1月11日は姉の誕生日。
僕より2つ年上で今年69歳になります。
1月11日は亡き姉の命日。
亡くなって、65年目?66回忌となるのでしょうか。
子供の頃からの記憶は母から教えてもらう姉のこと。
僕といつも電話ごっこをしてたそう。そう言えばそのような記憶が・・・と子供心に思っていました。
教えられて作られた記憶なのか、姉と一緒に遊んだ記憶なのかは全くわかりません。
糸電話みたいなもので遊んでたような。
今の家は僕が生まれた時から住んでるので、姉とも1年8ヶ月はこの家に一緒にいたことになります。
子供の頃から姉の姿を追いかけていたような記憶もあります。
姉が亡くなったのは1月11日と聞いていたし、理解もしていました。
それじゃ、姉の誕生日は?、がなかなか理解出来ずにいたようです。
朝から仏様にお参りして、母の病院から帰ってからお墓参りに行ってきました。
初めて写真に撮りました。
父より前に名前があり、名前の下に4才と掘られています。
誕生日と亡くなった日が同じと理解したのは社会人になってからのことです。
父はこの頃かにタクシーの運転手をしてたそう。
1歳過ぎたばかりの弟を相手に姉は、「〇〇タクシーさんですか?車一台お願いします」 僕:『はい、了解』などと遊んでいたんでしょうね。
座敷の柱に背を測ったときのような傷跡があります。ずっと気になってたんだけど、誰と何時、誰が作ったものかは定かではありませんが、姉ともそんなこともして遊んでいたのかなと思ってます。
母も姉のことは鮮明に記憶していて、「ポンポン痛い」と言い始めて、病院にも行ってたようですが、何かを食べたいと姉が言ったそうです。「ポンポン治ってから食べようね」と母は姉に言ったそうです。
その日に姉は亡くなり、亡くなる少し前に姉が「母ちゃんのバカバカ」と言ったそうで、その言葉が姉の最後の言葉となって母の耳に残っているそうです。
食べたいと言ったものを食べされてあげたら良かった、と母は悔いてると話してました。
そして、お腹の状態がそんなあることに気づいてやれなかったことを悔いてると。
それはきっと父も同じでしょう。
僕は子供の頃、よく熱を出していました。主な原因は「扁桃腺肥大」から来る発熱だったようですが、肺炎や気管支炎になったこともあり親からするとたまらないこと。
高校生の頃に、定期テストが終わってチョッとズル休みしたいなみたいな感覚で「頭が痛いから学校休む」と家にいると仕事に行ってた父がタクシーで「病院に行くぞ」と連れに来ていました。
幸い?気はココロで・・・病院に行って熱計ると「37度台」をクリアしていて仮病にはなりませんでした(笑)
子供の頃には姉とのつながりなど知らなかったし気づきも知ませんでしたが、本当に心配してくれてたんだなと思います。
今なら親の気持ちがわかるし、チョッとココロが痛い自分がいます。(当時の自分は扁桃腺熱に感謝たりしてましたね)
話は横路ですが、僕の奥さんは一つ年上。いわゆる姉さん女房 です。
後からのこじ付けともなりますが、僕自身が姉への憧れ?や思いがどこかにあったのかなと結婚した当時はよく考えていました。
色んなこと偶然なんでしょうが、必然として色んなことが起きて選択しているのかも知れません。
姉が亡くなった年の10月に妹が生まれています。両親にとっては姉の生まれ変わりと感じてたのかも知れません(そのような聞き方をしたことはないからわかりませんが)
普通に日記として書くつもりでしたが、書き始めて予定していない言葉とかココロが現れてしまいました。
1月11日はそんな日だったりします。これからも。
思いいろいろ、人生いろいろですね。
書き終えて補正をしながら思い出しました。姉が食べたかったもの。母が教えてくれたのは「コンコン」だった。タクアンのことですね。
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