球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

容れ物、について

2007-04-23 | たぶん難解な話
ここ数日のエントリを読み返してみて…
最近は精神的に不安定で不安定で困ります。季節が春だから、なのかな。



丸い容器には丸いものを入れた方が容器の容積をぎりぎりまで活かせることは、
結構常識。

"Aという場所には、Bを置こう。"
"Bは、Aという場所に置こう。"

結構言い回しは似ていても、言葉を発した人の考え方が全然違う言葉。
下手したらここの言葉選びのセンスだけで今後の人生が決まってしまうのかもしれない。

時間と空間は基本的に相容れないものとされているが、
唯一の共通点が、容れ物としての性格をもつことだ。
"相容れない"というくらいだから、
空間の持つ容れ物と時間の持つ容れ物はきっと全く形が違い、
その二つできっとあらゆる容れ物が記述できるはず。

時間は速度であり、質量でもある。或いはエネルギというと物理屋さんは喜ぶ。



パーソナルスペースがあるように、パーソナルタイムがあるとする。
満員電車で苛立つように、過密スケジュールに苛立つとする。
肉体が空間に宿るとして、精神が時間に宿るとする。

死んだら空間的な僕はいなくなる。肉体がなくなるからだ。
でも、時間は止まらない。だから精神は消えない。それが霊の正体だ。
だから、"幽霊なんていないに決まってる"という考えは
いささか空間的な思考に縛られすぎていることが指摘されるとして…

~時間を、ないがしろにしているのではないのか?~



今日は、最後がサギ師みたいな感じになって、ちょっとお気に入りです。
誰か信じてみ。


コメント
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