【書評など】1)エフロブ「買いたい新書」書評にNo.191:池井戸潤「オレたちバブル入行組」を取り上げました。TBSのテレビドラマ「半沢直樹」シリーズの原作第1作です。http://www.frob.co.jp/kaitaishinsho/book_review.php?id=1383639340
「倍返し」という言葉は、今年の流行語になるのではないかな……
「岩波・広辞苑」を引くと「受け取ったものに対して倍額を返すこと」とあり、用例として「ご祝儀は倍返し、不祝儀は半返し」というのが載っている。この語は「三省堂・大辞林」、「小学館・国語大辞典」には載っていない。
私の理解では、この言葉は商慣行で用いられているもので、「手付け金」の扱いをめぐるものだ。
買い手が口頭での契約に際して手付け金を支払い、それを買い手側の都合で破棄した場合、商法に「口頭による契約はいつでも破棄できる」とあるから、それは違法でないが、「手付け金流し」になる。
他方、売り手側の都合で契約を破棄した場合は、手付け金を倍にして買い手に返却しなければならない。これが「倍返し」である。一種の「慣習法」である。
(商いの現場に詳しくないので、間違っていたら、光成先生、中河原さん、ご指摘下さい。)
池井戸は三菱銀行に就職して銀行マンとして働いた経験があるから、「倍返し」ということばを、大阪の中小企業相手の融資業務をとおして学んだのであろう。
ただ、彼はこのシリーズを書きすぎだ。出版社の依頼で、仕方なく書いているのだろうが、多作は必ず質の低下をもたらす。漱石だって、「吾輩は猫」が一番面白い。
それにしても雑誌「正論」12月号を見たら、「前海星高校野球部監督・教育評論家」野々村直道なる人物が、流行語の「倍返し」を引用して、「仇討ち制度の復権を!」と呼びかけているのにはあきれてしまった。
この雑誌は近年、急速にファナティックな論調が目立つようになったが、これは一際、目立っている。
2)献本お礼= 歌誌「真樹」を主催しておられる山本光珠さんから、広島市文化協会・文芸部編「占領期の出版メディアと検閲:戦後広島の文芸活動」(勉誠出版, 2013/10, ¥1,800)の献本を受けた。
「勉誠出版」は東京神田にある出版社で、人文社会系の本がメインだが、HTLV-1ウイルスの発見者、日沼頼夫先生の随筆集「ウィルスと人類」(2002)というような本も出している。
占領軍(GHQ)による検閲については、評論家(実態は東京工大の英語教授で、ペンネームで著作をした)江藤淳の「閉ざされた言語空間:占領軍の検閲と戦後日本」(文春文庫, 1994)が、米国の大学図書館、公文書館の資料調べをしていて、圧倒的である。
「戦後広島の文芸活動」が本として優れているのは、GHQの検閲活動を、マスメディアや同人誌の原爆ルポ、小説などの散文、詩の領域だけでなく、児童文学、高校や大学のサークル誌や短歌・俳句のジャンルにまで及んで、その実態を検証している点だ。
「銀の鈴」なんていう、小学生の頃、学校の図書室で読んだ雑誌のことも書いてあって、懐かしく思った。広島市の学校教師が協力して、小学生低学年、中学年、高学年用と3種の月刊誌を編集発行していたという。
あの頃はテレビがなく、読むものに飢えていた時代だが、それにしても教師たちのエネルギーがすごい。
不勉強にして、GHQの事前検閲がこういうミニコミにまで及んでいたとは知らなかった。だから資料としても非常に貴重だ。(それにしては「中国」に書評が載らないな……)ただ、資料としては写真など掲載図に番号がなく、索引がなく、脚注でなく「頭注」になっており、頁番号と「ランニング・タイトル」が頁下に付いているのが惜しい。(頭注だとトップ・ヘビーになって、本文が読みづらくなるんです。)
索引があると、資料としての使いやすさがもっと向上しただろう。
「大き骨は先生ならむそのそばに小さき骨のあまた集まれり」(P.251, 正田篠枝)
事実描写が言説を超える、好例だろう。
あの時、爆心地から1キロ以内にあった小学校は、近い順に本川、袋町、中島の3つだと思う。本川小学校か、袋町小学校の校庭の状況を詠ったものであろうか…。
貴重な本を本当にありがとうございました。
