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ある宇和島市議会議員のトレーニング

阪神大震災支援で動きの悪い体に気づいてトレーニングを始め、いつのまにかトライアスリートになってしまった私。

9-29-2014鹿鳴荘便り/難波先生より

2014-09-30 08:57:06 | 難波紘二先生
 久しぶりに遠出して、例の広島市北部八木地区の土砂崩れ現場を再訪した。復旧作業はまだ進行している。前に対岸の恵下山から見た現場は今回、こんな風に見えた。(写真1)
(写真1)
 右端の土砂崩れは山の頂上付近から1本でくだり、民家付近で2本に分かれている。どうも途中に砂防ダムがあり、そこで二手に分かれたようだ。(写真2)
 (写真2)
 アップしてみると、小さな木立を残して左右から回り込むように土石流が民家に突入している。たぶん20戸くらいは、ここでやられたのではないだろうか。道路が狭いから大型のショベルカーが投入できず、小さな青いショベルカーで作業している。
 帰りは井原というところから志和に通じる渓流沿いを走って戻ったが、田の畦に彼岸花が沢山咲いていて、秋を感じさせた。(写真3)外気温は13:00で26℃もあり、クーラーを付けた。
(写真3)
 この渓流沿いにはラーメン店と「関川遊園」という料亭がある。ラーメン店の駐車場に自販機があったので、飲み物を買いによったら、店の方は閉店の立て看板が出ていた。バブル経済の頃は、若者のドライブが流行っていたから、それが右肩上がりに続くと思って、へんぴな場所でも道路沿いにドライブインやレストランが沢山できた。それが今、店主の高齢化や営業が持ちこたえられなくなって、次第に閉鎖されている。やがてこのあたりも、もとの渓谷に戻るだろう。
 ラーメン店の斜め前に、山奥に入る細い道路がある。ここに高さ70メートルくらいの岩山がそびえているので、おおかたそこを展望するルートだろうと思って脇道したら、三キロほど入ったところの小さな谷間にわずか10戸ばかりの孤立した集落があった。そのうち何軒かは廃屋だ。「隠し」か「落人の里」とでもいいたい場所だ。あるいは戦後の開拓村かもしれない。廃屋の傍に西向き斜面に作られた小さな田圃があり、8月に稲刈りをしたとみえ、稲の切り株が並んでいるが、なんとその後に生えた「ひこばえ」がもう30cm近くになっていた。(写真4)これは11月の初め頃、実際に稲の穂が稔ることがある。脇に御所柿の樹があり、やせた実が実っていた。もぐ人もいない。畦のむき出しになった土を見たら赤土(ローム層)だった。(写真4)
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