涙と笑いのHIV奮闘記III

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れとも戦っています。

降ったり止んだりでしたが、結局傘は必要なかったようです

2018-05-31 19:30:00 | 食事

美術館を出て、遅めのランチ。

美術館から1階エスカレーターを上がったところにあるプロントさんでパスタ。

美術館の入館券が有れば100円引きになります。

食後こんなのもいいかなぁと思ったけれど、カロリーが・・・
そして席も満席。

エスカレーターでまた1階降りて、無料の展望所に出てみました。
幸い雨は上がっていて。

京橋あたり。

難波のあたり。

生駒山、見えません。

天王寺駅に向かいます。

陸橋から通天閣。

JR天王寺駅へのいりぐちです。

帰りはJR大和路線で帰宅することにします。

JR奈良駅まで30分程です。

途中雨が降ったり止んだり。

大和川も増水していて、濁流です。

JR奈良駅に到着。

せんとくん、阿修羅、しかまろがお出迎え。

改札を出たところの屋根、柱がいい感じです。

部屋に戻って御蓋山。
春日大社に祀られている建御雷命が鹿島神宮から鹿に乗って、
この御蓋山に降り立ったとされていますね。

結局街を歩いている間は雨が降らず、病院、博物館、美術館、電車の中にいるときにだけ雨がふっただけで、
折角持って行った傘の出番はありませんでした。

今日の夕食、レンコン、サツマイモ、ちくわ、大葉と鰯の天ぷらです。
レンコン、サツマイモ、ちくわは炭水化物なので、ご飯はなしですね。

 

 


あべのハルカス美術館で「ボストン美術館浮世絵名品展 鈴木春信」展

2018-05-31 14:30:00 | 美術館・博物館

次に向かうあべのハルカスまでは、谷町四丁目駅から谷町線で乗り換えなしで天王寺駅まで。

地下鉄天王寺駅から地上に上がり、さらに「寿司屋萬助歩道橋」を渡ってあべのハルカスへ向かいます。

阿倍野歩道橋」の命名権の購入者が、老舗の寿司製造・販売会社「小鯛雀鮨鮨萬」。

同社は江戸時代の承応2年創業で、現在大阪市内を中心にレストランなど29店舗を展開。
あべのハルカスにも出店しています。
店主が「萬助」だったことにちなんでこういう名称になったとか。

撮影スポットがあべのハルカスの建物に入る前にあります。

エレベーターで16階まで。

エレベーターを降りるとガラス越しに無料の展望階。

右に曲がると美術館。

 

記念撮影コーナー。
後で買うことになる絵葉書の「「浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花」」

「外出の支度」

同じデザインでバックの色の違うちらしが二種類。

 

 

鈴木春信は、 錦絵創始期の第一人者として知られる浮世絵師です。若い恋人たちの姿、子どもを慈しむ家庭の幸福、古典の和歌や故事を題材にした見立絵・やつし絵など、詩的で洗練されたイメージを豊かな情感と色彩で表現しました。当時の江戸での評判の町娘や名所を主題に取り入れ、錦絵の大衆化に貢献したことでも知られています。現存する春信作品の大半は海外に所在しているため、日本で展覧会を開くのが最も難しい浮世絵展といえますが、ボストン美術館は、600点以上の春信作品を所蔵し、世界一のコレクションを誇ります。春信の作品は、一図当たりの残存数が極めて少なく、今回の出品作の中には世界で1枚しか確認されていない作品が含まれており、出品作の約8割が、ボストン美術館に収蔵されて以来、初の里帰りとなります。春信の代表的作品の数々に加え、影響関係にあった同時代の浮世絵師の作品も展示し、春信を育んだ時代の気風を伝えます。

(ちらしより)

とにかく質の高い春信の浮世絵を堪能できる展覧会です。
錦絵の発祥から発展の過程を観ることができます。

絵葉書2枚購入。 

「八ツ橋八ツ橋の男女(見立八橋)」
伊勢物語「東下り」の見立絵ですね。

から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
旅をしぞ思ふ

各句の頭文字を並べると「かきつはた」つまり杜若。

 

「浮世美人寄花 笠森の婦人 卯花」

右の女性は谷中の笠森稲荷境内にあった水茶屋「鍵屋」の看板娘お仙。
浅草寺奥山の楊枝屋「本柳屋」のお藤、浅草二十軒茶屋の水茶屋「蔦屋」のおよしとともに、
明和の三美人の一人です。