広島市だけでなく、県内全域の出版活動が点検されており、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと思います。
「倍返し」という言葉は、今年の流行語になるのではないかな……
「岩波・広辞苑」を引くと「受け取ったものに対して倍額を返すこと」とあり、用例として「ご祝儀は倍返し、不祝儀は半返し」というのが載っている。この語は「三省堂・大辞林」、「小学館・国語大辞典」には載っていない。
私の理解では、この言葉は商慣行で用いられているもので、「手付け金」の扱いをめぐるものだ。
買い手が口頭での契約に際して手付け金を支払い、それを買い手側の都合で破棄した場合、商法に「口頭による契約はいつでも破棄できる」とあるから、それは違法でないが、「手付け金流し」になる。
他方、売り手側の都合で契約を破棄した場合は、手付け金を倍にして買い手に返却しなければならない。これが「倍返し」である。一種の「慣習法」である。
(商いの現場に詳しくないので、間違っていたら、光成先生、中河原さん、ご指摘下さい。)
池井戸は三菱銀行に就職して銀行マンとして働いた経験があるから、「倍返し」ということばを、大阪の中小企業相手の融資業務をとおして学んだのであろう。
ただ、彼はこのシリーズを書きすぎだ。出版社の依頼で、仕方なく書いているのだろうが、多作は必ず質の低下をもたらす。漱石だって、「吾輩は猫」が一番面白い。
それにしても雑誌「正論」12月号を見たら、「前海星高校野球部監督・教育評論家」野々村直道なる人物が、流行語の「倍返し」を引用して、「仇討ち制度の復権を!」と呼びかけているのにはあきれてしまった。
この雑誌は近年、急速にファナティックな論調が目立つようになったが、これは一際、目立っている。
2)献本お礼= 歌誌「真樹」を主催しておられる山本光珠さんから、広島市文化協会・文芸部編「占領期の出版メディアと検閲:戦後広島の文芸活動」(勉誠出版, 2013/10, ¥1,800)の献本を受けた。
「勉誠出版」は東京神田にある出版社で、人文社会系の本がメインだが、HTLV-1ウイルスの発見者、日沼頼夫先生の随筆集「ウィルスと人類」(2002)というような本も出している。
占領軍(GHQ)による検閲については、評論家(実態は東京工大の英語教授で、ペンネームで著作をした)江藤淳の「閉ざされた言語空間:占領軍の検閲と戦後日本」(文春文庫, 1994)が、米国の大学図書館、公文書館の資料調べをしていて、圧倒的である。
「戦後広島の文芸活動」が本として優れているのは、GHQの検閲活動を、マスメディアや同人誌の原爆ルポ、小説などの散文、詩の領域だけでなく、児童文学、高校や大学のサークル誌や短歌・俳句のジャンルにまで及んで、その実態を検証している点だ。
「銀の鈴」なんていう、小学生の頃、学校の図書室で読んだ雑誌のことも書いてあって、懐かしく思った。広島市の学校教師が協力して、小学生低学年、中学年、高学年用と3種の月刊誌を編集発行していたという。
あの頃はテレビがなく、読むものに飢えていた時代だが、それにしても教師たちのエネルギーがすごい。
不勉強にして、GHQの事前検閲がこういうミニコミにまで及んでいたとは知らなかった。だから資料としても非常に貴重だ。(それにしては「中国」に書評が載らないな……)ただ、資料としては写真など掲載図に番号がなく、索引がなく、脚注でなく「頭注」になっており、頁番号と「ランニング・タイトル」が頁下に付いているのが惜しい。(頭注だとトップ・ヘビーになって、本文が読みづらくなるんです。)
索引があると、資料としての使いやすさがもっと向上しただろう。
「大き骨は先生ならむそのそばに小さき骨のあまた集まれり」(P.251, 正田篠枝)
事実描写が言説を超える、好例だろう。
あの時、爆心地から1キロ以内にあった小学校は、近い順に本川、袋町、中島の3つだと思う。本川小学校か、袋町小学校の校庭の状況を詠ったものであろうか…。
貴重な本を本当にありがとうございました。
広島市だけでなく、県内全域の出版活動が点検されており、できるだけ多くの方々に読んでいただきたいと思います。
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