【誤報の構図】
後藤文康『誤報:新聞報道の死角』(岩波新書, 1996)をAmazon古書で取りよせ、一気に読んだ。1996/5初版本がたったの1円。仮に1000円でも買って読む価値がある。新刊本は品切れのようだ。
著者は1928年生まれで、九大経済を卒後に朝日新聞社に入社、編集委員、企画報道室長を経て退社、フェリス女学院大の教授になっている。マスメディアの誤報・虚報を論じ、それが発生するメカニズムを分析した本は、悲しいかな皆無に近い。
この本は全体が5章にわかれていて、情報の「受け手が誤報にどう対処するか。情報の真偽を見分けるにはどうしたらよいか。受け手側の情報の選別、吟味能力はどうあればよいか」を論じている。
まず何よりも「情報の出所、(書いた記者の)クレジットがはっきり示されていない報道は全面的には信用しないことだ」とはっきり述べる。まったく同感である。
第1章では、警察・検察のリーク・発表情報が中心となる「犯罪報道」の誤報が取り上げられている。
「朝日」がスクープした1994/6の「松本サリン事件」で第一通報者の河野義行氏を犯人として報じた事例が、どうして起こったかを説明していて、納得がいった。要するに警察の見こみ捜査、それも警視庁幹部の「中央情報」を信じたために、全紙が誤報道をしたわけだという。
犯罪事件の報道をどう読むかということも多数の例を挙げて示してある。
第2章では、「スクープ報道の落とし穴」が扱ってある。
1985/8/12の「日航機、御巣鷹山墜落事件」事件では、当初「男ひとりを含む生存者7人」と報じられたが、実際は「女4人」だった。著者によると共同だけが「生存者7人」との情報を修正せず、13日の夕刊や翌日の地方紙は「7人」と報じたのだそうだ。なぜ共同が「4+3」としたのか、詳しく説明されている。
1971年の「林彪失脚事件」では、「朝日」は国外退去になるのをおそれて、当時の社長が「追放されるような記事は書くな」と指示を出していたことも記されている。それで北京支局の記者は国際的大事件を否定する報道だけを本社に送っていたという。
1982年6月の「教科書検定の誤報事件」についても、9月の「週刊文春」の報道によりやっと誤りを認め「朝日」は「間違った理由」を説明した。
<朝日新聞の処理はまずかった。まず独立した「訂正」を出し、誤報の後始末を済ませるのが先決ではなかったか。…誤報が起こった時の後始末の仕方でも、マスコミの姿勢が問われる。>と著者は述べている。
その他、「中国戦線で毒ガス作戦」という煙幕の写真を「毒ガス」と報じた誤報、満州の匪賊の首を「南京虐殺事件の中国兵の首」とした誤報、「戦没学生の遺書」事件という、学徒兵の婚約者だったという62歳女性の虚偽話を信じ込んで大々的に報じた1990年の事件など「朝日」誤報が取り上げられている。
第3章「世論を動かす危うい力」では、誤報によりパニックが起きた例や株価が異常に暴騰した例がとりあげられている。株価の暴騰はSTAP事件でも起こった。
記事は「調査報道」が主体でなければならない。記者クラブでの発表や夜回りでえた情報を運ぶ(ポーター)だけでは、報道ではない。「記者はポーターでなく、リポーターでなければならない」というある編集局長の名言があるそうだ。
第4章「虚報の闇」では、「朝日サンゴ事件」、「伊藤律架空記者会見」と東京新聞「芦田日記改ざん事件」が取り上げられている。捏造と断定されるまでの経過がよくわかり、参考になる。
第5章「誤報の行方」では、誤報しないために新聞人はどうすべきか、読者はどう記事を読むべきかが述べられている。「取材を尽くしても確認が取れなければ、たとえスクープでも、待つ勇気が必要ではないか」というある司法界の大物の意見が紹介されている。
実際に、誤報事件が発生したら、書いた記者はもちろん、部長、編集局長、社長まで懲戒処分が及ぶ。
