球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

アンタが間違ってんだよ ~聖人君子じゃいられない~

2009-01-03 | たぶん難解な話
※長くなっちゃった。書きたいこといっぱいあってさ

"もっと激しい夜に抱かれたい"のは
夢見る少女じゃいられないという歌だったね。

家族の話で恐縮なのだけど…
俺の兄は未だに家にネットをひいていないことに始まる
いわゆる世間のトレンドからは距離を置いている人種であるが、
彼に対する尊敬の念が年々強まっている不思議がある。

ある程度まで極めたゲームの記録をそこはかとなく誇る体質は
相変わらずなのだけど、それが人間らしさとか個性と呼んでいいレベルであり、
"ネットをみれば(あるいは、世の中には)
 それより凄い記録なんかいくらでもある"
という正論を言う気もなくなってくる。

言うまでもなく、ネットがどうとかいう問題は
彼にとってはどうでもいいからだ。
僕がいちいち水を差すのは不風流、という問題もあるが
ある意味(この議論は自分がそれをしたことが重要であり、
他がどうかは知ったことではない、ということ)
問題のすり替えの片棒を担ぐような気がして、
そちらに対する無粋さに関するためらいの方が上だ。

井の中の蛙大海を知らず、と言うが、
出てもいない大海をむやみに語り、恐れることは大海を知らないこと以上に
何物をも生み出せない、のかもしれない。

俺は努力もしないで上から目線で物を言うためのトレーニングを
知らず知らずにやってしまっているのか?



まぁそれは一例だ。

他にも、(程度の誇張があることを考慮する必要はありそうだが)
教え子にもあまり聖人君子としての教師の姿を見せていないようだ。
話を聞いている分には、いかに自分が聖人君子でないかを
まるで極めたゲームのデータを見せるかのごとく
自慢しているようにも聞けるのだけど、教職にある人だからこそ
人間宣言をするということは真に理に適った話であろう。
聖人を演じた結果降りかかる分不相応な要求に身を持ち崩す
レプリカ聖人の残骸を想い寒気がするというものだ。



自分はどうなのだろうか。
そう、結局それが問題だった。
 ・人の意見をさえぎって自分の意見を言う
 ・陰口を叩く
 ・何かというと噂話をする
この3点が俺は(されるのが鬱陶しいため)大嫌いで、されるのが嫌なので
自分も人に対してはそういったことを極力しないように努めてきた。
自分の30歳時点をイメージした際、人の噂話をしてげらげら笑ったり
陰口を叩いてストレスを解消するような低俗で醜い自分はそこにいない。
イメージしている自分に一歩前進…なんてさすがに言い切れない。

だけどそういうことを言いたくなるときだってある。
だが、ある意味、そこに関しては聖人の(皮を被る)自分をイメージしているから
きっと実現し続けるし、それに応じてきちんとストレスだってたまる。
イメージしている自分の姿は、自分のキャパシティを超えた聖人の姿。
しかしそれは鶏卵の殻ほどの薄さで実現された固くも脆い銑鉄の志。
なりたい自分にリンクしているのは確かだが、
排泄を忘れた動物は自分の中に毒を溜め込み倒れるのが理だ。

口に出さないだけで思っていることが全て顔から漏れ出ている
"なんちゃって聖人君子、皆気付いているから、アンタが無理してるって。"
なんてある日言われて愕然としたり。十分考えうる話だ。

…とはいえ、なりたい自分に近づいている部分もあるわけで
そこは評価できる。というかするべきで、しなければいけない。

だが、本当に自分が大切に思っていることは何なのか。
自分のしたいことに焦点を合わせた人間宣言を
どこかでしなければいけないだろう。今のままでは無理があるのだ。
(上に書いた3点だけを心がけているわけではないよ)

これまでは、常に自分なりの完璧を追ってきたつもりだけど
そう、聖人君子じゃいられない。
コメント
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