 例によって、浮世絵の展覧会なので図録を購入。

ああ、もう頭いっぱいです。


大阪歴史博物館で特別企画展*なにわ人物誌 「堀田龍之助」展

2018-05-31 12:00:00 | 美術館・博物館

特集展示はたった1室なのであっという間に観終わります。

そしてまたエスカレーターで6階までおりまして

特別企画展「堀田龍之介 幕末・近代の大阪に生きた博物家」

以前貰ったちらし。

今日もらったちらし。

 今からちょうど百三十年前、明治が始まって社会が大きく変わりつつあったそんな時代に、ひとりの老博物家が大阪でその生涯を静かに閉じました。彼の名は堀田龍之助(ほったたつのすけ)。江戸時代に薬種業を営んだ商家・鍵屋に生まれ育った彼は、次第に博物学の魅力に取りつかれていき、晩年には大阪博物場に努めることになりました。
 彼が博物学に邁進していたころ、周辺には多くの博物学者が活動していました。大阪に暮らしていた龍之介は、その中でも京都の医師山本亡羊とその息子達、紀州藩の薬園管理を担っていた畔田翠山との交流を経て、博物学の知識と情報を吸収していきます。
 龍之介は、自信で著作を残すことや後進を育成することはありませんでしたが、たくさんの収集品を私たちに残してくれました。彼が残した多彩な博物学資料(堀田コレクション)約100件を紹介し、その活動に迫ります。

(ちらしより)

堀田龍之助の名は聞いたこともありませんでした。
精密な動物の図にびっくりでした。


大阪歴史博物館で「特集展示 大阪を襲った淀川大洪水」展

2018-05-31 11:00:00 | 美術館・博物館

今日は国立病院機構大阪医療センターで10時20分から腹部エコー検査。
朝食を取ることができないので、昨夜はがっつり食べないと、ということでビーフステーキと豆苗の炒め物。

乗り継ぎがうまく行けば丁度1時間で付くことができます。

ってことで8時50発の電車に乗って出かけました。
左端の窓で一つだけ小さい窓の部屋がありますが、あそこが個室で自分が入院していた部屋です。

腹部エコー検査室で受付をしたのが10時ちょうど。するとすぐに呼ばれて、検査が終わったのが10:15。
清算を終えると、今日は診察も投薬も無いので、後は帰るだけ。

あ、朝飯食って薬飲まないと。

病院内のローソンでアイスカフェラテとサンドイッチで朝食として、ゲンボイヤ内服です。

今日のもう一つの目的、大阪歴史博物館へ向かいます。

病院の出口付近にアジサイ。

写真を撮影しているうちに雨が降り出したので、陸橋ではなく、地下道を歩いて向かいます。

前回来た時には階段の工事中だったのですが、完成していました。

大阪歴史博物館とNHK大阪放送開館はアトリウムで繋がっています。

アトリウムからNHK。
11:30からの「ぐるかん」の生放送の準備が始まっています。

反対側が大阪歴史博物館。

まずは特集展示の「大阪を襲った淀川大洪水」展へ。
会場は8階ですが、そこへ行くにはまずエレベーターで最上階の10階まで行き、エスカレーターで下る必要があります。
10階から病院の方を見ると、そこに入院中によく買い物に行ったイズミヤの看板がよく見えます。

エスカレーターの踊り場からの大阪城とOBPのビル群。
右橋に見えているのはホテルニューオータニです。

さて8階に到着です。

明治18年(1885)の淀川大洪水は、享和2年(1802)と並ぶ大規模な洪水となり、6月中旬から7月初旬にかけての2度の洪水によって、大阪府の北河内・中河内から大阪市全域の大部分(上町台地や船場等を除く)が浸水しました。また大川に架かる川崎橋・天満橋・天神橋・難波橋(南側半分)・淀屋橋・安治川橋なども流失・破損し、この豪雨災害がきっかけとなって淀川の大がかりな治水工事がおこなわれることになりました。

この展覧会では、大阪歴史博物館が所蔵する明治18年の淀川大洪水を写した水害写真のパネルや、被災状況を伝える瓦版や絵巻などを中心に、享和2年の淀川の洪水に関する資料もあわせて展示しながら、明治18年の淀川大洪水を振り返ります。

(ちらしより)

大阪摂河大洪水図

大洪水未代噺

浪華大洪水一覧図

河内・摂津 大洪水細見図。

明治拾八年大阪府水害之実写。

大阪天満橋水害。

大阪天神橋水害。

網島大長寺裏切ヨリ「大長寺ムノ図。

難波橋流失後仮舟橋図。

淀川洪水図。

難波橋。

天満橋と天神橋。

「わざと切れ」と大長寺。