論文捏造と学位論文捏造をしても、理研を解雇されない小保方晴子など、新聞社からみたら理解不能だろう。
<人間が報道する以上、誤報をゼロにすることは不可能だろう。とすれば、誤報・虚報を犯した場合の「訂正」「おわび」の仕方が重要な意味を持ってくる。…率直な「訂正」と「おわび」は、報道のみずからの浄化作業と考えたい。> 同感である。
<誤報が続く時は、個人だけの問題ではなく、組織のどこかにゆるみ、緊張感を欠く要素があると認識したほうがいい。> これは今の「朝日」にぴったりの言葉だ。
「サンデー毎日」は1986年に「現地独占会見、エイズの<ジャパゆきさん>は2人いた!」という記事を掲載し、長野県松本市にパニックが起きた。この記事は「ライターが金ほしさにでっちあげたもの」とわかり、編集部は作家の柳田邦男(NHK出身)に依頼し、「誤報はなぜ生まれたか?」という調査をしてもらい、3週間後に調査報告書を特集したという。これで同誌への信用低下は最低限に食い止められた。
「朝日」が誤報問題で委員会を立ち上げ「2ヶ月後に報告書」というが信じられない。
もう一つ学んだのが、誤報問題が起きたとき、どの者も読者からの苦情にまともにとりあっていない、とう事実だった。英国ではダイアナ妃騒動を教訓に1991年「プレス苦情処理委員会(PCC=Press Complaints Commission)」が発足したという。第三者委員会ですべてのプレスを対象としている。STAP事件の教訓は「研究公正委員会」の設置だが、PPCという制度についてぜひメディアの報道を期待したい。
参考文献15冊が載っているが「新聞社史」は読む気がしないので、
城戸又一編:『誤報』, 日本評論新社, 1957を古本屋で探して読もうかと思った。
ともあれ、この本を読んでメディア・リテラシーが少しは向上したと思う。有意義な午後だった。
後藤文康『誤報:新聞報道の死角』(岩波新書, 1996)をAmazon古書で取りよせ、一気に読んだ。1996/5初版本がたったの1円。仮に1000円でも買って読む価値がある。新刊本は品切れのようだ。
著者は1928年生まれで、九大経済を卒後に朝日新聞社に入社、編集委員、企画報道室長を経て退社、フェリス女学院大の教授になっている。マスメディアの誤報・虚報を論じ、それが発生するメカニズムを分析した本は、悲しいかな皆無に近い。
この本は全体が5章にわかれていて、情報の「受け手が誤報にどう対処するか。情報の真偽を見分けるにはどうしたらよいか。受け手側の情報の選別、吟味能力はどうあればよいか」を論じている。
まず何よりも「情報の出所、(書いた記者の)クレジットがはっきり示されていない報道は全面的には信用しないことだ」とはっきり述べる。まったく同感である。
第1章では、警察・検察のリーク・発表情報が中心となる「犯罪報道」の誤報が取り上げられている。
「朝日」がスクープした1994/6の「松本サリン事件」で第一通報者の河野義行氏を犯人として報じた事例が、どうして起こったかを説明していて、納得がいった。要するに警察の見こみ捜査、それも警視庁幹部の「中央情報」を信じたために、全紙が誤報道をしたわけだという。
犯罪事件の報道をどう読むかということも多数の例を挙げて示してある。
第2章では、「スクープ報道の落とし穴」が扱ってある。
1985/8/12の「日航機、御巣鷹山墜落事件」事件では、当初「男ひとりを含む生存者7人」と報じられたが、実際は「女4人」だった。著者によると共同だけが「生存者7人」との情報を修正せず、13日の夕刊や翌日の地方紙は「7人」と報じたのだそうだ。なぜ共同が「4+3」としたのか、詳しく説明されている。
1971年の「林彪失脚事件」では、「朝日」は国外退去になるのをおそれて、当時の社長が「追放されるような記事は書くな」と指示を出していたことも記されている。それで北京支局の記者は国際的大事件を否定する報道だけを本社に送っていたという。
