術館でのボストン美術館の展示。

同館でのボストン美術館の展示は去年の「俺たちの国芳 わたしの国貞展」以来です。

 

午前中に部屋の片づけ、洗濯をして神戸三宮に向けて出発です。

三宮駅に到着。
そうそう、夜になればルミナリエか!夕方に来ればよかった、とは後の祭り。

近鉄では快速電車の表示は赤なのですが、阪神線では青色なんですね。

クリスマス、もう来週なんですね。

さて地上に出るとバリバリ、ブンブンブブブンと大音響。

えっ、まだこんな暴走族って居るんや~。

市役所前の花時計。来年の干支の狗のデザインです。
葉牡丹(花キャベツ)で描かれています。

もう12時過ぎ、腹は減っていないけれど、のどが渇いたのでイートインのあるセブンイレブンでホットコーヒー。
店の前には高級そうな「第一楼」という中国料理店があります。
ランチ有るかな?平日しかなくって、しかも3800円・・・

他の季節と比べると、植栽は寂しい。

昼のルミナリエ。

 

ホテルの前にクリスマスツリー。

 

市立博物館に到着。

美術館の前に美術展の広告。

 

入場券を買って入館。

1階の記念撮影コーナー。

今回手に入れたちらし。
以前手に入れたものはA4サイズの1枚でしたが、今日は折り畳みでA4サイズ2枚分。

 

 

I.異国を旅したボストニアンたち
     1.古代エジプト美術 2.中国美術 3.日本美術。

II.「グランド・ツアー」-ヨーロッパ美術を集めたボストニアンたち 
     4.フランス絵画

III.アメリカン・ドリーム -自国の美術を収集するボストニアンたち
     5.アメリカ絵画

IV.同時代の美術へ -未来に向かう美術館
     6.版画・写真 7.現代美術

という構成で80点の美術品が出展されています。

今回はI-2,3 II を楽しみに観に来ました。どれも素晴らしい。
混雑を予想していたので、余りに空いていて肩透かし。

いつも通り絵葉書を購入です。

中国美術から陳容の「九龍図巻

約10mに及ぶ長大な画面に描かれた九匹の龍。沸き立つ雲と荒れ狂う波のなか、あるいは悠然と飛翔し、あるいは佇むさまを粗放な筆墨で描き出している。作者の陳容は南宋末期に活躍した画家で、特に龍図を得意としたことで知られている。なかでも本図は、かつて清朝の乾隆帝も旧蔵した龍図の名品である。

日本美術より酒井抱一の「花魁図

喜多川歌麿の「三味線を弾く美人図

英一蝶の「涅槃図
170年ぶりの本格的解体修理を経て、初めて里帰りしてきたようです。

英一蝶(1652~1724)は江戸に生きる人々の風俗画を得意とした一方で、仏画も多く手がけたことで知られている。釈迦の入滅の様子を描いた《涅槃図》は一蝶による仏画の大作であり、江戸時代の仏画の代表作だ。画面だけでも高さ約2.9m、幅約1.7m、表具を含めれば高さ約4.8m、幅約2.3mにも及ぶ大きさに圧倒されることだろう。涅槃に入る釈迦と悲しみにくれる菩薩、羅漢、動物たちを鮮やかな色彩で大画面に描いており、一蝶の力の入りようが伝わってくる。本図は、1886年(明治19年)以前にフェノロサが購入してからはボストン美術館で収蔵されてきた。作品の大きさと経年による劣化ゆえ、同館でも25年以上にわたり公開が実現できなかった。本展での公開に際して、画面の折れや亀裂、汚れ、糊離れなどを改善するために、約170年ぶりに本格的な解体修理が行われており、約1年に及ぶ修理作業の一部は、日本絵画の修理現場を来館者に紹介することを目的として、ボストン美術館の展示室で公開されてきた。このたび、《涅槃図》は初めて里帰りを果たす。海を渡ってから、その作品を実際に見た人はごくわずか。江戸時代の人々が祈り、想いを馳せた、一蝶による幻の巨大涅槃図は必見である。

曾我蕭白の「風仙図屏風

勢いよく渦を巻き、強風を呼び起こす黒雲。あるいは龍の存在を示唆しているのだろうか。荒れ狂う波濤、揺れ動く木々のなか、剣を持つ男が橋を挟んで黒雲に対峙している。緊張感ある攻防の後方には、風に吹き飛ばされた滑稽な表情の男たち。その後ろには白と黒の兎のつがいがひっそりと姿を見せている。墨の濃淡、線と面、緊張と弛緩、大胆さとユーモアを巧みに織り交ぜた、蕭白の代表的作品。

フランス絵画よりミレーの「編み物の稽古

ドガの「腕を組んだバレエの踊り子

ドガの踊り子といえば、今東京上野の国立西洋美術館で、北斎漫画との類似性が展示されていますね。

セザンヌの「卓上の果物と水差し
風景画だけではなく、こういう静物画も描くんだ。

モネの「ルーアン大聖堂、正面

そしてゴッホの「郵便配達人 ジョゼフ・ルーラン

同じくゴッホの「守唄、ゆりかごを揺らすオーギュスティーヌ・ルーラン婦人

1888年2月、ファン・ゴッホはパリを離れ南仏アルルに移り住んだ。見知らぬ土地に暮らし始めたファン・ゴッホにとって、ジョゼフ・ルーランはモデルとなってくれる数少ない友人だった。ジョゼフの仕事は「郵便配達人」と紹介されることが多いが、実際にはアルル駅で郵便物の管理を担当していたとされる。ジョゼフばかりではなく、妻オーギュスティーヌ、長男アルマン、次男カミーユ、赤ん坊の末娘マルセルもファン・ゴッホのモデルとなった。20点以上も残される一家の肖像画は、画家とルーラン一家との親愛の情を映し出している。
ルーラン夫妻は、精神的にもファン・ゴッホの支えとなった。1888年12月、ポール・ゴーギャンとの共同生活が破綻した際、ファン・ゴッホは自らの耳を切った。ジョゼフは入院した彼を定期的に見舞い、外出が許されたときには彼に付き添った。パリに住む弟テオとも連絡を取り合い彼を支え、マルセイユに転勤したのちも交流は続いた。ファン・ゴッホは、テオ宛ての手紙に「ルーランはぼくの父親というほどの年齢ではないが、年長の軍人が年下の兵に接するような寡黙な厳しさと愛情を注いでくれる」とその存在の大きさを書き記している。

アメリカ絵画からジョン・シンガー・サージェントの「ィスク・ウォレン夫人(グレッチェン・オズグッド)と娘レイチェル

優雅で洗練された肖像画家として人気を博したサージェント(1856~1925)。作家・詩人でもあったウォレン夫人は、光沢のあるドレスに身を包み、ルネサンスの調度を背景にその社会的地位が十分に示されている。制作後すぐにボストン美術館に貸し出されるなど公開の機会に恵まれ、洗練された技巧と内面までをも描き出す肖像画家サージェントの名声を高める作品となった。

いつもながら素晴らしい保存状態の絵画を見ることができ、幸せな気分で三ノ宮駅へ戻ります。