MoiMoi。のココデハナイ ドコカ。               

「この世界には私が撮らなければ誰も見たことがないものがあるのだと信じています」by ダイアン・アーバス。   

本をパラパラめくっていたら思い出した。

2008-08-17 | MUSIC・MOVIE・BOOK・ART
大学一年の時に新宿裏道歩いていたらJAZZCLUB『PITINN』の入口にアルバイト募集の紙が貼ってあったので、ドア開け、バイトしたいとレジの人に言うと、履歴書持って来てと言われ、近所のアドホック(確か)で購入、その場で書き込み採用された。

当時、早番、遅番の間に中番(だったかな?)とか言うのがあって、その時間帯で給仕していた。

ここでバイトして一番最初に驚いたのは、タイムカードの代わりにハンコを押しに、表通りにある洋服店まで連れて行かれた事。(店は内部で繋がっていたかもしれないが、覚えてない)
経営が同じだったんだと思う。

一番最初に焦ったのは、夕飯出ると言うので、店右横の通路を入り階段上っていくと、奥にうすぐらーい店があり、ジャズのレコードかかっていた事。

『ここ秘密クラブじゃないの?。やはり芸能界はこわい』と大学一年生の気の弱いオイラは本気で思い、キッチンにいた従業員に聞いたら、表通りにあるPITINNのティールームだと言われ、ホッとして夕飯食べたが、出された肉があんまり堅かったので噛み切れず、傍にあったゴミ箱に捨てちゃいました。(あれは新人いじめだと今でも思っている)


PITINNでのバイト期間は、さほど長くなく、その後、NHKで小道具をスタジオに持って行くと言うバイトをやっていたが、しょっちゅうPITINNに遊びに行っては、只でライブを観させてもらっていた。

なので、とーぜん混んでいる時は洗い物の手伝いなどをした。
当時、バイトで働いていた先輩の桜井さんや後藤さん、エルビン(顔がエルビンジョーンズに似ていた)など、今でもよく覚えてる。

一度本田竹広さんのバンドのLP中ジャケ用のライブ写真を撮りにPITINNに行ったら、桜井さんが、まだ働いていたのでビックリしたけど。

その後PITINNは六本木店(ここにもバイト仲間が一人残っていた)も出来、新宿店も場所が移動し疎遠になったが、当時お世話になった、マネージャーの本村さんには何度か取材などで会う事ができた。(すでに本村さんもPITINNを去ったと聞いたが)

てな事を中央線ジャズ決定盤101と言う本をパラパラめくりながら思い出したのでありました。

当時、活躍していたジャズミュージシャンが、何人も早死にしているのね。

オイラ、ジャズは好きだが、詳しくないので、こーゆー本読むと、知らないミュージシャンがたくさんいるのに驚く。

ここで紹介されてるレコード、一枚も知らないしー。

この本、書き手が14人いて、ライターが本業じゃない人が、ほとんどなのが面白い。

みなさん それぞれ 思い入れがあり、味のある文章書いております。


「ねーねーあたしジャズが聴きたい」
「そうか、そんじゃジャズ喫茶でも行くか?」
「ライブがいいー」
「ライブか、そんじゃアケタの店でも行くか」
「どこにあるの?」
「西荻」
「やだやだやだ、六本木か青山じゃなくちゃ、いやー!」

このよーな、おねーちゃんとは別れた方がいいです。

六本木や青山に行ってもいいですが、近所でライブやってる店を見つけて覗いてみれば。
凄い新人いるかもしれない!

PITINNに関しては、晶文社から『新宿ピットイン』と言う本が出ています。(オイラ今でも持っています)














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