1982年6月の「教科書検定の誤報事件」についても、9月の「週刊文春」の報道によりやっと誤りを認め「朝日」は「間違った理由」を説明した。
<朝日新聞の処理はまずかった。まず独立した「訂正」を出し、誤報の後始末を済ませるのが先決ではなかったか。…誤報が起こった時の後始末の仕方でも、マスコミの姿勢が問われる。>と著者は述べている。
その他、「中国戦線で毒ガス作戦」という煙幕の写真を「毒ガス」と報じた誤報、満州の匪賊の首を「南京虐殺事件の中国兵の首」とした誤報、「戦没学生の遺書」事件という、学徒兵の婚約者だったという62歳女性の虚偽話を信じ込んで大々的に報じた1990年の事件など「朝日」誤報が取り上げられている。
第3章「世論を動かす危うい力」では、誤報によりパニックが起きた例や株価が異常に暴騰した例がとりあげられている。株価の暴騰はSTAP事件でも起こった。
記事は「調査報道」が主体でなければならない。記者クラブでの発表や夜回りでえた情報を運ぶ(ポーター)だけでは、報道ではない。「記者はポーターでなく、リポーターでなければならない」というある編集局長の名言があるそうだ。
第4章「虚報の闇」では、「朝日サンゴ事件」、「伊藤律架空記者会見」と東京新聞「芦田日記改ざん事件」が取り上げられている。捏造と断定されるまでの経過がよくわかり、参考になる。
第5章「誤報の行方」では、誤報しないために新聞人はどうすべきか、読者はどう記事を読むべきかが述べられている。「取材を尽くしても確認が取れなければ、たとえスクープでも、待つ勇気が必要ではないか」というある司法界の大物の意見が紹介されている。
実際に、誤報事件が発生したら、書いた記者はもちろん、部長、編集局長、社長まで懲戒処分が及ぶ。
論文捏造と学位論文捏造をしても、理研を解雇されない小保方晴子など、新聞社からみたら理解不能だろう。
<人間が報道する以上、誤報をゼロにすることは不可能だろう。とすれば、誤報・虚報を犯した場合の「訂正」「おわび」の仕方が重要な意味を持ってくる。…率直な「訂正」と「おわび」は、報道のみずからの浄化作業と考えたい。> 同感である。
<誤報が続く時は、個人だけの問題ではなく、組織のどこかにゆるみ、緊張感を欠く要素があると認識したほうがいい。> これは今の「朝日」にぴったりの言葉だ。
「サンデー毎日」は1986年に「現地独占会見、エイズの<ジャパゆきさん>は2人いた!」という記事を掲載し、長野県松本市にパニックが起きた。この記事は「ライターが金ほしさにでっちあげたもの」とわかり、編集部は作家の柳田邦男(NHK出身)に依頼し、「誤報はなぜ生まれたか?」という調査をしてもらい、3週間後に調査報告書を特集したという。これで同誌への信用低下は最低限に食い止められた。
「朝日」が誤報問題で委員会を立ち上げ「2ヶ月後に報告書」というが信じられない。
もう一つ学んだのが、誤報問題が起きたとき、どの者も読者からの苦情にまともにとりあっていない、とう事実だった。英国ではダイアナ妃騒動を教訓に1991年「プレス苦情処理委員会(PCC=Press Complaints Commission)」が発足したという。第三者委員会ですべてのプレスを対象としている。STAP事件の教訓は「研究公正委員会」の設置だが、PPCという制度についてぜひメディアの報道を期待したい。
参考文献15冊が載っているが「新聞社史」は読む気がしないので、
城戸又一編:『誤報』, 日本評論新社, 1957を古本屋で探して読もうかと思った。
ともあれ、この本を読んでメディア・リテラシーが少しは向上したと思う。有意義な午後だった。
大物でなくとも一般社会の中では常識的な考え方。
マスコミは医師や教授職、各界著名人などを「有識者」などと一括りにして、それらの意見を信じ込ませて煽動する組織である。