ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

【公文書館】難波先生より

2013-07-04 12:45:52 | 難波紘二先生
【公文書館】7/2(火)朝、自宅前8:05発のバスに乗り広島市に出かけた。ところが広島行き高速バスと西条駅行き路線バスを乗り間違え、途中でJRの列車に乗り換える羽目になった。おかげで新聞が列車内でゆっくり読めた。
 朝9時台の列車は老人の姿ばかりが目立った。広島駅に着いても同様で、市役所前の「広島市公文書館」に行ったのだが、途中タクシーの運転手に聞いても「広島は老人が目立つようになった。特に団地がひどい」という。
 広島大学をはじめ次々と大学が都心部から他地区に移転したので、青年学生は専門学校生くらいしかいない。これが大きい。東広島市は逆で、やたらと若者の数が目立つ。


 そこで今日一日、元中国新聞のYさんと、「原子爆弾災害調査票」と格闘していた。東大医学部の都築教授が保管していて、遺族から広島市に寄贈された資料だそうだが、私が今日、調べたものは「岡山医大」の津田外科、三宅外科、山岡内科、北山内科がカルテから転記した調査票168枚の一部である。


 せっかく寄贈され「公文書館」に保存されているのに、保管状態が悪く、酸性紙のためボロボロになっているのに胸が痛んだ。このままでは原本はあと十年持たないだろう。
 「デジタル化の計画はないのか?」と聞いたら、「マイクロフィルムに保存してあるので、必要ならそれからデジタル化する」と答えが返ってきて唖然とした。


 公文書館の館長は市役所の「課長待遇」だそうで、公文書館設置は「条令」(市議会で可決)で決められているが、利用規定ことに個々の文書の「公開の是非」は館長決定なのだそうで、「非公開」資料が沢山ある。死蔵されて朽ちている。もったいない話である。こういう文書館の実態は市の他部局にも、外部にも、まったく知られていない。ぜひメディアに報道してもらいたいものである。


 「お役人」に仕事をいちいち邪魔されて、胸や腹がむかむかする一日だった。「5時閉館」なのに、4時40分になると「閉館です」と言ってきた。昔、国鉄の労組組合員が午後4:00になると、「勤務終了」といって入浴していたのと変わらない。広大の図書館もまったく同じで、閉館30分前になると利用者を追い出す。閉館時間とは自分たちが立ち去る時間のことだと解釈しており、民間のデパートなどとは解釈がちがう。これが「役所」というものなのである。「役人はサービス業だ」という自覚がない。


 夜は「百メートル道路」の南側、富士見町にある「八雲本店」で出版社のKさんを交え、3人で食事した。いま、年に約40点を刊行しているそうだ。創業してもう40年になるだろうから、1600点か。私も「甦るカルテ」、「歴史のなかの性」、「生と死の掟」などの出版でお世話になった。


 で、昨今の出版事情を聞くと、東京でも「初版300部」というような出版社があるそうだ。Kさんの会社の場合は「著者保証分」を最低300部にしているので、さすがにそれよりは多いそうだ。まあ、明治20年頃の出版事情に近づいている。「再販制廃止、小売り書店買い切りで、返品なしにしよう」という声が、出版界の中からも出てくるわけだ。


 火曜日に見つけた「調査票」のなかに、「船入本町の2階建て民家の1階で被曝した」という男性の記録があった。ここは私の生家があった町で、広島文理大小倉豊文助教授の自宅もあったことは、彼の手記「絶後の記録」からはっきりしている。最近入手した「原爆体験記」(朝日選書)に、船入本町にあった「広島市立船入病院」に赤痢のため入院していたわが子の看病のために、泊まり込んでいて被曝した父親の手記が載っている。建物が倒壊し、倒れた柱に強打され、「両側眼球破裂」を起こしたが、かろうじて一命を取り留めたという強運の人だ。
 
 船入の生家はどうもこれらの記録を読むと、倒壊後に発生した火災のため、類焼したらしい。市役所前の大手町で、妻を救助に南側の千田町方面から戻った男性の手記によると、「直径1m, 高さ6mの炎の竜巻が起きて、小さい樹木など根こそぎ持ち上げられた」いう。
 これは田中貢太郎「貢太郎見聞録」が記している、関東大震災の際に、本所旧被服廠跡地に非難した3万人の人たちを一挙に窒息させた火焔の渦巻きと似ている。(この時も「黒い雨」が降っている。)恐らく広島市内の各地で業火の後の降雨という、同様な現象が起こったのであろう。


 こうしていろいろな記録をつなぎ合わせて行くと、昭和20年7月から10月にかけて、広島市のどの地区で、誰がどのように、生きていた(あるいは死んだのか)、広島市がどのように破壊され燃えたのか、再現できそうである。
 「どうだい、三人で分担して資料を集め、部分原稿を書き、アンカーマンが統一した文体で一つのノンフィションに仕上げることにしては」といったら、「アンカーマンはわしがやる」と言った人を含め、全員が賛成だったが、なに酔った上でのことだから、どうなるかわからない。英語ではS.ウォーカー「カウントダウン・ヒロシマ」(早川書房)のような類書はあるが、質は低い。日本語では類書すらない。
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