球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

経験は人を想って…

2005-08-05 | マジメな話
今日も研究室からお送りします。
誰もいなくなってから4時間くらい経ちます。
多分、僕が帰ろうと思っていた時刻はとっくに過ぎて、
スーツをクリーニングに出す心の余裕は、明日の僕にはないのだと思います。



今日は23時ごろ帰ろうと思っていたのですが、
オーケストラ関連の仕事と漫画読み(待ち時間を埋める)に励んでいて、結局毎日こんな時間になってしまいます。
手際の悪さもありますが、あまりに環境が悪いのでそっちにも責任を問いたい。
ライブラリアンに感謝というか、なんというか…

今日は、BANANA FISHという漫画を一気読み(1~19巻)しました。
これも後輩からの勧めですね。
平たく言うと女性の書くハードボイルド系漫画です。一気読みしてしまうくらいの良さはありました。

なんていうか、男(というか僕)には書けない台詞回しが一杯。
主人公とその仲間がゲイバー(ではなかったかもしれないが男だらけの店)にて
”セックスの対象にされる恐ろしさがわかったぜ…”
とか言っていました。

僕には書けない台詞でしたし、そういえば俺はその恐ろしさがわかってねぇなって思いました。
だって、されないし。(すみません、こんな例で)
まぁ、ネタばれしないし適切でもありましょう。



そうやって僕はまたひとつ自分の知らないことを知っていく。
それは喜びです。
ですが、いかに漫画を読んで引き出しにまた新たな上着ができようと、
CDを聴いていかに新たな解釈を思いつこうと、
これからは自分の中途半端さを感じながら生きていくことは必至です。

これでも向学心はそれなりにありますが、
結局全地球の叡智の一那由他(10の60乗)分の一も獲得していないんだろうな、と
途方にくれるときもあります。

でも、どんなにすごそうな人だってこの観点で見たらたかが知れているのかとも思います。



わき道にそれた、話を戻しましょう。

人を通じて手に入れる経験ってのはいいな、ってのが今日の話の主旨でした。
人のために何かするってのも悪くない。

「人のため」って言うと恩着せがましい感じがして嫌だった。
でも、「自分のため」って言葉を発していながら、その言葉に実体を感じることができなかった。
4年くらい時間が経ってからやっぱり「人のためだったのかな」って思ったりした。

心揺さぶられんですよ、皆にね。

コメント
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